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海軍の士官が軍刀をふるって悪いのか?

2006/01/01
戦艦大和や靖国問題

最近吉田満著の「戦艦大和の最期」における軍刀の場面が朝日新聞に掲載されたことをめぐって、討論がかまびすしいようです。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kaihei73-matui.htm

1)著作権の後継者としてまず、その記述を改変しないことを明言しておきます。事実関係の確認はもはや不可能だと思います。
2)次にこれを戦争の残虐さを象徴するシーンとして取り上げた朝日新聞記者の方に抗議いたします。この描写をこの記者は歴史的事実が疑問となった南京大虐殺の軍刀による殺戮話の正当化材料として、使われたのだと私は推測しますが、それは父ではなくその記者の意見です。

まず。戦争そのものが圧倒的に巨大な残虐行為です。その本質が残虐それ自体です。それでも行わなければならない戦争、残虐さによってしか保たれない世界秩序があるということは、アドルフ・ヒトラーの台頭を許したイギリス・チェンバレン首相の優柔不断を考えてみればよくわかることです。

その中で上記を書き残した父の真意を思うに。
神はディーテール(細部)に宿ります。戦争の悲惨さを描くとき、その悲惨さのディーテールを描くことが本意であり、当該指揮官(あるいは士官・下士官)の行為を非難するものでは決してなかったと想像します。物語という性格から講談的伝聞を含めて父は執筆の時点で真実と思われたことを記述したのであり、それは父も認めていることです。もし事実関係の間違いが明確であれば。あるいは当時を思い返したとして、違う記憶であったように思われたのなら。(それは事実行われたことですが)父の性格から改変を自ら試みただろうと私は信じます。

救助艇が余りに多くの救助者に取り囲まれ転覆しそうなとき。
あるいは、米軍の機銃掃射が厳しく、今この時を逃せば救助艇の撃沈が確実と思われるとき。あるいは救助計画上、本艦への帰還時期がせまっているとしたら。
これ以上の救助活動の続行は失敗に終わる可能性が高いと指揮官(あるいは士官・下士官)が判断したとします。
また、その命令を伝達する部下もほとんどいなければ、必死の水兵は爆音下で声も届かず、命令を事実上無視しているとします。
言って聞かせても魂を失ったかのような水兵はこれを無視・・・しているとします。相互扶助の感情からか、ともかく自殺的な救助活動をやめないとします。

これはもはや「反乱」です。

戦闘下の指揮官としては、命令秩序を回復することが必要です。
(被救助兵も救助兵も軍人)
なぜならば命令秩序の不在により全員の帰還が果たせなくなることほど、空しいことはありません。
そのときに必死の形相で使い慣れない軍刀を振りかざして(事実うまく使いこなすことはできなかったことでしょう)、水兵をおののかせて統制し、指揮命令を回復して何が悪いのか。もし拳銃を持っていればこれを使うことだってありえるでしょう。
しかしそれ以外に決死の決意を示すことが難しい場合。
私が指揮官なら、同じことをしたかもしれません。
この統制活動により水兵はわれに帰り、この救助艇は無事帰還を果たしたました。
古来中国史でも同様の場面があるようです。それはその状況で(銃を持たない)指揮官が救助活動を打ち切るためになしうる統制行為は、剣を味方に使うそれ以外にないというあたりまえの必然なのです。

(一キロ離れた救助艇があったとして、その艇では上記沈没如何の極限状態、水兵の動向、また本艦や敵軍との位置関係など全く異なります。だから一般論ではなく、特殊状況での限界的判断としてこれを考えなければいけません。)

次に私たちは士官軍刀の意義について考えてみなければなりません。
士官軍刀は服制令の範疇であって「兵器」ではありません。
それは海軍刀によって端的に表象されています。
白兵戦とは無縁の海軍士官が、なぜ軍刀を佩用したのか。
官学校では短期間の速成教練で、士官は付属的・短時間の教練で軍刀を実地で使いこなすことはほとんど不可能です。(日本刀を使いこなすには非常に長期の訓練が必要)

