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マルチメディアと国際標準

1998/01/01
メディア社会
これはまだ電通総研にいたときに書いた原稿で何かの本に載りました。そうでした・・・上智大学の音先生に頼まれた授業を原稿になおしたもので、一緒に本にしたのだと思います。あのころ、忙しくて、記憶が定かではありません。夢遊病のようなもので「やらなきゃやらなきゃ」と必死に思いながら無意識で仕事をしていたような感じでした・・・・もう露出がいやになっていて、多分向いていないのに必死で学者っぽいフリをしていたからでしょう・・・




1.標準化の歴史

 技術史や制度史は、そのまま標準化の歴史と読み替えることもできそうである。例えばローマ史を読むと、過去人類が行った最も大規模な「標準化」とは、暦と貨幣の「標準化」であったことに気づく。この両者にチャレンジしたのは、ローマを名実ともに世界帝国に仕上げたカエサルである。
 カエサル以前にローマ人が用いていた暦は1年を355日とする太陰暦であり、実際の季節とのずれを数年に一度一ヶ月づつ増やすという形で解決をしてきた。しかしカエサルが暦の改定を決意したのはそのずれの問題というよりは、「正確な暦さえ作れば、ローマ世界のどこでも受け入れられ、それによって生活のリズムも共通になると考えたから」である。「文化は異種共存であっても文明は共通でなければならない。日々の生活の計器である暦の共有はその第一歩であったのだ。」
 またカエサルは造幣権を元老院から取り上げて国立造幣所を設立し、金貨・銀貨・銅貨の鋳造業務をシステム化した。技術進歩が鋳造産業の集中化を可能にしたのである。だが重要であることは、カエサルは暦にしても通貨にしてもその採用を他の民族に強制はしなかった。そのため旧暦と西暦、現地通貨とローマ貨幣の併用が通例となった。今日、日本私たち人間の技術史や制度史は、そのまま標準化の歴史と読み替えることもできそうである。においても和暦と洋暦を併用しているし、また世界的に自国通貨とドルの併用が採用される国が多いのは、ローマに初端を発しているのである。


2.なぜ標準化が必要となるか?

 「対象とする物事に対して技術的・制度的な重複を極力取り除き、科学・技術・経済・行政の合理性を確保すること」これが標準化に対するドイツ規格協会の定義である。
 技術にせよ社会制度にせよ、その進歩の過程では個別化や差異化が必要不可欠である。複数の規格が成立することによって競争が生じ、規格の上に成り立つ商品やサービスの高度化が進むからである。しかし、ある程度個別化や差異化が進んでその商品やサービスが固定化を始めると、次には規格の重複や無駄が無視できなくなり、社会からあるいは市場から、標準化への要求が高まってそのムダを取り除こうとする強い力が働く。消費者にとって複数の規格を使いこなす努力は「ムダ」であり、ソフト流通産業にとって複数の規格商品を取り扱う「ムダ」が生じ、部品メーカーにとって複数の部品を作らなくてはいけない「ムダ」がある。

 「標準化」に際しては強い「収穫逓増」の原理、つまり「一度規格が定まれば、その規格に沿って生産と消費を行うほど、その規格のもつ経済的効果が強化される」効果が働く。昨今話題の「複雑性の経済学」では、この規格のもつ「ネットワーク外部性」といる経済効果が重要な研究領域の一つになっている。これはロックイン効果[1]とも呼ばれ、「必ずしも最善とはいえない規格であっても、一度決まればそれを覆すことは至難である」ことを示している。
 有名な例では、今日私たちが使っているqwertyキーボードは、もともとは、タイプライターの打棒が絡まないよう、タイピングの実行速度を遅くするために、頻度の多い文字順のキーが近すぎないようにわざわざ設計されたものである。つまり、このキーボードを採用したおかげで人類は、未来永劫恐ろしいまでに「ムダ」な時間を費やすことになった。しかしより合理的・効率的なキーボードは、これまで数百を下らず考案されているが、どれ一つ市場を獲得するにはいたってはいない。
 また、ビデオテープにおいて80年代にVHSとBetaという両規格が競争を行った時代があったが、勝ち残ったのはむしろ技術的には劣っているとされたVHSのほうであった。技術的に最も進んだ規格は、多くの企業に歓迎されずデファクトになりにくいのが普通である、とさえいえるだろう。
 皮肉な言い方をすれば、「悪い規格であっても規格がないよりはまし」というのが、この世の中全般に当てはまる定理であり、それが歴史を動かす大きな要因ということになるのであろう。


