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異色対談 吉田望meets平井卓也 いま敢えて問う『地上デジタル凍結!』

2002/03/25
メディア社会
電通の新入社員入社の同期に国会議員の平井卓也がいます。僕たちは飲み友達です。彼と同期で対談をしました。今話題の地上デジタル放送について。僕たちは二人とも大胆な慎重論者です。(二人とも顔が濃いという共通点があります)

ステイタスクオ(現状維持)という言葉がありますが、物事をはっきりさせないままにしておこう、現状維持をするのは勇気がいることです。それは決断する勇気がない、という姿勢と見られがちだからです。しかし世の中にはどうしようもないことがあるのです。例えばイスラエルとパレスチナ問題。(話がとびますが)。正論はさまざまあっても「まあまあ。でもこのままにしておこう」という解決策以外に、いかなるアクションもマイナスの状況をもたらしかねません。

アナログの地上放送について、僕は「ステイタスクオ」(勇気ある不決断)だと思っ
ているのです。





フィクションのままの進行

吉田:今日は、地上波テレビのデジタル化のことを中心に語ってほしいということだけど、平井はどう思っているの?

平井:地上波テレビのデジタル化というのは、いま放送局にとって最大の関心事だと思うし、国民にも重大な影響があることだよね。だけど、調査機関のデータなどを見ても、地上波テレビがデジタル化されるということや、そのスケジュールに関する一般の認知度というのはいまだに極めて低い。2003年に東名阪、2006年に基幹地区、2011年にはアナログ停波という計画がね。 一般の認知度が低いままに事が進んでいることが問題なんだけど、僕は最初に結論を言ってしまえば、地上波テレビのデジタル化は凍結すべきだと思うんだ。
デジタル凍結というより「アナログテレビはなくならない」っていう言い方のほうがいいかのもしれないな。ちょっと先にメディア文化論的なことを言わせてもらうなら、確かに圧縮とか保存、コピーといった加工技術においてデジタルは万能と思えるところもある。だけど、人間の脳は、アナログ的な要素とデジタル的な機能が絶妙なバランスで構成され組織されているといわれるよね。特に、見たり聞いたり感じたりという五感は時間の流れに対して連続的に変化するアナログ形式でないと受け付けない、つまりは「Analog and Digital」ということ。これだけ電子機器が発達して、情報入手手段が多様化・高速化しても、紙としての「新聞」をめくる行為を世界中の人間がいまなお止めないように、アナログ的な媒体には人間の普遍的な行為や欲求が宿っていると思うんだ。こういう考え方って昔、吉田の論文の中にもあったような気がする(笑)。

吉田:書いたような気がする(笑)。僕も、アナログテレビが二○一一年に無くなるとは思っていない人間の一人だ。そもそも放送のデジタル化は政府や法案で無理やりに決める事ではなくて、消費者が選択する問題だからね。世の中にはデジタルに向くメディアと向かないメディアがあるんだけれども、地上テレビ、とくに広告放送というのは実際にはデジタルと一番遠いところにあるということが、世界的にわかってきていると思うんだ。地上波デジタルをフィージビリティとして大都市圏でテストするというのは別に構わないと思うけど、それを二○一一年に全部いまのアナログから変える、一政策でそれが可能だ、というのは、日本がアメリカと戦争して勝てる、とか、不良債権の問題はない、というのと同じ、ようするにフィクションだと思うよ。

