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書評:一下士官から見た帝国陸軍

2002/10/10
戦艦大和や靖国問題

今山本七平さんという人が書いた「一下級下士官の見た帝国陸軍」という本を読んでいます。日本人のメンタリティはまったくかわらないのだな、という驚きを感じています。これは評をかかずに、僕が今の日本の大組織に相通じると思うフレーズを抜書きしてみます。

1.三種類の将校たち

「事実この膨大な70年近い歴史を持つ組織は、そのすべてが定型化されて固定し、牢固としてそれ自体で完結しており、すれによって生じる枠にはめられた日常の作業と生活の循環は、だれにも手がつけられないように見えた」
「では危機感がなかったか、というとそうではない。ただ危機感と日常が結びつかなかったのである。そしてそこには結びつかないような双方を分担するような形で三種類の将校がいた」
「第一は、大声で危機を叫び、危機への認識とそれに基づく自覚の欠如を非難するが、具体的にどこから何に手をつけてよいか、一向にわからずただ現状に憤慨する、しかしその日々の行動・振る舞いは組織自体の日常の論理に従っている、そしてそれを矛盾とは思わない人々」
「第二は軍隊内の生き字引的存在で、規則・先例をわきまえ、その組織の日常の運営を現実に支配し、これを円滑に動かしている人。このひとたちには自覚的なエリート意識はなく無口で態度は控えめだが、強い地震と一種の閉鎖性をもち、第一の人々を内心では軽蔑している」
「第三は私のような、いわばOL的存在であった」

2.私物命令・気迫という名の演技

・・・・実際にはこの「気迫」も一つの類型化された空疎な表現形式になっていた。
どんなにやる気がなくても、その兵士が全身に緊張感をみなぎらせ、静脈を浮きたたせて大声を出して、機械人形のようなきびきびした動作をし、芝居がかった大げさな軍人的ジェスチャーをしていれば、それが「気迫」の証拠とされた。
したがってこれを巧みに上司の前で演じることが、兵士が言う「軍隊は要領だよ」という言葉の内容の大部分を占めていた。
内心で何を考えていようと、陰で舌を出していようと、この「演技・演出」が巧みなら、それで全てが通る社会だった。

そして辻政信に関する多くのエピソードは、彼が「気迫演技」とそれをもとにした演出の天才であったことを示している。
・・・彼の出す無理難題のほとんど全てが、いつか習慣化した虚構の「気迫演技」の自己演出になっていった。そして演出は一つの表現だから、すぐマンネリになる。すると、それを打破すべく誇大表現になり、それがマンネリ化すればさらに誇大になり、その誇大化は、中毒患者の麻薬のようにふえていき、まず本人が、それをやらねば精神の安定が得られぬ異常者になっていく。
あらゆる方面で主導権を握っているのが、この「気迫誇示屋」というガンであった。それはどこの部隊にも、どこの司令部にも必ず一人か二人いた。みな、始末に負えない小型「辻政信」、すなわち言って言って言いまくるというかたちの気迫誇示屋であった。結局、この演技屋には誰も抵抗できなくなり、その者が主導権を握る。すると、平然と始末に負えない「私物命令」が流れてくる。そしてこれが、何度繰り返してもいい足りないほど「始末に負えない」ものであった。というのは彼らが生きていたのは演技の世界すなわち虚構の世界だったが、前線の部隊が対処しなければならないのは、現実の世界だったからである。その上さらに始末が悪いことには、彼らはその口頭命令に絶対責任を持たなかったからである。
 そしてこの気迫演技屋にどう対処するかが、前線部隊にとっては実に、敵にどう対処するか以上の、やっかりきわまる問題だった。特に部隊本部付きで司令部との連絡係をやっている将校にとっては、この種の参謀との折衝は文字通り、神経を消耗しつくし、気が変になってきそうな仕事であった。そして戦況がひどくなって現実と演技者とのギャップがませばますほど、この苦しみは極限まで加重していった・・・・

3.現地を知らぬ帝国陸軍

陸軍は比(フィリピン)軍派遣軍を現地で自活させるという方針を取りながら、現地の実情についてはまったく盲目であった・・・・
この経済的実情への無知、加えるに相手の文化様式への完全なる無知・無理解、それによって生じる救いがたい文化的摩擦、それでもなお「アジアという内なる妄想」のみを信じ込み、それしか見えず、それに適合しないものを拒否する態度、東亜の盟主が東亜開放を呼びかければ全員がふるいたって協力するはずという一人よがり、われわれだけがアジアの先進国だといううぬぼれ、それが重なり重なりあって、どうにも救いがたい状態を現出した。

本当に「われわれはアジアを開放したのだから、全員が諸手をあげて歓迎して心から協力してくれている」と信じているのなら、全てを比島政府に任せ、文官の「弁務官」を置いてくればよいはずである。そしてこの政府に日米間の中立を表明させ、比島全域を戦闘地域から除外しておけば、これは歴史に残る「大政略」であっただろう。これはいわばイギリス式行き方である。
しかしその決断は東条首相に出来ることではなかったし、また形を変えた似た状況の場合、いまの政治家にできるかと問われれば、できないと思うと答えざるを得ない。日本には総合的な政戦略が必要だという発想はなかったし、またそれを立案するものも、その案を基に決断を下すものもいなかった。いまもいないのであろう。

また徹底的に弾圧するつもりなら、それはスターリンが東欧で行ったような方法しかなかったであろう。混血層社会を徹底的に分断し、恐怖と懐柔を併用し、KGBと収容所群島を創設し、一切の情報を遮断して鉄の規律に基づく徹底的教育を行い「名親を日本軍に密告することは立派なことだ」と子供に信じ込ますまでに徹底すれば、事態はまた別かもしれない。しかしそれは日本人にとって結局、「いうだけで行えない」ことなのである。
第一それを正しいと信じる哲学も伝統も、またそういう戦い方をした宗教戦争という歴史も、また各自が心底から絶対化しうるイデオロギーもわれわれにはない。そして自分も信じていないことを、人に信じさせることは出来ない。また相手の社会機構を完全に知り尽くして、その弱点をつかない限り、この方法は不可能である。「自転」する自軍の組織にさえ介入できない日本人に、どうしてそんなことができよう。

日本軍のやり方は結局、一言で言えば「どっちつかずの中途半端」であった。それはわずかな財産にしがみついて全てを失うケチな男ににていた。中途半端は、相手を大きく傷つけ、自らも大きく傷つき、得るところはなにもない。結局中途半端のものには戦争の能力はないのだ。われわれは、前述のように「戦争体験も」「占領統治体験」もなく、異民族並存社会、混血社会も知らなかったし、今も知らない。知らないなら「無能」なのがあたりまえであろう。
そして「戦争や占領統治に無能」であることを何で恥じる必要があるであろう。そして戦争に有能な民族をなんで羨望する必要があろう。なんでその「中途半端なまね」をする必要があるであろう。ないではないか。われわれにはわれわれの生き方がある。それを探求し、合理化し、世界のほかの民族の生き方と対比し、相互理解の接点をどこにもとめればよいかを、自分で探求すればそれで十分ではないか。

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