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A級戦犯合祀に見られる怨霊信仰

2005/11/04
戦艦大和や靖国問題

アマゾンで、「日本史再検討(世界文化社)」を買い、私が大ファンである井沢元彦さんと、梅原猛さん、小室直樹さんらとの対談を興味深く読みました。
私が直感的に感じていたのと同じことが書いてあり、読んだ興奮のままここに書いてしまいます。(従って今後改訂の必要が生じるかもしれません)

日本の古くからある信仰の根源に「怨霊信仰」というものがあります。
力があるものが時の政府に倒され不平不満を持ったまま非業の死を遂げる。
この不平不満が祟りとなり、現世に災厄をもたらします。
(平安時代の阿部清明に代表される陰陽師たちは、怨霊を慰撫することを職業としていました。

日本の神社に祀られている神々の起源をさぐると、恨みを持って死んだ人々に行き当たります。たとえば学問の神=天神様の菅原道真。あるいは将門塚になった平将門。いずれも祀られることにより怨念を失い、善良になった神々です。
出雲神社に祀られているのは日本支配をアマテラス大神と争った現地の敗者である大国主命(おおくにぬしのみこと)もその一人です。
この怨霊慰撫精神の背景にあるのは「かつてわが国の征服は、ほぼ同種の民族、しかも少数の人々による和平的征服として行われ、統治には常に敗者とその背景にいる人々へのとりなし、要するに「和」の精神が求められてきたから」と梅原さんは指摘されています。

(こうしたことを単なる迷信と非難することは容易ですが、社会学では人々の深層心理がある非科学的な信念をいだいている場合、その社会のビヘイビアはその認知と非常に密接な関係を持たざるを得ないと、合理的に説明いたします。)

日本史最大の怨霊信仰の対象となった大魔王は、崇徳上皇です。
崇徳上皇は流刑の地、讃岐で、舌先を食いきって流れる血潮で五部の大乗経の奥に呪詛の誓文をお書きになりました。
その納経を朝廷に断られたため、これを竜宮城に収めて「君を臣とし、臣を君となす」と日本の大戦乱に導く願いを立てた人です。
明治3年、大政奉還のときに明治天皇は跡祚(皇嗣が天皇位を継ぐこと)の即位式をすぐに実行せず、まず崇徳上皇を遷座し京都に帰還させたのちに、即位を行ったそうです。

天皇家にって、崇徳上皇の安堵はそれほど格別に大事なことだったのです。
というのも怨霊信仰と天皇信仰は、表裏一体の関係にありました。
人々が怨霊を恐れれば恐れるほど、怨霊の怨念や祟りを善良なものに転化しうる「現人神=天皇」の能力は高いものとされるからです。
明治維新後、たくさんの銅像が東京にたてられます。
西南の役で破れた、旧武士階級の象徴、西郷隆盛が上野の銅像に。
楠木正成は皇居前の銅像に・・・・正成は現存する天皇家(北朝)と対立した南朝に使えた異能の武士です。
???と思いませんか?なぜ賊軍の将が、かくもおおっぴらに祀られるのか。

 閑話休題。ちなみに気象庁前には平安時代の官僚、和気清麻呂の銅像があります。この銅像は紀元二千六百年記念として陸軍大臣の働きかけにより、昭和15年に建ったものだそうです。(東京の銅像ベスト10
それをさかのぼること約90年前の1851年、孝明天皇は和気清麻呂の功績を讃えて「護王大明神」の神号を贈りました。かつて弓削の道鏡が皇位を狙ったとき、和気清麻呂が宇佐八幡宮から持ち帰って奉告した神託は次のようなものでした。 「わが国は開闢以来君臣定まりぬ。臣をもって君となすこといまだこれあらざるなり。 天つ 日嗣(ひつぎ)は必ず皇緒を立てよ。無道の人はよろしくはやく掃ひ除くべし」 この神託により皇統を守る結果となった結果、和気清麻呂は皇道の守護神となりました。
日本の政教分離、そして君臣の危うい関係を示すエピソードと感じます。この法を越えようと試みた敗者が、天皇家にとっての怨霊となり、その鎮魂が天皇家の新たな役割となるのです。

 これらのエピソードにみられるように、明治以降、近代国家建国のさなかであっても、社会の重層低音的な心理は、怨霊への慰撫と、それをなす天皇制への信仰という対置を求めていたのだと思います。
このタイトルとここまでの文章で、すでにこのエントリの本意は皆さんにお伝わりと思います。

A級戦犯を全国民が許したわが国の深層心理は、おそらく・・・・・わが国古来の怨霊信仰に根ざしています。靖国をめぐる出来事がなぜ私たち日本人の心をここまで揺さぶるのか。おそらくこれがその本質です。
彼らだけを戦犯とし、残りの日本人が平和の豊かさを享受する。
平和や豊かさが浸透すればするほど、彼らの恨みや怨念、祟りは余計恐ろしいものに膨れ上がります。

ちなみに戦国時代の武士は、それほど恐ろしい怨霊になっておりません。たとえば織田信長は自らを宗主とする帝国創立の志半ばで死にましたが、信長は怨霊になったか?戦国時代と明治期は日本史の陽の時代。天皇家の復興の機運があったためではないかと思われます。