3.グローバル化と標準

 差異化と標準化の満ち引きをもたらすのは、大きな技術革新や、市場の地理的な統合である場合が多い。かつて帝国の確立時にこうした「標準化」が必要とされたことは、今日によく共通する教訓である。今、世界は交通・情報、そして政治制度といったあらゆる面でグローバル化の様相を強めているからである。
 なかでも現代特有の産業社会の特徴を指摘するとすれば、単に商品やサービスが平準化されるだけでなく、非常に複雑化して重なり合った産業をまたがって、部品や産業機器、デバイスなどの産業材においても強烈なグローバル化への圧力が押し寄せている点であろう。例えば、日立製作所のRISCチップMHは、ULTRA64に使われ、さらにWindowsCEを用いたモバイル機器にも、さらに自動車にも使われるといった具合である。
 今日マルチメディアと国際標準の問題を考えるときに、この産業材における市場統合の欲求は、無視できない影響力を持っている。というのはこれまでアナログの時代には、それぞれ切り離されていると考えられていたさまざまなメディア機器産業が、この働きによって統合されるだけでなくより大きな汎用機産業や自動車・産業機器産業と関連を持ち始め、以前よりはるかに大きな「グローバル規模の経済性」が働き始めているからである。その結果、これまで一国経済の元では注目されなかった制度や技術の「重複」があらゆる面で、大きなムダとしてクローズアップされているのである。
 具体的な例として、私たちが手にしている携帯電話を考えてみよう。もし世界の携帯電話が同一規格であれば、簡単な設定を行えば、今手にしている携帯電話をそのまま海外に持っていって使うことが可能である。実際消費者がそうしたニーズに直面しているヨーロッパでは、GSM規格が策定され、消費者は国外における通話サービスを享受することが可能になった。またフランスのミニテルや一時日本で流行った「キャプテン」端末は自国でしか使うことができないが、モバイルコンピュータをアメリカオンラインに接続すれば、世界中どこでもモバイル通信が楽しめる。商品もサービスも、消費者もすべてが今グローバル化に直面している状況では、規格統一をもたらそうとする市場のプレッシャーはかつてないほど強まっているといえるだろう。


4.市場競争が加速する標準化

 カエサルの時代であればカエサルが決めた規格が規格となったわけであるが、現代の時代、規格を定める主体と原因は、「グローバル社会における企業間・企業グループ間の「競争」に多くを求めることができるだろう。
 規格の決まり方については、従来次の二つの決まり方があるとされてきた。

    1)デジュア規格 予めメンバーのわかっている参加者によって、商品やサービスが市場に出る前に標準化が進められ規格が決まる場合
    2)デファクト規格 複数の規格が市場で競争を行い、その競争の帰趨によって規格が決まる場合

 さらにその規格を決めるのが企業間の話し合いや競争による場合と、国家間の話し合いや強制による場合がある。(下表)



 規格を決める主体が国家の場合、国家は市場競争には直面しないので、規格を決めるためには多くの場合、話し合いか、あるいは(武力による)強制に頼ることになる。話し合いを行うために、私たちはさまざまな国際機関、例えば国際連合、IMF、WTO、ITU、G7等のレジームが存在している。一方、例えば日韓併合時の韓国における氏名改姓や日本語の使用は、強制による「姓名制度や国語制度の標準化」でもあった。 武力による強制力が働きにくくなった第二次大戦以降、国家間の規格統一は基本的に国際的標準化機関による「話し合い」によって行われている(1)、といえるだろう。
 さらに国家間における規格策定と企業間の規格策定ということでいえば、現代は市場化・民営化の時代であるから、企業間の比率がどんどん高まっていき、また従来は国家間で決められた規格が、市場競争を経なければ規格にならないという事態も数多く起こってきた。上の図であれば、(4)の部分の比重が高まってきたのである。(1)から(4)へ。これがこの10年から15年間グローバル化の進展に伴って起こった規格の決まり方の「主流」の変遷であるということができるだろう。