奇跡的な社会インフラ

平井:テレビって何か、ということを考えた時に、いま国民にとってなくてはならない娯楽だよね。それは郵政省(現総務省)の指導と放送各社の努力もあって、この五十年間であまねくくまなくユニバーサルサービスを実現してきたんだけど、全世界的に見ても最も成功したケースじゃないかな。大変すばらしい政策のもとに実現した奇跡的といってもいい社会的インフラだと思う。放送のもうひとつの機能として同時に同じものを多くの人が見るという安心感、そこでゆるやかにパブリックマインドを形成していくという機能はどんな時代にも必要なのではないかな。巷間によくいわれるメディア未来像としての「放送と通信の融合」については、私は簡単にはに賛成しかねるんだ。いわゆる、すべての情報がIP経由でしか到達しない「Everything on IP」という発想には、メディアの役割という観点からも疑問を感じてる。メディア学者のデリック・ドゥ・ケルコフ氏は、「ポスト・メディア論」の中で「テレビはインタラクティビティ(相互作用性)を嫌っている」と言い切ってる。その理由として、相互作用性は辛い作業であり、スクリーン(画面)を見ながら決断を迫られ、失敗もし、順番を間違えたら正さなければならず、さらには常に画面に中途半端でない注意を払わなければならない状況を望む者はいない、としているんだ。その意味では、いま通信の分野で言われているデジタル・デバイドというのを考えてみると、例えばコタツにあたって猫と一緒にボーッとテレビを見ているおばあちゃんにとってのテレビにインタラクティビティーというものがいますぐに必要かどうか。そのコストの問題も含めてね。だから、今後テクノロジーの発達とメディアの進化の中で、自然に役割分担が決まってくるのではないか。

吉田:僕は僕で放送のデジタル化に関してレポート(「ローカル・イン・ザ・スカイ〜放送政策の転換点」)を出したんだけど、最大の問題はデジタル放送にビジネスモデルがまったく無いっていうことだね。オールがないのに、船が出来たって理由で船出をするような話だからね。ビジネス・オリエンテッドなプランでないものはやらない、というのが90年代以降日本が手痛いたい経験を経て得た教訓なんだから、最初からデジタルという言葉の魔術にかかるんじゃなくて、もうすこし自分の頭で考えたらどうか、といいたいね。ところで、平井は雑誌に寄稿したり、これからかなり大胆に地上デジタルに関して発言していくっていうことらしいけど、そうすると、どういう反響があるんだろう? 何かこの問題に限っては腫れ物にさわるような雰囲気もある
ようで、僕にはそこら辺がよくわからないんだけれども。日本の得意な「空気」、つまり論理はないけれど漠然と合意ができている中で、それについていまさら波風を立てるのはいかがなものかという雰囲気が、ただよっていると思うが、そこらに水を指す、という役回りについては正直、どう思っているの?

敢えて波風立てて問う

平井:昨年の電波法改正で地上デジタルは国策になった。行政施策から国策にひとつランクアップした時点で基本的にはもう後戻りができないという前提で進んでいるわけだよね。

吉田:それは国の政策としてルビコンの河を渡ってしまったと。

平井:そう、ルビコン河を渡ってしまったということでしょう。無論、責任の全てを総務省だけに押し付けるつもりはないんだ。何を隠そう、僕も昨年の電波法改正には与党議員として賛成に投じたひとりで、その時点では、今みたいな問題点が明らかになっていなかったとはいえ、見過ごした責任は重いし、その不見識を恥ずかしく思っている。昨年通したばかりの法案をすぐ見直すなんてことは言語道断、やってはいけないことだし、議論さえもほんとは許されないのかもわからないけど、あえて雑誌に論文を書いて問題提起させてもらったのは、最初に言ったようにこの議論をあまりにも国民が知らなすぎるということが大きいね。つまり、一般の皆さんが持っているアナログテレビが明日から販売されなくなるわけではなくて、廉価で高機能なアナログテレビというのがずっと売られ続けていくという前提で考えた場合に、そのテレビが2011年に一斉に映らなくなるという現実を知っている国民は何人いるかということを考えたら、これは敢えて波風を立てても勇気をもって一度世に問う必要はある、これは政治家としての義務だと思ったんだ。いまの時代は恐れずにそういうことを発言しなければならない時代だと思ってる。だいたい一般の人は地上波デジタルのこと知らないだろう?

