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プロジェクタ−の栄光と挫折

2001/03/23
ビジネス

プロジェクター史上最大の大物は、有名なスコトランド人、ジョン・ロー(1671-1725)です。
彼の話はなんどきいても現代にいきる教訓を残していると思います。
資本主義の勃興期には多くのスコットランド人が中心的な役割を果たしましたが、彼もスコットランド人です。
彼は母国で果たせなかった土地銀行の設立の夢を果たすべく、1716年にパリにはいり、その年の5月には銀行設立(「ロワイヤル銀行」)の権利を得ることができたのです。
土地担保の考えかたは結局、「神の恵みは土地を人々に恵んだことにあり、農業が国の根本である」という彼の信念にありました。今も当時も農業国であったフランスには受け入れられやすい思想だったのでしょう。
しかし・・・・・なんとなく日本の銀行の土地担保主義、をも連想させます。

当時フランスでは太陽王十四世(七七歳)が死去し、わずか五歳の曾孫のルイ十五世(1710〜即位15〜74)が即位しました。
そしてジョン・ローを引き立てた孫のオルレアン公フィリップ二世が摂政となります。
太陽王の残した莫大な借財のツケをジョン・ローは解決すると宣言し、「国富とは通貨であり、通貨の増大こそ国富の増大である」という1986年ごろの日本経済のような、単純明快なバブル理論をオルレアン公に進言します。
政府が銀行から借入して、市民の国債を償還する方法であり、あまりにみごとに成功したので、
オルレアン公は、ローをフランスの財務総監(総督)に就任させ、彼の銀行を「王立銀行」に昇格させました。
「ロワイヤル銀行」が発行する銀行券は、望めば金貨と交換する事が可能なため(兌換紙幣)評判が良く、どんどん追加発行がされていました。

ジョン=ローの「王立銀行」は、しかしこんどは市中に出回った自分の紙幣を回収しなければなりません。
そこで、彼は考えついたのは今でいう「スワップ」です。(なんと天才的なのでしょう。)
フランス中の貿易会社を大合同させ、新大陸の大ルイジアナ(中西部)の金鉱を探索する
「ミシシッピ会社(コンパニ=ドクシダン)」を創設、全身黄金に輝くインディアンガールズのパレードによって大々的に宣伝しました。
このミシシッピ会社の株を王立銀行の紙幣で購入できる、とそういうわけです。
(ローは今でいうと広告代理店の社長にも向いていた人のようです)
(財投債を出すときにも、ミス日本とかをつかって宣伝したらどうでしょうか?)

「ミシシッピ会社」はミシシッピ川下流のルイジアナに存在するはずの金鉱の探査を目的とし、
1717年にはルイジアナ運営と貿易の独占権を得ました。
もちろんルイジアナに金鉱などはなかったのです・・・・
(日本の渋谷にも金鉱はなかったようですが)
河口には、摂政オルレアン公の名前にちなんだ町ラ・ヌーヴェル・オルレアン(ニューオーリンズ)が建設されました。まあ・・・今でいうディズニーランドのようなものでしょう。
何百人ものパリの乞食が動員され、金鉱掘りの格好をさせられました。
さもルイジアナには金鉱が確実にあって、そこに彼らが向かっているかの様に、彼らはパリの街々を練り歩きました。
何週か後になって彼らの多くが昔の場所で物乞いしているのが見かけられたそうです。

政府の負債の返済に使われていたロワイヤル銀行券は、一般投資家によっていっそう多くの
ミシシッピ会社株の購入の為に使われていました。
ロワイヤル銀行券とミシシッピ会社株は相互に循環して株の高値と銀行券の発券に役だったのです。(どこか日本の銀行と事業会社の株の持合にも似ています)

ジョン・ローは確かにフランス政府の負債を返す公約を果たしていましたが、それが継続するためには、彼は次から次へとホラ話を作って人々を信用させなければならなくなったのです。
破綻をもたらしたのは、欲深い金持貴族コンティ公です。彼は、人気の高い「ミシシッピ会社」の株式を買えないことにいらだっていました。
ついには、やけになって、自分の持っていた膨大な量の紙幣を「王立銀行」に持ち込み、「株が買えないなら金に払い戻してくれ」と、どなり散らしました。(いますよね、欲深によって結局自分の首を閉める人)
銀行には人々が殺到し、ロワイヤル銀行券をミシシッピ会社の株ではなく、金と交換する様に求めました。もちろん、銀行にそんな多くの金貨はありません。
兌換不能のウワサはたちまちに世間に広まり、不安になった人々があわてて銀行に殺到しました。1720年7月のある日、ロワイヤル銀行の前で衝突が起こり、15人の死者が出ました。
銀行券は交換性を失ったとの宣言が出されました。
こうして、王立銀行券は一夜にして紙くずとなり、株式も物価も一気に暴落していきます。
このバブル崩壊の痛手が、のちのちのフランス革命の原動力になったという見方もできると思います。通貨価値は他の多くの人々の相互信頼、という大幻想の上になりたっているので、それが崩れたときに生じる信用不安はとめどもないものがあるのです。

ジョン・ローは摂政の保護によってフランス国外へ脱出し、最後はヴェネツィアで教会の秘跡をうけ、敬虔なクリスチャンとして清貧、平穏、有徳な余生を送ったそうです。
ジョン・ローは間違ったのでしょうか?
いえ。彼のアイデアの多くは現代の近代金融制度を支える土台となったのです。ただ彼は早く生まれてきすぎたのです。人々の熱狂がコントロールできないものだ、と、やってみるまではわからなかったのです・・・(だって今でも、だれもバブルのコントロールのしかた、わからないじゃないですか!)

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