http://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/gunto_128.htm
「士官軍刀は、戦地では武器であると共に儀仗・指揮刀を兼ねるが、それ以上に重要なことは、軍刀を佩用する事による「精神の鼓舞(こぶ)・精神的充足感」の要素が極めて大きかったことであった。武人としての「魂の拠(よ)り所」といってもよい。
日本海々戦の連合艦隊旗艦「三笠」の副砲鋼材から造られた三笠刀・三笠長・短剣が海軍士官憧れの的だった事などはそのことを裏付けるに充分である。 又、大戦末期に、特攻出撃する飛行士官が軍刀と共に爆装機に搭乗する姿や、人間魚雷「回天」の特攻隊員が軍刀を携えて潜水艦で出撃する姿などはその典型と云える。」
「合戦=組織的集団戦」での刀の意義は、武将の地位の象徴であり守護・護身刀であった。」
これらの言葉に尽きると思います。

「反乱する」水兵を抑えるときに、この刀が与える武将としての精神的地位に頼らないとして、軍人はどう指揮命令系統を回復統制すべきだったのか。(ともかく大声を出すとか?にらみつけるとか?)
現代の平和な世相からこうした行動を判断するのは先ず愚の骨頂ですが、逆に上を否定しようとしていろいろな理屈を言い出す人がいると、後世の人は判断にこまると思います。

いくつかの事例を紹介しておきます。

1)死の直前でも軍刀を守ることは海軍士官の義務であった事例
http://www1.odn.ne.jp/koyama/musasi.htm
「(戦艦武蔵の)艦が沈む間際、十七歳くらいの分隊士従兵が軍刀を二振り背負っている。従兵とは上官の身の回りの世話をする兵隊だ。なるべく身軽にならなければいけないそのときに、私は「なぜ」と聞いた。軍刀を最後まで守れとの命令だという。そんなバカなと思ったが、軍人は命令に絶対服従である。従兵は楽して出世が早いので、下級兵士の望むものであったが、徴兵で海軍に入った私は、従兵として上官の機嫌とりだけはしたくなかった。成績優秀者は従兵になるしきたりであった。成績が良かった私は従兵になるところだったが、前任地で「柴田は秋田弁丸出しで何を言ってるかわからないからダメだ」ということで免れたのを思い出し、班長に願い出て、この時も従兵指名を免れた。もし従兵をしていたら士官の犠牲となって助からなかっただろう。」

2)戦艦大和の測距塔にいた士官が戦闘中に軍刀で割腹している事例
(この人は武士です。)
http://brain.exblog.jp/m2005-11-01/#3809106
米機は左舷ばかりを狙った。魚雷も9発受けて大きく傾く。
「総員最上甲板へ」の号令。
「要は戦闘配置離脱ですが、あくまでも、逃げろ、という言葉はなかったのです。そこら中、死体だらけでした。30度くらいに傾き、大勢の兵隊がざあっと甲板上を滑り落ちていった。大和が沈むなんて、と信じられなかった」
斜めになった測距塔に保本政一分隊士がいた。
「ズボンを押し下げ、いきなり腹を軍刀でかっ裂きました。ホースから飛び出す水のように、血が噴出しました」
少年、八杉の目前で割腹自殺。
「いつも、お前には世話かけたなあ」と言ってくれた人だった。
だが、ショックを受けている間もない・・・

3)山本五十六長官の事例
山本五十六長官は、心臓への盲管銃創と下あごからこめかみへの貫通銃創を受け、座席にまっすぐに座り軍刀を握ったまま絶命していた。
http://www.numse.nagoya-u.ac.jp/F1/proftakeda/zuihitsu_rekishi/mare-1/
この記述が事実かどうか別にして元帥たるもの、元帥刀を握りながら死ぬべしという規範があり飛行中も帯刀していたことは事実です。