吉田:一般の人はほとんど知らないね。というか実際にテレビが使えなくなるという不人気政策を、2011年の段階で政治家が導入できるわけがない、という事を本能的に知っているから、庶民は別に関心がないんだろうと思うよ。

平井:困ったことであるという認識は役所も政治家も感じてると思うんだけど、後戻りするということはいま全然考えてないと思う。つまりどんなことをしてでもこのデジタル化の方に向かっていこうと言わざるをえないし、せざるをえないというのがこれを進めてきた政治家であり、国策にすべく長年議論を積み上げてきた官僚ではないかな。

最終コストと財源問題

吉田:だけど現実に財源問題にはぶつかるよね。

平井:財源問題は、時代の変化のスピードが速いせいもあるけど、いくつかの前提条件が変わってきたと思う。まず、アナアナ変換のコストが予想以上に膨らんだことだね。これは誰もやったことがないことなので、事前調査に限界はあると思うけど、杜撰な計画ということは否定できないね。この時点で、この政策の信頼性は失墜しているといっても過言ではない。

吉田:なんとしてもデジタル化で行くというけれども、総務省のもつ財源内に収まらなければ、他に財源を求めなければならないっていう問題にぶつかる。これについては象徴的な問題であり、財務省のガードも固いと思われる。このあたりの政治折衝はどうなっているのだろう。国の負担と電波利用料の値上げ、その組み合わせという方法論に落ち着くのだろうか。

平井:今の時点(二月)ではアナアナ変換のコスト、セット・トップ・ボックスを配布するならそれも含めて最終的なコストがまだ計算されていないと思う。財源の問題を考えると今なら電波利用料ということになると思うけど、それだけを当てにすると放送業界は一%しか負担していないという現実もあるよね。結果、アナアナ変換というものがうまくいかなければ、移動体通信用の電波をいつ空けられるかという問題にも目途が立たない。では一般財源を入れてこれをやり切るかというと、視聴者のメリットが顕在化しないだけに、異論はあるだろう。メリットといえば放送局にもとりあえずないだろうけど…。

誰が責任を持つのか

吉田:テレビ局がデジタル化するんだからテレビ局の電波利用料を上げてテレビ局から財源を取ろうという方向転換はありえるのだろうか?あるいはこのデジタル化投資が「デジタル化に取り組む事業者はテレビ局ぐらいしかない」という意味で、いわゆる放送の水平分離を軽減する働きがあるから、テレビ局は年貢米的に電波利用料値上げを甘受するという姿勢に向くのだろうか。

平井:電波利用料を少々上げてやれるというような程度のものではないし、テレビ局からするとあまりにも前向きなコストじゃないんでね。仮の宿というか一時的な引越しのために莫大な費用は出せないし、サイマル期間がおそらく想像以上に長くならざるをえないので財源確保は困難だね。ましてや、今後広告収入は減ると予想される中で、売上の見込めない投資はやりたくないだろう。

吉田:サイマル期間は中国の放送がデジタル化したとして・・・・最低でも数十年にはなるね。
中国市場で生産されるアナログテレビのコストに勝てる国は今後出てこないだろうからね。

平井:サイマル期間は長くなるよ。セット・トップ・ボックスというのを考えてみても、これは正にデジタル化に逆行するわけで、基本的にデジタル波をアナログテレビで見るためのものを配るということだよね。それから問題は、どこに配ってどこに配らないかという境目が難しい。だから、整合性を持った施策にはなりえないと思う。また、セット・トップ・ボックスを配りながらやったとしても、または、衛星で一部をカバーしたとしても今のユニバーサルサービスであるアナログテレビサービスを維持しながらというのは無理で、一時的には今のテレビが見られなくなること、あるいは見られなくなる地域はあると思う。そこまでしてデジタル化プロジェクトを進めるということに対して誰が責任を持つかというのがいま一番大きいことなんだ。視聴に不都合が生じて、テレビも買い替えてもらうけれども、これは国策であり国益だというのは、国民に痛みをお願いしなきゃいけない政策だと、いまとなっては私は思う。それなら説明した上で国民の理解を得ることなしに進めてはならないだろう。そういう意味ではこれはまさに政治の課題になってきたと思うよ。

吉田:それはすごい正論なんだけど、放送局の立場というのは公式にはまだ進める立場にいるわけだ。

平井:もちろんそうだね。

吉田:本音は多分違うよね、おそらく。僕らは彼らの心の中の声の代弁者だな(笑)

平井:新しいビジネスモデルがそこにないのは、空中波(地上波デジタル)の場合は真の双方向は難しいし、高精細といっても視聴者の買い替え需要とすぐにマッチするわけじゃない。だいたい今の考え方でいくと多チャンネルにもならないしね。

