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映画「男たちの大和」は名作であるが盗用がある

2006/01/31
戦艦大和や靖国問題

 十二月に東映配給の「男たちの大和」を拝見しました。
日本の戦争映画の歴史に残る名作と思いました。
大規模なロケセットに投資したこと。CG技術の進展。また辺見じゅんさんの原作が、大和の下士官の生活風景を細やかに描いており、映画の味わいを深くいたしました。
戦後60年がたって私たちが私たちの歴史にリスペクトに関心をもちはじめたという時代背景もあると思います。

過去には私の父の「戦艦大和の最期」を原作にした映画もあるのですが、父が主に描いたのは学徒士官の世界。また戦争の遂行そのものの記述がメインとなるため、映画としては人間ドラマにややかけるきらいがあったように思います。
大和ミュージアムにいきますと、東京出身の戦死者はわずか10余人。士官全体で160人余り。ようするに一部のエリートのみが大和に乗艦し、残りは10代後半~20歳代の若き水兵たちでした。広島、岡山、愛知、岐阜など水兵を募集した地区ではそれぞれ数百人の戦死者が出ています。彼らの大多数は大和の喫水下にいたり、あるいは機銃に張り付いて生き残る可能性が絶望的に少なく、果敢な最期を遂げました。彼らを中心で描いたことが映画のひとつの成功の理由と思います。

一方映画の後半には、臼淵大尉が登場し次のような台詞をガンルーム(士官次室=准士官や候補生たちの公室)で述べる場面があります。臼淵大尉の役を長島一茂さんが好演しています。最終シナリオ(脚本:佐藤純彌)
「日本は、進歩ということを軽んじ過ぎた。進歩よりも精神主義を重んじた・・・しかし、進歩のないものは決して勝たない。歴史がこれを証明している。幕末、薩英戦争で、負けた薩摩、馬関戦争で敗れた長州は、その後、攘夷鎖国を捨ててヨーロッパから新式の武器を輸入して幕府を倒した」
「敗れて目覚める・・・・それ以外に日本が救われる道があるか?」
「今。目覚めずしていつ救われるか?・・・俺たちは日本が新しく生まれ変わるために先駆けのして散る。将に本望ではないか」

これは父吉田満が「戦艦大和の最期」で描いたエピソードであり、この映画のひとつの白眉になっています。映画は水兵の人情物語だけでは完成が難しかったと思います。大和出撃の意味、その歴史的意義と背景、そして自ら死地に赴いた人間たちの心意気、現代につながる彼らの清新な精神を描くことにより、この映画はある種の普遍性を帯びたのではないでしょうか。
しかし映画を最期まで見たときに私は驚きました。映画は様々な協力者、引用、取材者を明記しているものの、父の名前はありませんでした。そもそも母が管理を行っていたことですが、この文章を使うということについての事前の相談は一切ありませんでした。
ちなみに原作である辺見じゅん氏の「男たちの大和」では父の文章がそのままのせられており、引用が明記されています。つまり原作であった引用の明記が映画では削除されていることになります。

映画には心から感銘を受けたものの、レスペクトがないことに何かしら釈然としない気分を抱きながら帰ったのですが、その後父の友人、戦友、知人から上記の指摘を数多くいただき、これは真相を究明しなければいけないと思い立ちました。

東映坂上プロデューサーと年末におあいし、まず謝罪の言葉をいただきました。「運悪く見過ごした、背景の追求はしたくない」「リスペクトにかけたといわれても返す言葉がない」「誠実に対処したい」と言うことを言われました。驚くべきことはそれに取り掛かろうしているさなか、1月18日に母が急死いたしました。喪主としての仕事があり、この件については対処が遅れておりました。
あとはどのように処理をしたらいいのかの相談を弁護士にたっていただきお話ししています。また決着はみておりません。これが現状です。

しかしこの話はものすごい奥深く興味深い時代性を背負っています。
そもそもドキュメンタリーは事実なのか、創作なのか?という問いかけがあります。
ここには翻案著作物の根幹をめぐるホットな法的問題があります。