4)軍刀に関する上記規範を広めたのは、尋常科用小学国語読本にとりあげられた軍神橘中佐だったという歴史的事実
http://blog.goo.ne.jp/goo05594/c/b87f3934ba9a79fb815d8e8ad6afdfee
(橘)中佐は言へり。
「残念なり。多数の部下を失ひて占領したる陣地を取返さるゝか」。
と。更に形を正して言へり。
「今日は、我が皇太子殿下の生まれ給ひし日なり。此のめでたき日に一身を君国に捧ぐるは、まことに軍人の本望なり」。
と。静かに両眼を閉ぢつゝ、聯隊長・将兵の安否を次々に尋ね、ほとんどおのれの苦痛を知らざるもの如し。
 中佐の全身は次第に冷えぬ。日も暮れんとする頃、
 「軍刀はあるか」。
の一語を最後として、遂に息絶えたり。
 橘中佐は、平生志堅く、勇気に満ちたる軍人にして、上を思ひ、部下をあわれむ心深かりき。此の平生の行ありて、此の壮烈なる死を遂ぐ。中佐が多数の戦死者中、特に軍神とあがめられるもうべなりといふべし。
(著作権発行者・文部省の「尋常科用小学国語読本巻九」の軍神の教材である。 此の巻九という国語読本は、小学生五年用後半学期の国語教科書をさす。)

指揮官(あるいは士官・下士官)の立場にあるものが、指揮の魂のよりどころである軍刀をもたず、では艦のどこにおいておいていたというのか。救助艇の設置場所なのか?そこには容易に戻れないはず・・・

救助時には、敵飛行機兵が墜落しその救助部隊と遭遇するチャンスがありました。
(事実沈没当日の十五時0五分、墜落せるディラニー中尉の捜索救助活動のために二機のPBMマーチン飛行艇が飛来し、救出しています)
その遭遇の場面で士官が軍刀を持たない平腰がありえるのか?その可能性はあまりに武士としてありえない「恥」ではないのか?
そのあたり是非お聞きしたいところではあります。

60年の「戦後の平和」が巨大な残虐さの直視や、その彼岸における善悪判断の強烈さ(七人の侍的なること・悪は中途半端よりはるかにましである)をあいまいにしたということではないでしょうか。
一部論壇を見ても、平和ボケした規範なきプチ右翼(妙に強気・道徳的なおかつ実用的・史実的ではない)の時代が来ているようです。
さてこの文章は書き始めたところで今後事実関係を調べて改変・訂正・加筆していきますことをあらかじめ、お断りしておきます。ネットはまさに集合的知性の場のはずなので。

追記:服従についての戦争指導者の言葉

「仔細な命令違反でも将校のあるべき影響力を傷つける。兵士には服従を習慣づけよ。そうでなければ兵士を統制できない」(1865、南軍に対するリー将軍の言葉)
「服従の基礎は恐怖なのだという醜い真実がある」(1899、The River War ウィンストン・S・チャーチル)

ご参考

父 吉田満の遺言
7月8日大和ミュージアム訪問

「戦艦大和の最期」をどう読むか Vol.1 -小石川高校での講義録-
「戦艦大和の最期」をどう読むか Vol.2 -小石川高校の高校生たちからの感想文

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Comment

1 - Name: あまカラ : 2005/12/08 23:45

 トラックバックありがとうございます。事実については私にはわかりませんし、論ずるのは自由だと思いますが、著者である吉田満への敬意も何もなく、「戦艦大和の最期」すら読みもせず、ネットでいい加減なことを言う連中が我慢なりません。

 ところで、いったい吉田満氏はこのエピソードを誰から聞いたのでしょうか。創作ノートのようなものがもしあれば、新たな手がかりになるような気もしますが。

2 - Name: 荏原仲信 : 2005/12/09 18:10

 トラックバックいただき恐縮です。「戦争の残虐さを象徴するシーンとして取り上げた朝日新聞記者の方に抗議いたします」とのこと同感賛同します。仮に朝日新聞側に歪曲の意図がないとしても(無いわけはないですけど)、万一善意であったとしても、朝日新聞には、上に立つ者の苦悩、自分以外の者の行動の責任をもせおわねばならぬ立場というものへの理解が決定的に欠けているように思います。

3 - Name: クルトンパパ : 2005/12/12 07:34

TBありがとうございます。
当時の状況、もちろん私にはわかりませんが、あまりに酷い捏造記事のように感じました。
おそらく極限の状況下、行なわれたことを、平和な時代の感覚だけで裁くことは出来ないわけで、どうしても海軍を残虐で野蛮なものとしたいと言う、意図的なものを感じてます。

4 - Name: bold : 2005/12/21 01:00

まあ、朝日には何をいってもしかたがないのでね。これは半年前の「諸君」、12月号の「will」に対する「諌争」です。(それらのメディアが「保守主義」を背負っているという自覚があったとした場合、ですが)