吉田:HDTVでいくからね。

平井:そう。いずれにしてもテレビ視聴の高度化ということだろうけど、これは視聴者のニーズじゃないね、いまのところ。

ユニバーサル性に限界

吉田:いま、テレビの直接受信というのは半数にとどまっているから、デジタル化で到達できるユニバーサル性には限度がある。一○○%にはならないし、また非常に時間がかかるという覚悟で取り組むべきじゃないかな。

平井:そうだね。吉田はあのレポートで、そこのところのカバーに衛星を使う選択の自由を提起していたけど、それにしたってユニバーサルサービスがとぎれることにはなるよね。それを覚悟でやるしかないな。やる、やらないと言っても、なんのためのアナアナ変換か、という議論がまず必要だと思う。最終的に公共の電波の有効利用ということを考えた場合には誰がどういう電波を使っているかということを全帯域について調べることも当然だけど、どこの電波帯域を使ってビジネスをしたいか。これは携帯電話だけじゃなくて無線LANとかいろいろあるよね。そういうことをトータルで議論して、アナアナ変換というのはその中で一つの手段としてクローズアップされるべきじゃないのかな。

吉田:平井の論点は、アナアナ変換のコストがかからない場所に限ってこれを進めるべきであるということと理解していいかな。

平井:これがまた不思議とその通りで、いまアナアナ変換で苦しんでいるのは北関東、中四国、北九州だろう。このあたりは移動体通信が欲しがっているエリアではない。携帯や無線LANの需要がどんどん伸びていくのはやっぱり首都圏でしょう、基本的には。国民のニーズを一番に考えた政策を進めるのか、マーケットニーズに合った、マーケット・オリエンテッドなビジネスモデルを考えられる方向に持っていくのか、結局国として最終的に無理矢理にも断行して経済に貢献させるというような強引な手法を取るのか、という議論になるだろうね。

吉田:ただ放送局サイドは、いままでは電波は利権だったから、新しい電波が増えれば利権収入も増えるだろうという硬直した思考に留まっている人が多い気がする。価値が高いのは、国民に約100パーセント普及しているメディアで、これから新しい放送メディアを立ち上げることがどのくらい負担が大きくて難しい事がわかっていない。BSデジタル放送の難産で少しは理解が進んだのかもしれないが・・・だからアナアナ変換で空いた部分を放送に使わず、通信用途に明渡すという政策について、ローカル局の経営者の多くは「それはちょっと待った」という意見になるんじゃないだろうか。無理をしてでもデジタルを取りにいくんだという人が多分まだ多いだろう。

平井:その前提には、投資をして何となく誰かが潰さないで食べさせてくれるだろうという発想があるんじゃないかな。だけどその投資というのは株主にたいして非常に無責任な投資になる可能性がある。デジタル化投資をする時にはそれに対する収入、投資の回収なども含めた経営計画を出さない以上、どこかの誰かが助けてくれるというような投資であってはならない。公共の電波をあずかる仕事としてはね。そこでもう一つ選択肢として出てくるのは、アナログテレビをそのまま続ける局が出てきてもおかしくはない。それはあっていい時代かな、と思う。

アナログテレビはなくならない

吉田:繰り返しになるが僕や平井はアナログ波はなくならないという現実論者で、その論点がデジタル理想主義・必然主義者とぶつかっている根本だ。

平井:うん、なくならないというより、仮に日本でアナログテレビの生産を中止しても中国やブラジルとかではどんどん生産するだろうし、我々の生きている間にはなくせないだろうね。僕は別にアナログ時代を崇拝する"アナクロ"ではないつもりだけど、「情報弱者」「デジタル・デバイド」という言葉に象徴されるように、情報を扱えないこと、デジタル機器を駆使できないことが社会構成要員としての資格を欠くような一律の思考に至りつつあることを心配してるんだ。また、現在1億台以上あり、これからも販売されつづけるテレビが2011年に家電リサイクルに回るとは想像できない。