もし大和がドキュメンタリーであれば、この発言は歴史的事実であり、著作権は父には多くは発生しません。(発言された臼淵大尉自身に帰属、一方父には編集著作権)
もし父の創作性が加味されたのなら、父の著作権を侵害することになるでしょう。
父が戦後、出版するまでに大和をたびたび改案したことは広くしられています。
それを批判する立場としてもっとも有名なものは、

落ち葉のはき寄せ「戦艦大和ノ最期」初出の問題 江藤淳
でしょう。

というのも父が当初戦後すぐにこの本を書いたとき、GHQの検閲があり、この本は軍国的すぎるとして発禁処分になりました。その後多くの人々吉田健一さん、白州次郎さん、吉川英次さんらの尽力により27年に出版にこぎつけたのですが、その間父は発禁を逃れるためと、また作品の文学性を高める意図があったのでしょう。相当の推敲を重ねました。
たとえば、初出であるシーンで「待テ、今聴キシモノ、マサニ然リ 音楽ナリ」
の一文には「『バッハ』ノ主題ナリ」が加わっています。
江藤氏は「もし」という注釈つきですが、この論考において「文学性の基準を、いかに深く真実が表現されているかに求めるとするならば」という立場から、「この行為は記憶の補填ないし、文学的な虚構の導入である」とばっさりきって捨てられます。江藤氏は、この改変を占領政策的なもの、戦後思想的なるものへの「敗北」と非難しました。

さらに正面きって、この臼淵大尉の発言は偽造であった、戦争のさなかにこんな発言ができるわけがない。というご意見の著書もあります。この方はこれらの批判を率いて講演会を行い元気に活動されているとお聞きしています。

戦艦大和 最後の乗組員の遺言 八杉 康夫 (著)

この戦後の改変の事情については下も非常に参考になります。
大和の最期 これから 吉田満戦後の軌跡 千早 耿一郎

さらにこの「改変」に対して真っ向から弁護する本もあります。
戦後的思考 講談社 加藤典洋

加藤典洋先生はこれ以外に、
敗戦後論 加藤典洋
という戦後論の白眉を書かれています。

典洋先生の立論は本をお読みいただくとして、私の理解を簡単にもうせば「戦前の日本の戦後日本はよじれた。いずれにもいい点があり悪い点があった。そしてその転換は自ら作り出したのではなく力により強引に押し付けられたものだ。戦後のすべてを否定する立場に立つものとして江藤淳がおり、また戦前のすべてを否定する立場に大江健三郎がいる。この二人は両極端に見えて、自らのアイデンティティの厳しい痛みを伴う転向に直面しない人生を選んだという意味で、成熟できなかった双子のようなものである。そこでそのねじれやよじれを直視して人こそが大人である。」ということになりましょう。そのねじれを感受した大人の一人として、父は描かれています。

初出で現行の最期はこう結ばれています。
1.「志烈ノ闘魂、志高ノ錬度、天下に恥ジザル最期ナリ」
最終版では次のようです。
2.「今ナホ埋没スル三千ノ骸 彼ら終焉の胸中果シテ如何」

1.が戦争直後の真実の感想ですが、数年後の感慨をと聞かれて、やや落ち着いた立場から歴史を振り返る地点にたてば、2.の感慨に変わっていたとしてもおかしくありません。私はむしろ本作品が評価されたのは、戦後のねじれを受け入れた父が戦後の背景を取り入れてこの作品を繰り返し推敲し完成させたこと。それが作品の複雑性を高めより長い年月に耐えられる文芸作品としたのではないか、と思います。

さて父の初出のテキストより、臼淵大尉のセリフをみてみましょう。

1.「進歩のナイモノハ決シテ勝タナイ、負ケルコトガ最上ノ道ダ、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ、目覚メズしてイツ救ワレルカ、俺達ハソノ先導ダ」(戦艦大和ノ最期 初出テキスト。)

