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八百屋お七が喝采を浴びる国・日本

2001/03/08
歴史と社会

「感情」ということについて考えてみましょう。
私が思うには日本人はとっても「感情的」です。
善悪の感覚や正義感、嫉妬心、公平感。こうした感情には強烈なものがあるのです。
なぜかというと、私たちにはもともと戦国時代を生き抜く「荒くれ者」=野武士,の風情があったのです。それが成熟して、まともな「市民」になるまえに徳川の平和がやってきました。
殿の首をかき切ったり、裏切りをしながら、なんとか「武士道」というものをつくって友好関係を築いてきた日本人は、いきなり戦いの場における人間関係を、平和の中で何百年と生きる人間関係へと、変えなければいけなかったのです。
本来、主君との仲が悪ければ見限って他の主君を探して使えてきた「もののふ」は、生涯その主君につかえなければいけない、そういう鬱屈した境遇になったのです。
「だって上司は親同然でしょ?親に反抗する奴は最悪だよね?親の愛に報いるのが子の務めだよね?」
主従の愛を親子の愛とおきかえる。簡単にいえばこういう理屈をつくることにより、社会の安定を図ってきたのです。
ですから戦国時代が終わった17世紀、全国あちこちでそうした「もののふ」の激情は行き場がなくなり「殉死」(前の主君に殉じて自死すること)や「諌死」(殿の行いを正すために自死すること)、つまり死をもって志を通そうとする行いが続出したのです。
「先代は親同然だが、今度のバカ殿を担ぐ事はできません」
「もうそこまであなたがバカなら、私が死んでいさめます」
簡単にいうとこれが起こったのです。(さすがにもう死ぬ人はいませんが、今の時代もこれに近いことはよく起こります)

しかし、こうした勇猛果敢さをもてはやす心は、実は江戸時代もひそやかに、そして武士だけでなく町人の中にも受け継がれてきたのです。
たとえば赤穂四十七士。復仇。日本には昔から主君や家族の恨みを果たす、あだ討ちという風習がありますが、あだ討ちは、次なるあだ討ちを誘発するため、幕府はこれに厳しい制限を適用していました。
しかし赤穂浪士のあだ討ちは幕府の予想をこえて庶民の喝采をあびました。処分の片手落ちを知らしめようという彼らの行動は、伝統主義の中で機能を失ってきた江戸幕府にいらだちエネルギーをためる庶民の大喝采をあびたのです。

あるいは「八百屋お七」。お七は養女先が火事なり、避難したお寺の小姓「山田左兵衛」に恋をしてしまいます。もう一度左兵衛に会いたいため、お七は自宅に放火してしまいました。
花のお江戸は大火を起こし、お七は火付けの罪により、鈴ヶ森で火刑に処せられました。お七を不憫に思った実の母は、密かに遺体を刑場から持ち出し、故郷大和田の当寺に埋葬したそうです。
火事になればあのお寺で、一目ぼれの彼氏に会える。ひたすら愛に燃えるお七はそう考えたのです。・・・・・・・・・・・。
お七は、もうちょっと前のヨーロッパなら多分魔女裁判にかけられたでしょう。
十六の小娘のこの愛の激情はしかし、一種美談として後世に語り継がれたのです。
(こういう国は稀・・・・です。処女に割礼をほどこすアフリカとでも比べてみてください)

社会の安定と、個人の激情。この二つに引き裂かれてきたのが私たち日本人のこの数百年(近世と呼ばれますが)の心持であったのです。
そう。結論は。

「ちょっと、そこでさめている君。君君。一皮むくと・・・・君の心はどろどろだよ!」

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