戦中や戦後は違います。日本史における陰の時代、天皇家没落の原因を探る怨霊の時代であったといわねばなりません。
「昭和天皇が第二次世界戦争後にあの戦争は間違いだった言われなかったのは、その陳謝の言葉により聖戦のために死んだ人々を(さらに)、怨霊においやってしまうことを恐れたから」と小室直樹先生は上記の対談で指摘しています。
靖国神社は、おそらく間違いなく敗戦の死者という「怨霊」を慰めるためのものです。その怨霊を天皇家が祀らないという不幸を、私は心から悲しみます。

A級戦犯の場合、彼らの死が戦死ではなく絞首刑という非業の死、ということが、むしろ彼らを恐ろしい怨霊にさせかねない怖さを与えてるのだと思います。なぜなら彼らの死は、私たち国民や天皇が、自らの責任を減ずるかわりに受諾した死でもあるからです。さらに。彼らは戦前・平泉思想にみられるように、君臣の立場を変える革新思想の持ち主であり、統帥権を干犯しながら昭和天皇の志向した平和路線に対して、常に消極的反対という立場をとりました。
 つまり彼らA級戦犯は強烈な怨霊になりうる、あるとあらゆる要素を持っているのです。
しかし彼らを怨霊にしないために祀る必要があるとして、上記すべてを考えあわせた上で、さらにそれが靖国神社である必要があるのだろうか。それは天皇の参拝を妨げることにより、他の無名戦死者(下級将校・兵士)を怨霊にしたてあげることに、つながってはいないだろうか。
そもそも首相は政治的主張は別にしても、怨霊の慰撫ができる霊性がそなわっているのだろうか。私たちは政治にとらわれるあまり、本来神社と天皇家がなすべき霊的な役割を無視した議論に陥ってはいまいか?

 以下は私個人の意見です。明治以降の軍神、たとえば東郷平八郎を祀る東郷神社であるとか、それこそあらたに有志により「昭和受難者慰霊碑」「昭和受難者神社」をきちんとつくって、日本の歴史に則り彼らの霊をきちんと慰撫する。
そのうえで、靖国神社にはやはり天皇に再び、参拝を願いたいと思います。

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Comment

1 - Name: 憂国、喝!だいち : 2005/11/05 17:06

はじめまして。憂国、喝!のだいちと申します。
大変興味深いトラックバックありがとうございます。
私も、頂いたTBの内容と似たような感じを心に抱いておりました。
謂れなき罪を背負って処刑された東條元首相、
どんなに無念だったろうと思います。

そして、未だに亡くなった方々に鞭を打ち続ける左派勢力、
怨霊となって退治して頂きたいものですが、それよりも先に、
処刑された指導者達の霊を、安らかに眠らせて上げたいです。

こちらからも同じものも含め、複数の関連記事をTB致します。

2 - Name: だんな : 2005/11/05 20:57

TB有難うございます。
怨霊信仰と靖国神社との関連性、本質はそこにあるかもしれないと感じさせられました。しかし戦後日本においては一切の議論がタブー視され、歴史の客観的な評価も一切なされずに60年を経過しました。
だから靖国神社自体が政治利用され、外交問題にまで発展するのではないかと考えています。本来の信仰に立ち返るのなら、客観的な過去の歴史評価の後、純粋な慰霊の想いで参拝すべきと思うのです。

3 - Name: 我善坊 : 2005/12/13 19:21

初めてコメントさせていただきます。貴サイトを以前からときどき拝見しておりました。
特に「父 吉田満の遺言」(’05年6月21日)には大変感銘し、無断ではありましたが、社内報の小文に一節を引用させていただいたこともございました。
「靖国神社・怨霊鎮魂説」は、伝統的な神道の思想からすれば十分に説得的なものであると存じます。しかし問題は、独立した宗教法人たる靖国神社が、明確にこの見方を否定していることです。
靖国神社では戦死者を「戦争犠牲者」とは断じて呼びません。「喜んで国家のために生命を捧げた英霊」であると称しています。
素朴な日本人の感情から「怨霊・鎮魂説」を考えたとしても、それは当の靖国神社が真っ向から否定しているのです。ここに伝統的な神道と「国家神道」との根本的な相違があります。
「神社当局の説明を自分は受け容れない、自分の考えで参拝する」というのであれば、小泉首相の言い分と同じですが、それだけでは他に対する説得力は皆無です。
信仰はあくまで内面の問題ですが、それを形に表したときには説明責任は免れない。それは首相であっても一個人であっても、同じだと存じます。
戦前戦中生まれに靖国神社に懐疑的な人が多いのは、国家神道の本質について経験を通じて分かっているからだと存じますが。

4 - Name: bold : 2005/12/14 23:57

我善坊さま。

御意見に賛成です。

私は怨霊説に決して組するものではありません。
但し私たち日本人の心性を真正直に観察した後でなければ、結局近代主義、近代国家としての国家の論理(論理は心性や感情の排除をある程度必要とする)の一貫は難しかろうと思い、まずこの一文を書きました。


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