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意思と意図と意表と

2001/03/29
人間というものは

日本語って本当によくできていますね。
僕の最も好きな言葉の一つは「意表」です。辞書にはこうでています。
意表—思いも及ばないこと。意外なこと。
意表を突くー相手が思いも及ばなかったことをして、あっと言わせる。
「意表を含む正解」。親友岡康道の発したこの言葉が僕の終生の志(ドメイン)を決めたのです。
僕の会社のコンセプトはこれを訳して「surprising yet right」といたしました。
意表は単に意表をつくと、正しくない場合が多い。
また正しいことは真っ当すぎ、あたりまえのことが多い。
だから正解なのに意表をつくことが重要だ、というのが僕の考え方です。
この前ロンドンに行ったらcalculative brave(計算された勇敢)ということを、
ティム・ディレイニーという有名なクリエイティブ・ディレクターが言っていました。
名刺を見せたら・・・・にっこり笑って「一緒だね」と言ってくれました。

同じく好きな言葉に「意思」と「意図」があります。もうすこしベーシックな言葉です。
意思—何かをしようと考えること。めざしていること。
意図—心の中に思い浮かべる、何かをしようという考え。思い。

この前、人間のDNAを校正しているタンパクの数が3万ぐらいしかない、と新聞に出ていました。それが他のより進化していない生物、例えばショウジョウバエに比べて少なすぎるんじゃないか、ということが話題になりました。(人間はショウジョウバエと違って飛ぶことができないので少なくてもしょうがない、という意見もありましたが)
しかしこの数はようするに、コンピュータプログラムでいえば、記述言語数を決めているのに過ぎないんです。
その記述言語で脳のOS(オペーレションプログラム)を作って、そのうえにアプリケーションがのっている。コンピュータと違って人間の脳の場合、電気信号や化学信号といった非常に複雑な伝達システムで構成されています。恐竜の時代からの脳が私たちの脳の中にはビルトインされているのです。
人間が作るコンピュータプログラムの記述言語数が多くて数百であることを考えると、この3万、というのは膨大なライブラリーです。
僕が思うには、人間というのはほとんどがその複雑なOSとかアプリケーションによって駆動されています。
気は心といいますが、僕らの精神、感覚、そして肉体までもが、多分このプログラムの作り方、走らせ方によって大きく変わってくるのに違いありません。
プログラムがおかしければどんどん行動がおかしくなってくるはずです。
僕はそのプログラムをデバグ(修正)したり、書き足したり、暴走したときに制御するプログラマーの役を「意思」と「意図」が務めていると、にらんでいるのです。

「意思」と「意図」が人間大事。なるほどと。
普通の人はたいていそこで満足するはずです。
しかし僕はさらにその上「意表」までも手に入れたいと狙っているのです。
同じく意思と意図を持った人のなかでも特別でありたいと。あるいは奇矯でありたいと。
まったくもって狷介な野郎で・・・・・ごめんなさい。

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