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人はなぜ会社をつくるのか

2001/05/31
ブランドと経営
利益と仲間と志

 今回は、「人はなぜ会社をつくるのか」ということについて書きたいと思います。人はなぜ会社(カンパニー)という集まりをつくるのだろう。もっというと……会社ってなんだろう。個人という立ち位置にもどって見ると、こんな疑問も湧いてきます。特に2001年のこの今、クリエイティブな業界にいるとなれば、なおさらそう感じます。
 なぜ人は会社をつくるのか。僕は突き詰めると、利益と仲間と志の3つだと考えています。これから、それぞれについて話をしていきましょう。

利益を生まない会社は解散せよ

 まず利益について。はっきり言います。会社は利益を生まなければ、社会に存在する意味がありません。利益を生まない会社は解散してその富を分配すべきです。そして仲間や志は、その会社とは別に求めるべきでしょう……(この断言は自分自身にとっても厳しい言葉ですが)。
 組織ができると利益上のさまざまな利点が生じます。これを少し詳しく説明いたします。まず「規模の利益性」というものが生じます。簡単にいうと、みんなで同じビルや経理部を持つと一人当たりの単価は安くなるという効果です。昔の会社は主にこのロジックで成り立ってきました。典型的には工場を持つ製造業がこれにあたります。
 次に「範囲の利益性」です。物をつくるだけでなく、販売するマーケティング機能を隣に持つと、そこでも儲かります。一度販売機能ができると、他の商品も売れる可能性に気がつきます。そして、さらに新しく研究開発を行って商品をつくり出す……。というふうに会社の拡大が起きてきます。たとえばデパートは「範囲の利益性」を体現した商売といえるでしょう。お客がいったん来店すると、すべての階でさまざまな商品を販売して儲けることができます。デパートに限らず多くの会社が数多い「事業部」を持っているのも、そうしたロジックの延長線上の話です。
 「規模の経済性」も「範囲の経済性」も、右肩上がりの日本経済のもとで「いけいけどんどん」が許された間は、うまく利益を生んでくれたのですが、最近は違います。利益を生まない事業部をたくさん抱えている会社が日本中にあって、リストラをせまられています。一つひとつの組織の機能が本当に意味があるのかを確認する時代、前述の「規模の利益」や「範囲の経済性」の効果を検証することが求められています。ですから、日本中の会社がさまざまな改革をせまられているのです。

会社はもはや以前の共同体ではない

 次に仲間について。
 共同体というのは、生活をともにする仲間ということですが、人間はなんらかの共同体に属さなければ生きていけません。それはたとえば国だったり、地域だったり、家庭だったりします。日本では第二次世界大戦のあと、多くの人々が、会社に強烈な仲間意識を求めました。なぜかというと戦後、多くの人々が大家族制度のあった田舎を出て、都市に移動をして新しい暮らしを始めました。彼らは、それまで属していた大家族を失い、その代わりに「自分たちはこれを一種の家庭だと思おう」と、多くの人が考えたのが会社だったのです。
 今は流行りませんが、会社が主催する運動会や花見、あるいは社葬、毎晩職場の同じメンバーで酒盛りをするなどという風習は、まさに会社が「共同体」であった時代の風景でした。家族では、子どもが親を、弟が兄を追い抜くことはありません。家族に定年もありません。「年功序列」、「終身雇用」という制度が普及したのは、実は戦後のことなのですが、それは会社を家族とおきかえる心情が広まったから、といえるでしょう。
 恐らく若い人の多くに、すでにその種の仲間感覚は失われていると思います。一方会社の上の世代、たとえば50歳台以上の人は「時代が変わったとはいえ、俺が定年になるまでシビアなことは避けてくれ!」と願う気持ちでいるでしょう。この10年間で「会社を生涯つづく共同体と思う気持ち」は確実に、事実低下してきました。
 仲間意識が強いと、利益が上がらなくてもお互いをかばおう、という気持ちが強くなります。また社会的に許されないような事柄を、組織の中で隠そうというメンタリティが生じます。内と外がまったく別。仲間という言葉の甘美さの裏にはこういった危険も潜んでいます。だから「仲間意識」をシビアに見直そう。これが今ひそかに多くの会社、組織に起こっているムーブメントだと思います(僕はしかし、この仲間意識の全否定も切ない気がします。成熟に自分が非常に時間のかかった人間であるせいかもしれませんが、人にはいい時期も悪い時期もあり、シビアでドラスティックな競争だけが組織を強くするとは思えません。これまでの「家族主義」とは違った新しい仲間意識が芽生えてほしいと思います)。

志が会社に富をもたらす

 お金のロジックも、仲間意識のメンタリティも、大きく変わっている。だからこそ、なぜ会社が必要なのか、あるいはどういう会社が望ましいのかというポイントをよく考えなければいけない時代ではないか、と僕は思っています。
 そこで「志」です。志というのは「ある領域で卓越したいという願望」です。たとえば「世界で最高のアニメをつくりたい」というのは立派な志です。重要なことは志の質と量です。ある人は志高く、ある人は低く、というような差が社内で大きければ、あるいは志を持つ人が少なすぎれば、組織が志を持つことは難しくります。
 また、志には「ある領域」という限定が必要です。この領域を経営用語で「ドメイン」と呼びますが、これが明確になるとその志についていきたい人々が集まってきます。この「ドメイン」は、必ずしも特定の産業や伝統的な業種を意味するわけではありません。今、ブロードバンドの波がきて、あらゆるメディアが融合する時代に、テレビだ、ネットだ、デザインだ、と切り分けてみても、あまり意味はありません。「さまざまなメディアの融合領域」。これも立派な「ドメイン」だと思います。
 次に、リーダーが志を自ら掲げることが重要です。彼以外には、彼が示す稜線(山の輪郭をつくる線)の高みを会社に与えることができる人は存在しないのです(それができる人がいればその人がリーダーになることでしょう)。リーダーの稜線を描く視線と、そこに部下を導く意志の強さが、その組織の志を相当程度決めると思います。
 そしてこの志は、会社に富をもたらします。志に同感する社員が集まり、その志に期待する仕事がきて、会社にブランドが生まれます。加えて、卓越するための技術や努力が、会社に競争力をつけるからです。
 アメリカではたとえばこの「志」をミッションステイトメント(設立趣意書)として書き出している会社が数多くあります。いわば会社の憲法です。「たてまえ」としては、社員はその憲法に賛同して入っているのです。この「憲法」は時代が移れば、別に書き換えてもかまいません……要するにある程度の分量の文章で表現され、時のリーダーや社員は自分の志とその文章を時々参照できれば良いのです。
 組織の輪郭があやふやになった時代。人々は自分の志のために仲間を集め会社をつくる、あるいは会社に属すことを決意する。これが今回の結論です。

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