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未来からのアセスメント

2000/12/01
歴史と社会

(この原稿をもとに12月9日朝日新聞ウィークエンド経済の執筆記事を作りました)

  ウォルターリップマンというアメリカのジャーナリストは次のような金言を残した。
 「人間の公共性とは選挙や世論調査の多数決だけできまるのではない。公共性にはかつて生きた先祖たち、これから生まれてくるであろう子供たちを含めなければいけない。」
 今後のIT(情報通信)分野への公共投資がどうあるべきの議論において上の言葉は重い。
 これまで日本では公共投資=インフラ(ハード建造物など)投資と無条件に考えられてきたが、それは次のような理由による。

  1)監査がしやすい(投資が目に見えて確認できる)
    投資の決定が、その地域の人以外により、たとえば中央官庁によって行われ、さらにその投資がその地域の税負担という痛みをともなわない場合、その投資はむだに不正に費やされやすい。したがって国は目に見えて監査がしやすいインフラ投資を好む性癖がある。

  2)投資の効果判断とリスクを未来に先送りできる
    公共投資はふつう数十年におよぶ減価償却・投資回収期間が設定されている。さらにその期間は作為的に延長されてきた。インフラが物理的に耐えられる耐用期間と、その仕組みを社会が使う耐用期間は違い、通常後者の方がはるかに短い。しかし、国は意図的にこれらを混同し、後者の社会的耐用期限という議論を無視してきた。
    なぜなら、ある一年に償却できる投資の上限が決まっている場合、償却期間が長いほうがその年の投資総額を多くすることが可能になり、予算の消化が進むからである。シンクタンクも罪が重い。通常数十年にわたる投資の数量的予測は不可能な場合が多いが、日本ではなぜか意図的につくられた予測数字が一人歩きし、無責任な決定を助長する場合が多い。その投資回収が数十年におよぶ場合、その無責任さはその世代の政治家や官僚、あるいはシンクタンカーらが生きている間には問われることがない。

 今河口堰、農業道路などの伝統的な公共投資では長期にわたり中断されたり着工できない公共投資を見直す「時のアセスメント」が進行中であり、この夏政府与党は23事業の投資を中止した。企業ならば投資期待収益率を使い、最低数年おきに投資継続の可否を決めるのが普通であるが、官もこの制度に一歩近づいたことになる。
 今議論されている公共投資のITシフトは実は、この時のアセスメントを未来にも適応できるのかどうか、未来の世代の生活に対する想像力と責任感が今の政治にあるのか、が問われているといえるだろう。今後の公共投資というのはITにせよ、それ以外の分野にせよ、今の子供たちが成人し、さらに次の世代が結局これを負担していくのだから、彼らがその投資を正当なものとして将来評価し、感謝するものであるべきである。
 つまり当該地域の将来人口、そのインフラの成長と使用度が未来の子供たちにとって割があうと確信するならば勇気をもってこれを行うべきであり、そうでないならば勇気をもってこれを行うべきではない。その未来への眼差しがあるかないか、が日本の公(おおやけ)を今厳しく問うている。
 私見であるが、これからの公共インフラは「サービス」であり「文化」であるべきである。具体的にIT分野にこれをあてはめてみると、今後日本社会が大きな変動を迎える時期にあたってまず、地方の行政、警察、消防機関、病院の各サービス水準がこれまでの日本同様高く維持されることが未来の子供たちにとってまず重要である。つまり、効率的でサービス精神にあふれる行政を実現するためのITであり、それには彼らのモラルの動機付けや習熟が重要である。
 次に地方でも質の高い高画質映像が供給され、その地域独自の文化風土の育成と魅力化が進むことが重要である。そのためには公共放送は首都圏に高画質番組製作、配信をする一方ではなく、地域の放送プロダクション産業にたいして彼らが幼稚産業の粋を乗り越える最低の投資を助け、あるいは番組枠を割り当てるなどの工夫が必要である。
 そうした観点にたちもどってITの本質を考えることが重要であり、高速光ファイバーも、大容量幹線も、あるいは高度な新規格も、実は枝葉末節の議論であって国が関与すべき問題ではないのではないか。
 その投資決定を間違えると、未来の住民は反乱を起こすだろう。効果にまったく見合わない税負担をあらかじめ約束されている子供たちは外国に逃げ、あるいはこの世に生まれないことにより税負担から逃れようとするだろう。税負担増加と住民減少の間には強いフィードバックが働くので、この過程は過酷かつ急激なものとなるだろう。
 未来からのアセスメントができる国なのかどうか。戦前の南米諸国のようなかつての大国として惨めな末路を歩むのか、あるいはイギリス、オランダのように一時代を制覇したのちも活力を失わず無事カムバックした通商国家であり続けるのか。投資における思想の有無は、実は21世紀日本の大きな岐路となるようにも思われる。

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