吉田:地上波テレビのデジタル化政策ではアナログ波を二○一一年に止める(アナログ停波)と言い切ってしまった。その時点でそういう強い言い方をしなければ、放送局も電機メーカーもデジタルに向かわない。だから言いたくなった気持ちはわかるけれども、よく考えてみればやっぱりマーケットチョイスの問題だったっていうことに尽きると思う。役所とか民間企業でも「デジタル推進室」みたいな部署のネーミングはよくないよね。本人の考え方をべつにして、もう何が何でもデジタル化に向かわなければ職務として在りえざるべき、みたいな気分になっちゃうだろうね。

平井:これは日本より数段有利な条件のアメリカとかイギリス、それから地形が入り組んでいる事情は日本とよく似ているイタリアなんかもマーケットを見ながらゆっくり進めようという方向に転換していることからも学ばなければならないじゃないかな。ドイツなんかではCATVや衛星の受信が普及していて、地上波のみの視聴世帯は10%程度なので、地上波デジタルのインセンティブが働いていないようだし、中部ドイツでは地上波デジタル開始が予定よりずれ込んでいる情報もある。これは地上波デジタル先行国への追随は急ぐべきではないということじゃないかな。

第二フェーズを日本から

吉田:デジタル化では米、英が先行したけれども、電波を出すだけならどこでも、誰でもできるわけだ。だけどビジネスとしてやる上ではなかなか困難があったという貴重な先人の教訓を踏まえてまったく新しい地上デジタル放送というか、第二フェーズを日本から考えていくことにして、計画全体を作り直していくということがいいんじゃないかと思う。

平井:今国会の電波法改正で、概ね3年ごとに総務大臣が電波の利用状況を調査・公表し、電波の有効利用の程度を評価するための制度整備を行ったり、防衛・警察などの国家機密情報以外の無線局に関する情報をインターネットでオープンにしようという政策が討議される予定なんだ。それはいいことだと思し、そうなってくると国民の財産である電波というものの使用状況について多くの人に関心をもってもらういいチャンスかな、とも思う。

吉田:それから、それから、ちょっと技術的な話になるけど、用途別に周波数で変調方式
を揃えていく、あるいは術や省庁の壁を越えてなるべく汎用のデファクト規格にそろ
えるというようなことが政策としては割と重要だね。
そうするとある時に使用電波を別のチャンネルに移すことが比較的容易になる。
電波を官庁・業種別に特定利権化しないで新しい用途が増加してきたときに、柔軟に
対応できる仕組みつくりが重要だと思う。
そういう意味では地上デジタルだけに限らず、電波利用全てについて大きく見直すタイミングではある。地上波デジタル化もそれだけに限って実施してしまうと、ビジネスとしては成立しない、やめるわけにも行かないということで、今後隘路に入ることは目に見えているからね。でも、いま僕らがこういうことを言うというのも、八月になって法律が施行されてしまうと本当に…。

平井:うん、電波利用財源といえどもこのまま突っ込んでしまうと、もうこれは止められなくなると思う。首都圏の親局だけで、実験的にデジタル波を出すという方法はあるよね。

吉田 デコーダー配布のような無駄なコストがかかる政策ではないから、それはすぐやっても構わないように思うけどね。

日本流の本音と建前?

平井:それは当初の第二東京タワー計画みたいなものを一応断念しているいま、現在の東京タワーから共建で出せばいいわけだから。それはそれで実験として意味のあることだと思う。ただ同時にユニバーサルサービスを危機にさらしながら全国でデジタル化を進めていくというようにもし進んでしまうとしたら、その責任者は誰かということをはっきりさせる必要があるんじゃないか。それをはっきりさせないで、地上デジタル放送推進協議会などがみんなで渡れば恐くないという形で進めるのでは国民に対して申し訳ないことになる。いまどうこういっても問題が顕在化するのは9年後でしょう。その頃には誰も(いま進めている人間が)いなくなるもの。だけど結局一言でいうと、いまの地上波デジタル化のプランは不可能ですよ。

吉田:電監審あたりでも、いま言っているようなリアリティのある議論はしてみないのかな?

