花押は鳩居堂でつくられる |
2001/03/16 歴史と社会 |
みなさんは花押という言葉を知っていらっしゃいますか?
http:// www.sengoku-expo.net/ text/ design/ J/ signature.htmlをごらんください。
花押は武家社会にもともとあった風習です。
文書を他人に代筆させる風が中世の武士の間に広まって、本来の差出者は実名の下に花押だけを署記する風習になったのです。
もうひとつあるのは同族・主従などの集団において,メンバーの花押が似ている事です。
「こうして花押は差出者本人の意思の証憑,文書に証拠力を付与する源泉とみなされ、差出者の人格のシンボル!とすら考えられたのである。」
これは何故だと思いますか?
今でこそ通信の自由はある程度保証されていますが、戦国時代、その保証はまったくありませんでした。
同盟を結んだり協定をつくるのに、まず先方の意向を知ったり意思を確認するのが大作業だったのです。飛脚をだしても途中で手紙が盗まれたり、差し替えられてしまいます。自分で動こうものなら途中で暗殺の危険があります。
結局、手紙を誰かにかかせ、自分がそれを認めたという証拠をつけて、その手紙を書いた張本人に交渉に行かせる。それしか確かな伝達手段がなかったのです。
そのため花押には通常2、3ヶ所普通の書き順とわざと違えてある場所があります。
例えば左から右に書くべきところを左から右に。あるいは下から上へ。
その場所をあらかじめ他の手段で先方に伝え、偽書かどうかの確認をさせたのです。
1873年維新政府は,実印のない証書は裁判上の証拠とならないという太政官布告を発して、ここに花押使用の長い歴史はほぼ終わりました。
しかし戦前陸軍の上層部に花押使用の風が残り、また戦後の自衛隊にも一部花押が用いられているようです。
そして内閣制度発足後、この制度はまた復活したのです。大臣は大臣副署や閣議書類のサイン用に花押を用いるようになり,閣議書類については今日もその慣例が守られています。
今大臣になると秘書官がうやうやしくやってきて最初にいうことは、「花押とモーニング(認証式のため)を作り下さい」というセリフだそうです。
(きっと新大臣は大臣を辞めた後のお土産が出来て、とってもうれしいと思います)
その花押を彼らがどこで作るかご存知ですか?
それは銀座鳩居堂だそうです。私が知る限り、ここが日本の花押の今日唯一の製作所なのです。
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