昭和27年に出版された「戦艦大和ノ最期」では次のようになっています。

2.「進歩のナイモノハ決シテ勝タナイ、負ケルコトガ最上ノ道ダ 日本ハ進歩トイウコト軽ロンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワツテ、本当ノ進歩ヲ忘レテキタ 敗レテ目覚メル ソレ以外にニドウシテ日本ガ救ハレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ」

 父が数年後に表現するときにこのセリフが父の頭に残ったセリフだったとして、それが事実なのか父が想像する、そうあってほしいセリフだったのか。真実はだれにもわかりません。しかし、こうしてテクストという形で記録直後と刊行の時点の比較があきらかになっているのは、文学史的にいっても、法的問題としても非常に興味深いことです。

冒頭に戻って。
男たちの大和の映画関係者がなぜこのエピソードを引用するとしたら不可欠であったと思えるレスペクトをなぜ「戦艦大和の最期」に対して払わなかったのか。特に脚本家にとり盗用かどうかは名誉にかかわる大問題のはずです。この問題についてはうっかりということはありえず、関係者での議論が生じた、生じないわけがないほどのこと、と私は推測します。
業界関係者の心理としては「多くの著作権者と交渉はしたくない」ということはよく理解できます。今回、このエピソードが映画にとって必要不可欠だとして著作権相続者と相談したさいに「そんなドキュメンタリーの一部として使うのは冒涜です」といった類の感情的反発が出るのを恐れた。これが大きいのではないでしょうか。また神話的になった「戦艦大和の最期」が、一部引用をするには重すぎた、ということもあるでしょう。

この指摘を行うかどうか、迷いましたが、ハルキ文庫にて、父の作品と相当似ている著書が12月にでていること。また、これらの作品が映画化される可能性があり、今回同様にリスペクトが支払われない可能性に直面するにいたり、それが父の作品へのそれなりのリスペクトを払われるものなのかどうか、注視の場で皆様にも見守っていただきたいと考えるにいたり、これを語ることといたしました。

ご参考:

提督たちの大和―小説 伊藤整一 今野 敏 (著)  ハルキ文庫
提督伊藤整一の生涯 吉田満
臼淵大尉の場合 吉田満著作集上 文芸春秋社

死ニ方用意―小説臼淵大尉 長谷川 卓 (著)  ハルキ文庫

戦艦大和ノ最期 吉田 満 (著) 講談社文芸文庫
「戦艦大和」と戦後 吉田満文集 ちくま学芸文庫

決定版 男たちの大和〈上〉 辺見じゅん ハルキ文庫

決定版 男たちの大和〈下〉 辺見じゅん ハルキ文庫
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海軍の士官が軍刀をふるって悪いのか?
父 吉田満の遺言
「戦艦大和の最期」をどう読むか Vol.1
「戦艦大和の最期」をどう読むか Vol.2

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Comment

1 - Name: 渚のバラード : 2006/02/07 18:30

拙ブログ1/14付『臼淵大尉に見る「男らしさ」』にトラックバックをして戴き誠に恐縮です。また、こちらが故吉田満様の御子息が運営されるブログと知り、吃驚した次第です。

但し、一点不満があります。トラックバックに際し、一声掛けて戴きたかったのですが。BBSなりコメント欄もありますので、今後はこの点につき御配慮をお願い致します。

2 - Name: bold : 2006/02/07 20:53

渚のバラードさん。
失礼いたしました。実は・・・
トラックバック前にことわるというルールを知りませんでした。ごめんなさい。

3 - Name: mori夫 : 2006/02/08 11:18

49才の会社員です。

渚のバラードさんご紹介で、このブログ記事を読ませていただきました。その感想を書かせてください。

実在の人物である臼淵大尉が、最後の決戦に臨んでどのような言葉を残したか。真相は誰にもわからないことですよね。映画や記録小説のセリフとして、そっくりそのまま使えるようなことを、言ったはずもありません。同僚たちとの激論のなかで、断片だけでは決してその意味の重みがわからない、様々な生の言葉が飛び交ったことでしょう。

