私はA級戦犯の合祀(ごうし)は、わが国が自ら改めるべしと考えます。それは他国に指摘されるまでもなく、わが国の本来あるべき姿、そして自国の歴史とどう真摯(しんし)に向き合うか、を考えればおのずと明らかになることだと考えます。他国の歴史認識を批判するためには、まず自国の歴史を正確に認識することよりはじめなければ、全く説得力がありません。A級戦犯合祀は、戦後に起こった第二の「統帥権違反」でした。そこには無責任・無自覚から来る保守主義からの逸脱、不明朗な動機とプロセスがあります。過去、政治家がその判断を避けてきたことがまことに遺憾です。私たち日本人が今直視すべき問題として、発言させていただきます。
「男たちの大和」を拝見しました。
日本の戦争映画の歴史に残る名作と思いました。
映画の後半には、臼淵大尉が登場し次のような台詞をガンルーム(士官次室=准士官や候補生たちの公室)で述べる場面があります。臼淵大尉の役を長島一茂さんが好演しています。最終シナリオ(脚本:佐藤純彌)
「日本は、進歩ということを軽んじ過ぎた。進歩よりも精神主義を重んじた・・・しかし、進歩のないものは決して勝たない。歴史がこれを証明している。幕末、薩英戦争で、負けた薩摩、馬関戦争で敗れた長州は、その後、攘夷鎖国を捨ててヨーロッパから新式の武器を輸入して幕府を倒した」
「敗れて目覚める・・・・それ以外に日本が救われる道があるか?」
「今。目覚めずしていつ救われるか?・・・俺たちは日本が新しく生まれ変わるために先駆けのして散る。将に本望ではないか」
これは父吉田満が「戦艦大和の最期」で描いたエピソードであり、この映画のひとつの白眉になっています。映画は水兵の人情物語だけでは完成が難しかったと思います。大和出撃の意味、その歴史的意義と背景、そして自ら死地に赴いた人間たちの心意気、現代につながる彼らの清新な精神を描くことにより、この映画はある種の普遍性を帯びたのではないでしょうか。
最近吉田満著の「戦艦大和の最期」における軍刀の場面が朝日新聞に掲載されたことをめ...
アマゾンで、「日本史再検討(世界文化社)」を買い、私が大ファンである井沢元彦さん...
7月7日に大和ミュージアムを訪問いたしました。私の父は戦艦大和に乗っており、本施...
家庭画報12月号掲載(11月1日発売)
21歳の海軍少尉として戦艦大和の撃沈から生還し、若くして戦争文学の名作『戦艦大和ノ最期」の著者となった父吉田満は、昭和54年の9月17日に56歳で亡くなった。
今山本七平さんという人が書いた「一下級下士官の見た帝国陸軍」という本を読んでいます。日本人のメンタリティはまったくかわらないのだな、という驚きを感じています。これは評をかかずに、僕が今の日本の大組織に相通じると思うフレーズを抜書きしてみます。
-授業をした小石川高校の高校生たちの感想文- 『吉田望さんに』 この間、望さんの...
小学校の友人のモリケンにクラス会であったときに彼の息子が小石川高校にいて、 私...
96年のことです。私は成田社長に頼まれてある場所で講演をいたしました。
そのとし、ちょうど「動詞型生活者の誕生」という原稿を書き上げたばかりだったのです。