5.通信・メディア産業の市場化とデファクト化

 グローバル化の進展にしたがって、市場の雌雄を決する力において、次に技術革新の行方を見通す力においても、国家よりもその業界の実力企業のほうが、はるかに力がある、といった事態が多くの産業で起こってきた。
 マルチメディアのジャンルでは、デファクト化は規格の取決めが少なかったコンピュータ産業や家電業界で明らかになり、続いて通信へ、そしてメディアへと波及する動きとなった。
 例えば、コンピュータ間の通信システムについては長年ITUにおいて、OSIという標準化が進められてきた。これはしかし事実上はIBMとその敵対勢力が駆け引きを行っていたこともあり、また国際機関において規格の策定が至上課題ではなかったこともあって、その進展は極めてゆっくりとしたペースであった。ところが91年以降アメリカでTCP/IPというプロトコル上で動くインターネットシステムが商業利用を認められることになると、あっという間にインターネットが世界中のコンピュータ通信の「デファクトスタンダード」となり、国家はもとよりコンピュータ業界のすべての企業がーIBMもマイクロソフトもーこの趨勢には従わざるを得なくなったのである。

 1980年代までは、多くの国で通信や放送メディア産業において、その大きな部分が市場ではなく、国家の手に委ねられていた。通信も放送も設備投資額が大きく、独占化・寡占化を行いやすい産業であり、また、ユニバーサルサービス化が求められる「生活必須サービス」であったことがその大きな理由である。さらに通信においては、国家主権や国家機密の秘匿の問題があり、一方放送メディアは強い社会影響力を保有し、政治的安定性が求められたなどの理由が大きい。現実に共産国家、独裁国家等ではつい最近にいたるまで政府や政党がメディアを所有したり、通信の傍受が可能であるなどして、こうした近しい関係が続いてきた。 しかし、この10年間に顕著になってきたことであるが、一国の通信・放送メディア産業の効率性や技術力が、国家全体の産業の興隆に必要不可欠であるというこれまでの公平性・平等性・安定性から一線を画した産業的な視点が通信・放送メディア産業にも登場した。
 しかもその効率化や技術力の向上は、独占状態にある事業体では達成が難しく、産業を民営化して市場における競争にその達成を委ねるべきであるという民営化・市場化政策が、先進的な国家を中心に採用されることになった。
 この先頭になったのはアメリカであり、1984年には独占的に電話事業を行ってきたATTを地域分割し、その後の爆発的な通信産業の興隆を事実達成したのである。また放送においても、94年の連邦通信法の改正によって、競争を主軸とした放送メディア政策の実行を明確化した。
 歴史的に見て、アングロサクソン国家では、通信・放送メディア産業において国営事業体が産業の主体となるケースは希であったこともあり、こうしたアメリカに端緒を発した通信・放送メディア産業における市場競争の導入はまず、アングロサクソン国家(イギリス、カナダ)に飛び火し、続いて国営企業のプレゼンスが大きかったヨーロッパや日本の資本主義諸国に、そして冷戦終了後には、伝統的に規制が厳しかったアジアや東欧諸国も浸透を始め、短期間にグローバルレベルでのや規制緩和、国際化・合従連衡化が進み始めたのである。
 日本においても、86年の電電公社の民営化に始まり、その後の約10年間の間に、NCC(新規通信事業者)の参入、携帯電話やPHSにおける激しい競争、通信料金制度の弾力化や、公専・公専公接続の解禁、国際通信と長距離通信の乗り入れ、など通信産業では著しい規制緩和と競争が導入された。放送産業においても、CS(通信衛星)放送に3事業者が名乗りをあげ、BSデジタル放送に向けて行われた集中排除の緩和と委受託の分離、外国人による所有制限の緩和、CATVにおける地域内競争の導入や合併の容認など、2000年をにらんで「放送」ビッグバンとでも呼べる状況が登場している。
 こうした市場化の大波の中で、通信・放送メディアーつまりはマルチメディアの産業領域における諸規格は一気に「デファクト化」を進めることになったということができるだろう。


