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「美しい国へ」(安倍晋三著)への違和感 その3

2006/09/21
歴史と社会

「ニュー・リベラリズムがアメリカの専売特許であるという言説は間違いである」

私がもっともネット上でバランスがとれているなと思ったのは次の記述です。

自由主義

「古典派自由主義経済学は利己的に行動する各人が市場において自由競争を行えば、公正で安定した社会が成立すると考える思想」でその元祖はかの、アダム・スミスです。
「個人の自由の尊重、平等な個人の観念、寛容、法の尊重、権力の分立と議会制度、市場経済の承認といった価値観を主張する思想。個人主義の哲学・世界観に基づく市場経済社会と政治体制として議会制もつ『夜警国家』を主張する。」
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自由主義はたしかに、誕生当時クラシカル・リベラリズムしかありませんでした。(同義すぎるでしょうか)

18世紀から重商主義をとっていた地主階級と、自由貿易主義をとっていた新興の商工自営業者(ブルジョア)の対立がおこりましたが、自由主義は後者の人たちの意見で、資本主義の発達を促すブルジョワジーを優遇し、自由貿易を促進し、その障壁となるものを撤廃しようとする政策を意味しました。最たる論点が国内の農産物の値段を高く維持する穀物法で、ブルジョアは安価な労働力を求めて強くその撤廃をもとめ、1846年に成功しました。ようするに、地主=重農主義=保守党、ブルジョア=(経済的)自由主義=自由党という対立があったわけですが、この撤廃自体労働者に大きく感謝されることでしたから、自由党はこのときすでに労働者の側に立っていたということもできるでしょう。

「このように産業が発展しているのになぜ貧困があるのか。」
「鉱山や工場から女性や子供を救出したのに、どうしてますます貧困になるのか、座視するわけには行かない。」(アーノルド・トインビー

しかしそれから陰惨な19世紀後半が始まりました。全ヨーロッパを震撼させたのは、1847年の大恐慌と、その影響を受けた1848年のパリ二月革命です。19世紀はすなわち、産業革命の時代。農地から締め出された農民が次第に大都市に集まり、大変悲惨な困窮ぶりを示し始めました。
それまで物言わぬ農民を人間外のこととして、ブルジョアと貴族、王族の間での統治を話し合っているときには、クラシックなリベラリズムがうまく機能するかに見えました。しかし一般大衆が、なんの保護もなく社会に放り出されてしまうと、社会がまったく機能しなくなる恐ろしい状況が出現しはじめました。つまりクラシカルなリベラリズムでは、産業革命とそれによってもたらされた大量の都市労働者の貧困、巨大腐敗資本の蓄積、といった社会問題にまったく対処できないことがわかってきました。

とりわけ為政階級を恐れさせたのは、労働運動や社会主義の浸透、そして革命の恐怖です。
そこで地主=重農主義=保守党とブルジョア=(経済的)自由主義=自由党は、争って大衆の支持を得ようと画策を始めます。そのため19世紀後半のイギリス議会政治は政界再編の場となりました。
都市労働者たちはチャーティスト運動と呼ばれる、選挙権の拡大、選挙法の改正、生活向上の要請運動を展開し始めました。彼ら大衆を参加させなければ政治活動が困難な状況が訪れ、そしてさまざまな社会改革が進んでいきました。その様子を少しだけ紹介します。

1868年には第二回選挙法改正によって彼らの要求が認められ、都市労働者に選挙権があたえられ、有権者数は106万人から200万人に増加。
1870年、教育法成立。8歳から13歳までの義務教育が実施されます。19世紀前半までは、教育は上流階級の独占物で、庶民に教育など必要はないと考えられていました。(1843年の数字ですが、男子の32%、女子の49%が自分の名前が書けなかったそうです。)
1871年、労働組合法成立。これで、労働組合の法的地位が認められました。
1872年秘密投票の実施。それまで有権者はひとりひとり役人の前で、「わたしは誰々さんに投票します」と順番に言っておりました。
1884年には、第三次選挙法改正。農業労働者と鉱山労働者に選挙権付与。有権者数は440万人となりました。
1892年から1895年の少数自由党内閣はついに相続税を導入。本来私有財産はどう扱おうと勝手のはず。それが死んだときに国家がそこから税金を取るというのは、ある種の「社会主義」の浸透といえます。
そして今世紀にはいってからですが、累進課税実施と政府の公共支出増強、社会福祉制度が次々と導入されていきます。(これらはみなすべて「イギリスの自由主義者」たちが世界に先駆けておこなってきたことです。)

その典型的な政治家として「デビッド・ロイド・ジョージ」を紹介したいと思います。ロイドは1890年、自由党から出馬し、下院議員に当選。以後、55年間下院議員として活動しました。1908年、蔵相となったロイド・ジョージは「人民予算」とよばれる富裕層からの増税による予算案を策定し、保守党と激突します。同年ドイツを訪問。ビスマルクが制定した社会保険制度を学びます。イギリスに帰国後、健康保険、失業保険の実施を目指し、労使双方の反対に屈することなく、1911年、国民保険法を施行し、今日の福祉国家の基礎を作りました。

ニュー・リベラリズムがアメリカの専売特許ではないことがおわかりいただけたでしょうか?
(この項続く・随時書き直しあり)

「美しい国へ」(安倍晋三著)への違和感 その4

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