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クリエイターのブランドとは?

2001/05/21
ブランドと経営
クリエイターのブランド
(ディレクターズマガジン6月号掲載)

 ブランドという言葉を僕たちはよく耳にします。
 この言葉の定義には多種ありますが、簡単にいうと「その商品の醸し出す雰囲気が明確に伝わること」だと思います。
 商品と同様、人にもブランドがあります。一般的にクリエイターの中には、自分を人から名前が知られるようなブランドにしたいと考える(あるいは自然とそうなる)人と、知名度を求めるのではなく、与えられた仕事をきちんと行う人材でありたいと考える人の、両方が存在するでしょう。
前者の代表選手にタレントや作家という人たちがいます。一般人にも名前が知られており、いわゆるB to C業界にいる人たちです。一方業界の中で知られている演出家、脚本家、プロデューサー、テクニカルディレクターといった人たちは、B to B業界にいる。その中間に、映画監督やCMプランナーや作曲家、つまりB to B業界にいるが、それなりの知名度を持つ人々が存在します。

ブランドと知名度は別物

 B to B業界の人が一般人にまで名前が知られるようになること、つまりBtoBとBtoC業界の中間に位置することの「損得」というものが生まれます。
 知名度が上がればいろいろな出会いがあり、職種によっては有利になることも多いでしょう。たとえば、映画監督がその典型。映画はまず製作資金集めが重要ですし、パブリシティ上、監督が有名なほうが製作のプロセス自体がメディアに出やすくなるからです。
一方、僕がよく知っているのはコマーシャル業界ですが、あまり知名度が出過ぎると、もともとのコマーシャルの仕事が減ってくることが、ままあります。知名度が出る、とは創作活動の旬を迎えて、社会のブームにたまたま乗る、ということです。しかし世の中は、浮気で飽きやすいもの。B to C業界に生きる過酷さとは、世間に一度もてはやされながら、あっという間に潮が引くように人気が下がることであり、この流行の摂理のコントロールは極めて難しいのです。BtoC業界に生きる多くのタレントたちは、その不条理さの中でのサバイバルを行っており、ごく一部の幸運と才能と努力の気質に恵まれた人だけが、新しい年齢ステージに対応した自己革新を成し遂げてクリエイティブな大スターでありつづけています。
一般にB to B業界からB to C業界への転進は不可逆、つまり引き返すことが難しいのではないでしょうか。タレントは、一度タレントになれば死ぬまでタレントです。ですからB to B業界に長くいたい人は、その知名度やイメージコントロールが非常に重要であり、登場するメディアやその露出の方法についての慎重な選択が必要である、と僕は思います。



ブランドとナルシズムは違う

 世の中にはナルシストと呼ばれる人たちがいます。自分を客観的に観察するのではなく、美化して眺める癖のある人たちです。僕が知る限り、成功しているタレント、CMディレクター、作家たちの多くはナルシストではありません。著名であることや、孤独であることの過酷さが、時として「俺は正しいし才能にあふれている」といった、自己暗示を必要とすることはもちろんありますが……。
ものをつくることは、かなりの集中力を必要とします。ですからクリエイターの多くはオタクといえるでしょう。しかし、多くのクリエイティブな作業は、大勢の人が協力し合ってひとつの仕事を仕上げていくものですから、独善は好ましくない。いい仕事をしつづけるためには、今仕事をしている自分を、もうひとりの自分が横からチェックし、問題があれば改善をするというようなことが必要です。
 つまり「没入する自分と、それを客観的に横から見ている自分の2人がいて、その間をうまく行き来できる」才能が、自分をブランドにしていくためには必要なのです。決して他人や世間に迎合しろ、と言っているわけではありません。
 毎回、毎回の仕事にはさまざまな制約や条件があり、そして、自分の好む好まないにかかわらず、それなりに異なった作風を要求されるもの。その中で、完全には迎合せず、わがままにもならず、自分なりの人生の軌跡の中で、自らの「作風」の系譜をつくれる人が、ブランドになっていくのです。

補助線を引いてみる

 僕はその仕組みを「補助線」と呼んでいます。もっと簡単に言えばテーマでしょうか。「ポリシー」と呼ぶほど強いものではないし、性格というほど生まれつきのものでもありません。自分のイメージや作風ではなく、それをつくっていくための「努力目標」です。
補助線は、自分だけでつくるものではありません。多くの「ブランド」は、彼の考え方のリファレンス(参照)をとれる友人やスタッフがまわりにいるものです。やはり、自分だけで自分のことを考えるのはなかなか難しい。多くの人にはその人なりの強みもあれば、弱さもあります。自分だけで補助線を描こうとすると、自分の「弱さ」を補うような補助線を描いてしまうことがある。時代に合わない補助線を描いたり、今の自分の実力では無理な補助線を描いてしまうこともあります。
また重要なのは、一度成功した補助線をある時期に引き直すかどうか、という選択です。一生が1本の補助線ですむ人は幸せ。しかしその補助線への接近具合によって、あるいは世間とその補助線のずれ具合によって、達成感や加齢による自然な変化への自己欲求によって、多くの場合、人生で何回か、その補助線を引き直すことが必要になる場合があります。その決断はなかなか自分ではつけられません。さらに新しく引き始めた補助線は、なんとなく違和感があり、最初はうまくいかないため暗中模索する場合も多いのではないでしょうか。ですから率直で大胆な助言をし、かつ力づけてくれる友人(きっとその人自身が、その能力によってある種のブランドだと思います)が、そのときに近くにいてくれることはとても貴重なのです。

僕が描いた新しい補助線

僕は理論家なので、自分の30歳前後からこの10年間の補助線を「メディア・経営・テクノロジー」の上においていました。インターネットやデジタルのブームに乗って、少しだけ知名度が出ましたが、今思えば、僕なりにそれが自分のブランドになるという計算の上で行っていたのかもしれない。ですからもし80年代だったら、音楽か、スポーツという別のテーマを選んでいたのかもしれません。僕はしかしその補助線の上で、なまじ計算づくの流行に乗ったために、自分の本来の快活さや達成感を使い果たしてしまいました。そしていつしか、ひそかに人生の次の補助線を引く夢を描いていました。
 昨年、唐突に天恵がひらめいて、その補助線を「IT、ブランド、宗教社会学」においたのです。ここでいうITとは、自分勝手な解釈ですが、I=インディビジュアル&T=チーム、つまり「個人と組織」の新しい関係を意味します。今、時代の様相がわからなくて悩む人が多い中、この3つが救いになるのではないか、と漠然と思ったのです。その啓示に導かれて、僕は会社を辞め、個人としてこの課題を追求する、という道を選ぶことにしました。
 細い補助線だけを信じて生きる不安だらけの後半生になりましたが、驚くような出会いも増えています。たとえば……僕が前記したことについて考えるきっかけになったのは、タレントの堺正章さんと、たまたま「流行や人生」というテーマについて話し合ったからです。あれほどの集中力と努力の才能に恵まれたタレントでさえ、流行という大きな浮き沈みの中で、その都度、自分を見つめ直して意表をつく補助線を描いてきたからこそ、彼の今日がある、ということを、僕は44歳になって彼から教えてもらったのです。

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