歴史の真実は、当事者が事実として実際に発した言葉のなかにあるのではない。死んでいった彼らが、本当に言いたかったこと、言い残したかったけれど口に出して語ることができずに終わったこと。そちらのほうにあるのである。それを言葉にして今日に復活させるのが、文学者や歴史家の役目だ。 そういう意味のことを小林秀雄が言っています。

吉田満様の初出テキストの臼淵大尉のセリフ。
「進歩のナイモノハ決シテ勝タナイ、負ケルコトガ最上ノ道ダ、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ、目覚メズしてイツ救ワレルカ、俺達ハソノ先導ダ」

この言葉が、臼淵大尉ら当時の兵士たちの心の真実に、最も近いのではないでしょうか。そう素直に解釈することに、私は間違いはないと考えます。

映画「男たちの大和」の感想を書かせてください。

この作品は、理不尽な運命と闘う人間のドラマとして、秀逸であるのは間違いありません。しかし(これは観終わってから数週間がたち、いまになって考えることなのですが)、当時の日本人の心を描いた作品としては、少し現代的価値観による脚色が過ぎるなあ、というふうに思います。

この作品は朝日新聞も協賛しています。なので台本には朝日の意向もかなり入っているという噂があります。「天皇陛下」「靖国神社」という言葉は、セリフのなかにいっさい出てきません。(その代わりの妥協なのかどうか、大和の艦首にある菊の紋は、映画のなかで、けっこう強調されています。)

「天皇陛下」「靖国神社」の二つの言葉を抜きにして、当時の日本人を語れるのでしょうか。当時の日本を描いたことになるのでしょうか。

「大和は沖縄に行くでのすね。沖縄を守るということは、日本を守ることですね」と、若い兵士が上官に言う、とってつけたようなセリフがあります。これはおそらく、唯一地上戦で大量被害に遭った沖縄民への、弁解の言葉でしょう。「本土人は沖縄を見捨てていたわけではない」という。

また、いよいよ戦闘のために乗艦するというときの、森脇二等兵曹の、「オレの母親と妹は、何としても守ってやりたい」という不自然なセリフがあります。当時兵士は、自分の母親や妹だけを守るために、闘ったわけではないと思うのです。やはり、日本という、お国のためだった。それをこんなふうに矮小化して脚色してはいけないと思う。朝日の戦後民主主義的な検閲が、この映画に入っていると感じざるを得ません。

別に軍国日本を復活させたいわけではないです。しかし歴史を故意に、自分たちの主張に都合のいいように脚色するのでは、私たちや、私たちの後に続く者たちが、歴史に学ぶということが、できなくなります。

ただし朝日が台本に介入したのではないかというのは、私のまったくの憶測です。根拠はありません。

この元航空自衛隊員で軍事評論家の佐藤守氏のブログ記事を読んで、そんな空想をしただけです。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060121/1137818297

案外この映画は、日本の左派と右派の協力によってできたもので、「天皇」「靖国」というある意味アレルギーの強い言葉を避けたことによって、観る人の抵抗感をなくし、当時若くして死んだ兵隊とその家族を、素直に見つめる目を日本国民に与える、良い結果となったのかもしれません。

長文で、失礼いたしました。

4 - Name: mori夫 : 2006/02/08 14:28

このひとつ前でも投稿させていただいたmori夫です。渚のバラードさんがコメントされているので、私もいつもの調子で(他のサイトで氏といつもご一緒しているので)、気楽に投稿してしまいましたが、初めてご訪問するにあたっての文章としては、不適切で失礼な文体でした。申し訳ございません。

