「気分一致」 第一回 |
2003/08/24 人生・本そのほか |
メールマガジン 『日本語のチカラ』 連載
「気分一致」 第一回 2003/2/28
さてさて〜これから「気文一致」というタイトルで、しばらくメールを送らせていただきます。まずはよろしくお願いいたします。
タイトルの「気文一致」は、「言文一致」という明治時代の言葉からとった私の造語です。皆さんは、この「言文一致」という言葉をご存じですか?話した言葉がそのまま書き文字になるということは、書き手と読み手が、ほぼ対等の立場であるということを意味します。
この考え方は、19世紀末にはじめて登場した新しい考え方です。
江戸時代までの書き言葉は、漢字中心の「候文」。読み手を「ははっー」と低頭させるような威圧的な感じだったことでしょう。こういった言葉をめぐる力関係が大きく変わるのは、明治時代です。伝統社会から離れて、近代的な自我を持った不安な個人の感情を表現しようとしたときに、新しい文体が求められました。そこではじまったのが「言文一致」という運動です。
別の見方をすると、世界に伍する近代国家を作るためには、日本語も近代言語となる必要がありました。日本人の大半が書ける共通の文体や文章を作り出すことが、国家の重要な使命となった時期だったのです。(同じようなことはフランスやイタリア、ドイツでも起こりました)
「言文一致」の代表作家に、二葉亭四迷という人がいます。『余が言文一致の由來』という本に書かれていることですが 、彼は三遊亭圓朝という落語家の速記本の文体を真似して、話し言葉と同じ書き言葉を作り出しました。というだけでは、これがいかに画期的なことだったかわからないかもしれませんね。そもそも当時の日本人は、お互いにほとんど通じないほどに異なった方言を話していました。そこで「言文一致」運動によって東京弁が選ばれ、近代的な国語=標準語が産まれたのです。
そのため「綴り方運動」といって、日々の出来事を記録する教育が長らく続けられました。そうして標準語が浸透するためには、ラジオやテレビの普及によって方言が衰退するまで、80年以上の歳月がかかりました。皆さんがおなじみの、ちょっと気恥ずかしく優等生っぽい「作文」の授業は、その残滓といえるでしょう。
さて今やメールの時代、自らが速記者になる時代です。日本語に、
新しい息吹と揺さぶりが求められている気がします。気分をうまく
文章に乗せる表現の技術を「気文一致」という言葉に込めました。
ということでしばらくよろしくおつきあいください。(ペコリ)
なお、追々皆さんが激怒した、落涙した、爆笑した、永久保存にした面白いメールをご紹介しながらメールについて考えてみたいとも思っています。ご投稿は atok-info@justsystem.co.jp まで。
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