まあ花田さんはその昔ホロコーストを無かった事とした人でありますし(文春・廃刊になったマルコポーロで)「ごめんなさい!今それが売れるのです!」というだけのことになるのでしょう。そのマルコポーロっぽさの風潮は、どこか無責任な書生っぽさの残る文藝春秋には、いまだ存続しているということではないか。

 私には今の反中、反韓ブームは、昔の反米ブームとほぼ同じこのように感じられます。他者の言動にイージーな根拠を持つ保守主義は、「本物」ではあ・り・え・な・いのです。
 それらの「保守主義」は「危険で傍若無人な他者」がいなければ自尊ができない、つまり「自ら」という潔さ、覚悟に欠ける思想ではないかと、私は思います。

 今本当に歴史が大事だと思います。
それは、事大主義や狂信主義ではなく、その時代を今生きるとしたらどう思うのか。命にかかわるリアルさをもって歴史を素直に見るということができるのかどうか、の覚悟にかかっているように思います。

日本は侵略戦争をしたのかしないのか。
他国にいわれるまでもなく、A級戦犯の合祀は靖国の歴史が定めた清冽なルールに則っていたのか。それを自ら汚したのはだれなのか・・・

などなど。反論を是非願います。

5 - Name: 瀬尾欣也 : 2006/02/06 21:13

山本七平氏の著作の精読から得たものです。軍刀の件の誇大な表現は「戦場のホラ、デマ」ではないでしょうか。命がけの体験を語る時、人は劇的にしたがるものではないでしょうか。いざりながら駆け回る砲術長のはなしがのっているではありませんか。

6 - Name: bold : 2006/02/07 20:09

山本七平先生。
先生と父は戦争体験のあるプロテスタントとして親友で、あらゆることについて会話をしておりました。
父が死んだ翌年、1980年にNHKにいた吉田直哉さんが「散華の世代からの問い」という追悼番組を企画いただいたのですが、私はその番組で山本先生と共演させていただきました。

7 - Name: 田口(安住)るり : 2006/03/11 21:53

吉田望さん こんばんは。JANJANに「死人に口なし『戦艦大和』」「戦記文学『戦艦大和ノ最期』は作り話か」などを書いた安住るりです。
あなたにお目にかかったことがあったかどうか記憶が定かでありませんが、たしか高校も同じですよね。そして遠い親戚になるわけです。
上記の記事を書くときには、あなたのことを意識していました。
きょうたまたまあるホテルのロビーでPCを開いて、今日06年3月11日のJANJANに掲載されている私のコラム《東大紛争・22歳で知ったこと》その13(最終回)で,またお父上の著書について触れたので、去年の7月に書いた「死人に口なし」の記事を読み返していて、吉田望さんの書き込みを発見しました。私が書いたものに貴方に気づいていただいて嬉しいです。
今夜のところは、とりあえず御挨拶のみで、いずれゆっくり、もっと書かせていただきます。
靖国問題については、私もJANJANで散々論争してきました。
夫の田口汎も、自分のブログで詳しく論じています。

お姉さまとおつれあいに、宜しくお伝えください。

8 - Name: katuragikomiti : 2006/07/08 03:28

このブログのいずれかにある満氏ご自身のエピソードはとても興味深い記事でした。が、この「海軍の士官が軍刀をふるって悪いのか? 」には同様の興味はいだけません。その理由は、そもそもある影響力のある新聞の記者が、文学作品の部分だけを切り取ってきて、つまり作品の本質である「主題」や「文脈」というのもをまったく無視して、その断片を、記者自身が持ちこんだ「文脈」のなかに位置づけなおして、彼(彼女)の主張を権威づけるために吉田満氏を悪用しているということでしょう。彼らの認知は、原爆や東京大空襲は「残虐」ではないし、戦場での残虐行為は「特別な日本軍だけに起こること」らしい。なんとかいう新聞の記者は、こういう無意味なことをして給料をもらったり、老人を脅してヒステリー状態にしたりするのが「仕事」らしい。機会があれば聞いてみたいものです「どうしちゃったんですか?」と。
望氏、しっかりしろ


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