6.デジタル化と規格

 現在進行しているデジタル化と規格には、どのような関係があるのだろうか。「マルチメディア」は一方で通信・放送メディア産業の「デジタル化」を意味しているため、デジタル化の規格におよぼす影響についても見ておくことが必要であろう。
 デジタル化の大きな特徴として、「バージョンアップ」が容易であることが指摘できる。この性質はSCARABILITY(スケール可塑性)とも呼ばれるが、将来の技術革新を見込んで、あらかじめハードとソフトウェアをパーツ化し、こうした変更に対応可能にしておくということである。コンピュータにおけるハード、OSとアプリケーションがそうした関係にある。
 また、今ICカードが注目を集めているが、これも「バージョンアップ」が可能であるところにその本質がある。従来の磁気カードでは、データこそデジタルであるが、読み取り機の機能は専らハードに内在固定化されている。たとえば新しく登場した偽造技術に対して、規格を変えようとすればすべての機材を変えなければ対応できないため、被害金額が巨額に及ぶまで対応が難しい。しかしICカードでは、読み取りソフト自体をICカードに入れるなどの対応が可能であり、そのコストも比較的低いため、被害が発生し始めた状態で新規格を導入する事が可能である。この「バージョンアップコスト」の低廉化が、犯罪集団に対して「高いコストをかけて偽造技術を開発してもモトが取れない」リスクをもたらすため、犯罪のインセンティブを著しく下げる効果を持つのである。
 現在AMD社がインテルのペンティアム互換チップの製造を始め、「1000ドルパソコン」商品市場を獲得するなど、シェアを急激に伸ばしている。インテル社の粗利率は60%台と見られ、事実上の独占化が厚い利益構造を生み出してきた。こうした独占市場では安価な互換品による参入のインセンティブが高いが、しかしインテル社はそうした商品による「被害」が大きくなることを見通せば「バージョンアップ」を行って新しい土俵にハードメーカーを導入することが可能になる。バージョンアップの可能性が競合事業者の参入を防ぐ「砦」となっているということができるだろう。
 かつて、ハード中心の産業では、規格の策定コストは極めて低く(例えばネジやアルミサッシを考えれば容易に分かる)、製造コストの方がはるかに高い状況が普通であったが、デジタル産業では、むしろ規格の策定とバージョンアップに大きなコストがかかる状況が到来した。逆に見れば、市場や消費者のニーズに合わせて巨額の費用をかけて回収を行い、再投資する事ができなければ、その規格がたちまち陳腐化を行うということを意味している。こうした機能を果たしている企業の例として、マイクロソフト社(WindowsOS)、ドルビー社(Dolbey規格)、Qualcomm社(CDMA規格)、ベリサイン社などがあげられる。


7.規格策定の政治学

 標準化や規格の策定においては、複数のプレーヤーが自社の有利を求めて合従連衡を繰り広げる。その主体が国家(デジュリ)であったとしても企業(デファクト)であったとしても、それが極めて政治的な過程であることには変わりがない。
 デファクトでは市場シェアの大きさが決定的な意味を持つが、多くの場合、一社のみではグローバル市場のすべてを制覇することは難しい。そのため、企業は規格策定において他社に有利な条件を提示し、「アライアンス(企業連合)」を形成しようとする。いわば多数派工作である。あまりに自社に有利な条件下ではアライアンスの参加企業数が減ったり、有力企業の動員が難しくなるため、規格策定においてはさまざまなバーゲニング(交渉)が行われる事になる。
 規格を支配する結果生じるメリットにはさまざまな形態がある。まずは複数の規格が激しく競争する状態では、その勝ち残りのメリットは明らかであり、それがアライアンス企業すべてに優先される戦略である。
 次のメリットは、規格策定に預かった企業は、様々な特許を保有していることが多く、規格の使用料をアライアンス企業から徴収することが可能となる。そのため、アライアンス企業間でも、自社の取り分が多くなるような有利な取決めを行うために激しい駆け引きが繰り広げられることになる。 
 最後に、規格策定を行う企業は、自社の当該技術に熟知した多くの技術者がそのために働くことになるので、規格のバージョンアップや細部の制定においてイニシアティブを発揮し、より早く実用化実験を行うなど「移転効果」「速度のメリット」を享受することが可能である。例えば日本においてデジタル携帯電話の国内規格はドコモが中心になって策定を行った。外国から完成された規格を輸入する場合、競争電話事業者はすぐその場から商品を作ることが可能であり、開発の時間差はほとんど存在しない。しかし新規格を発展させるということになると、規格策定における影響力・技術力・情報収集力の差、さらにはメーカとの力関係等が、新商品の開発において非常に大きく影響を及ぼすファクターとなり、結果としてモバイル商品の発売等を見ると1年以上の時間差が開くことになった。次世代の規格策定において、競争事業者は外国企業の規格の購入を念頭においていると見られるのも、この苦い教訓があったからである。
 過去、家電業界、コンピュータ業界を中心に激しい規格競争が起こり、そこにおける一種の政治的「知恵」とでも言うべきものが醸成されてきた部分もある。規格を主導するためには、自社のメリットと他社のメリットをうまくバランスさせ、説得・誘導する「政治力」が強く求められている。企業カルチャーに根差した「ビヘイビア(様々な状況で企業が示す行動パターン)」に対する信頼感がなければ、安定した「アライアンス(企業連合)」を形成することは難しいし、また今や、そうした政治力をも含めて技術力とみなすこともできるかもしれない。