吉田さんのお書きになっている文章を、いろいろと拝読させていただいています。これからもちょくちょくお伺いしようと思います。よろしくお願いします。

5 - Name: bold : 2006/02/09 01:33

mori夫さん、ありがとうございます。ばっちり熱く書き込んでいただけると、うれしいです。

6 - Name: 斯波義真 : 2006/03/02 04:49

50歳の日本の昔話全般に関心のある会社員です。
昨年、「鎮魂 吉田満とその時代」を読んだり、年末の映画封切り鑑賞で
久々に「大和」モードに浸っています。

臼淵磐さんのことを検索していて、ここに辿り着きました。
誠に失礼ですが、
吉田満さんのご子息がこのように語っている所があった
なんてと驚いています。
この「・・盗用がある」という刺激的なタイトルの内容を読んで、
私にとっては皮肉なことですが
臼淵さんが語った内容は歴史的事実であると言う証拠はない、
吉田満さんという伝承者が後世の人たちにエピソードを伝えるために
著作物に記述した一節だったという事実があるのみ
と今更ながら思い知らされました。

mori夫さんがおっしゃっているように
--------------------------------------------------------
吉田満様の初出テキストの臼淵大尉のセリフ。
「進歩のナイモノハ決シテ勝タナイ、負ケルコトガ最上ノ道ダ、
ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ、目覚メズしてイツ救ワレルカ、
俺達ハソノ先導ダ」

この言葉が、臼淵大尉ら当時の兵士たちの心の真実に、最も近いのではないでしょうか。
--------------------------------------------------------
に同意見です。
いや、仮に創作に近いものであったとしても、
臼淵さんが日頃語っていた端々や行動に基づいて「想っていた、
語ったはず」の言葉であると考えており、小説としての創作とは
一線を画する内容であると思います。

文字通り、時代の大きな浪のうねりに身を任せざるを得ない状態でも
自分を失わずに前向きに歩もうとする姿を示すもので如法暗夜に点る一灯です。
この一節がなければ、大和特攻は悲壮さ、哀愁のみでしか表現できな
かったでしょう。大和だけでも3,000人の犠牲者、本当に哀れです。

毎年、4月7日になると臼淵磐さんの顔(海兵時代)を思い出します。
午後になると、九州大分から南に向かって合掌します。
士官次室の記念写真では、中央に座っている姿を見ると小柄な方ですね。
大和は夕刻、大分の沖を通って豊後水道に抜けたらしいですが
名残りの桜は本当に見えただろうかとずっと気になっています。
海に面した(猿で名高い)高崎山も、その季節になると、
桜があちこち咲いて全山ピンクのまだら模様になりますが、
夕刻ですし、遠いですしね。


7 - Name: bold : 2006/03/04 21:54

父が死ぬ直前に書いた文章の一節です。(1979年;バブル前)
これはまさしく、臼淵大尉の言葉を受け止めてきた父の詠嘆だったのではないでしょうか?

「私は今でもときおり奇妙な幻覚に捕らわれることがある。
それは戦没学徒の亡霊が、戦後三十数年を経た日本の上を今、繁栄の頂点にある日本の町をさ迷い歩いている光景である。
死者が今際のきわに残した執念は容易に消えないものだし、特に気性の激しい若者の宿願はどこまでもその望みを遂げようとする。
彼らが身を持って守ろうとしたいじらしい子供たちは、今どのように成人したのか?
彼らの言う日本の清らかさ、高さ、尊さ、美しさは、戦後の世界にどんな花をさかせたのか。
それを見届けなければ、彼らは死んでも死にきれないはずである。
彼らの亡霊は今何を見るか、商店の店先で、学校で、家庭で、国会で、新聞のトップ記事に今何を見出すだろうか?」

追伸:東映さんからは、映画以降のテレビ放映、DVD、パンフレットなどで引用を明記するむね、誠意あるご回答をいただきました。


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Warning: include_once(http://www.nozomu.net/journal/side_category.html): failed to open stream: no suitable wrapper could be found in /home/users/2/nzm/web/nozomu.net/journal/000182.php on line 507

Warning: include_once(): Failed opening 'http://www.nozomu.net/journal/side_category.html' for inclusion (include_path='.:/usr/local/php/7.4/lib/php') in /home/users/2/nzm/web/nozomu.net/journal/000182.php on line 507