8.「アライアンス」化と「アンバンドリング」化

 今日のようにグローバル市場の中でそれぞれの企業のシェアが相対的に低くなり、また、激しい技術革新競争の中で規格を策定するコストや規格策定に敗れる失敗のリスクが一企業の負担では難しいほどの規模に上っている。その結果、マルチメディアの諸分野で、「アライアンス」が頻繁にみられ、またこのアライアンス間の勝敗が所属する企業の浮沈を決めるほどの影響力を持つケースも見られ、結果としてそのアライアンスが「合併」や「提携」にいたるケースも生じている。
 また、上に述べた規格の策定や提供を行い、自らはハードの提供を行わない「規格ソフト企業」が増加する傾向は、特定のハードに依存して垂直統合関係を作った場合、他のハードメーカーからの支持を得にくくなり、結果としてその規格のシェアの低下につながる現象から生じている。もし自社がハード部門を持たなければ、多くのハードメーカーと良好かつ公平な共存関係を作ることが可能になる。
 具体的にはアップル社がその最大の教訓を作ったのであるが、もし適切な時期に「アンバンドリング」と呼ばれる規格ソフト(OS)とハード(コンピュータ機器)の切り離し戦略を採用していれば、これほど劇的な市場シェアの低下をもたらさなかった可能性が高い。


9.インターネットが示す新しい規格策定の意義

 前述したように、インターネットは市場において市場が決めた規格の策定であった、という意味では「デファクト」であったが、しかしインターネットを推し進めたのは、企業体ではなく、アカデミック(大学研究者)を中心とする「知識人連合」であったということもできる。デファクトの定義に「企業による競争の結果」という限定がつくのならば、インターネットは企業の手にはよらず、またその結果、「特定の企業間の競争の結果定まったわけではない」という意味において、必ずしもデファクトではない、ということもできよう。
 必ずしも一般的な用語ではないが、グローバルに連帯する知識層が、規格のあり方、その策定システムを先導し(Shaping)企業や一般家計がこれに習う(Adapting)という意味で、インターネットにおける規格策定のあり方を「シェイピング」と名づけてみる。
 下は、国際大学グローコム公文俊平所長が想定する近代社会における主体(プレーヤー)の変化をもとに、規格策定の手段と手続きを付け加えたものである。




情報文明論 NTT出版


 こうした新しい規格策定の仕組みが登場しているのは、マルチメディア産業の領域でグローバルな「ロックイン」現象が登場しつつある、という現象と裏腹にあるといえるだろう。
 アンバンドリングを行ったグローバルなデファクト規格企業−ここではマイクロソフト社を思い浮かべることにしよう−は、グローバルレベルでの「寡占化」を行うことが可能である。この独占は、国家によっても企業によっても覆すことが難しいほどの支配力を持ちうる事は事実である。キーボードの配列がそうであったように、ユーザーの習熟が一度進めば、他のあらゆる新たな技術合理的な仕組みはユーザーの利便性を増すことにはつながりにくくなる。上記の表で言えば「富」のゲームの勝者とはまさにマイクロソフト社のような企業に他ならない。
 しかし一方そこに出現するのはグローバルレベルの市場独占性であり、マルチメディアの影響力がますほどに「国際公共財」としての影響を強める領域となることも事実である。もちろんビルゲイツのように優秀な経営者はこうした問題に強い関心を持ち、技術開発やマーケティングを行う上で「独占性」に依存しないような自己規律(ディシプリン)を導入すべく努力を行うであろう。
 一方世界中のハード企業にとっても常に新規格がマイクロソフト社から提出され、常にそれを「採用せざるを得ない」状況は好ましいことではない。圧倒的な1位企業の策定する新規格は、必ずしも歓迎されない状況が出現するのである。
 しかし例えばこの両陣営が別規格(例えばを掲げて市場競争を行ったときのリスクや消費者の混乱はすさまじいものが予想され「デファクト」すらも、規格策定の仕組みとして合理的たりえないことが予想される。
 こうした状況の元、両者が納得して公平性や平等性・客観性を担保する仕組みとして「利害にとらわれない第三者」という概念が登場する事になる。
 かつては一国や国際機関の技術官僚が果たしてきたこうした役割に、アカデミックや専門技術者がネットワークを介在して「プロシューマー」として参加を行い規格策定への影響力を行使する。インターネットは、こうした新しい規格策定の政治学の第一歩目であった可能性が高いと筆者は想像している。



[1] 複雑系 新潮社 M・ミッチェル・ワールドロップ

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