平井:水面下では出ているんだけど恐くてみんな言えないんじゃないかな。だけど実際には僕と同じような意見の人は議員を含めて結構いるよ。オープンにはなっていないけど、例えばパブリックコメントなんかを見ても大学の先生なんかで同じような意見はあったよ。

吉田:日本流の本音と建前の世界ってやつか。

平井:そんな感じだね。

繰り返されるU波移管論

吉田:かつて全面U波移行論というのが(旧)郵政省の政策としてはもともとあって、亡霊のようにでてくる。デジタル化に名を借りているけれども今回も結局は全面U波移行論だよね。当時も今と同じで、やればやるほど現実的な困難にぶつかって難しかった

平井:あれは1968年だったか。

吉田:うん、小林郵政大臣が言い出して七七〜七八年まで続いた議論らしいけれども、その時も今と同じで移動体通信用途向けという話が語られた。30年前だよ。移動体通信は確かにドラスティックに進んだが、当時の技術から3-4世代変ったね。現実に今も、移動体産業は非常に大きくドラスティックに進展している。無線LANは、平井も使っていると思うけど、世界的に2.4ギガ帯で規格の標準化がこの1-2年で急速に進み爆発的に普及しつつある。専用線を使わない、あるいは持たない新しいモバイル事業者が登場してくるかもしれない。そういう激変の中でいまのモバイルの通信事業という形態が、十年後いまのまま残っているかどうか疑問になってきている。この世界では世界的な標準化がすすむ事が重要で、そのデファクトの趨勢は誰にも読めない。東大にも行政にも、誰にもね。それは激しい競争のなかで新しい事業者が登場して、誰もが想定しない形で進んでいくと思うんだ。「十年後にモバイルと一緒になるから」というごまかしたような言い方で、誰が責任主体かわからない審議会方式で、責任転嫁をしつつデジタル化を進める政策の論法はどうかと思う。

平井:スペインも二年前から新規事業者を募って一斉に地上波デジタルに取り組んでいたんだけど、それも駄目になって会社が売りに出されるというような情報もある。デジタル化が世界の趨勢というより逆に、思ったようにうまくいかないというのが海外の事例じゃないかな。圧縮とか非劣化とかのデジタルの特性は別として、この分野には先行するメリットがないと思うんだ。このままいくと、国費を投下して結局デジタル化も出来ないし、帯域も空かなかったいうことになる可能性だってありうる。だから今は、見積り違いが出てきた時点で頭を冷やして冷静に考えるチャンスだと思う。面子とかそういうものを捨てて議論し直す機会じゃないかな。デジタル化ありき、ということで考えていると発想がその中に埋没しちゃうけど、面子を一回外してみると案外楽に、いろいろな代替案が柔軟に考えられる。

帯域空かず・世界に趨勢無し

吉田:ごく簡単に「難しいことが分かった」っていうことではすまないの?

平井:ところが国の政策には逆らえないと思っている人もいるから、民放なんかは総務省の案に対してSTBを配るなら前向きに検討する、と答えたりする。ローカル局にはデジタル化を進めた先に経営基盤を確立するビジネスモデルがあると思う?

吉田:それはない。

平井:ないよね、はっきり言って。それであればケーブルテレビであったりブロードバンドであったり、いろいろなものとの機能分担の中でローカル局としての価値を踏まえたビジネスモデルを再構築すべき時じゃないのかな。それにしても、デジタル化っていったって、こんな不景気な時に無理をしちゃいけないよ。また、地上波デジタルを凍結したからって国民にはなんの不利益もない。「U波を空けるために」と言っても現実的にデジタル移行が実現する見通しがない。従って二十年たっても帯域は空かない。世界の趨勢といってもいま世界がそれを見直している。放送局の局内のデジタル化とかブロードバンド対応の取り組みとかを進めていくことには大賛成だけれども、こと地上波に関しては先行するメリットが全く無い。

吉田:ユニバーサルサービスはやめちゃって、アナアナ変換コストのかからないところだけ、やりたいところはやればいいんじゃないの? だけど、財源問題もそうだけど、出口がないよね。

垂直・水平混在にダイナミズム

吉田:さきほど、機能分担という話があったけど、平井は最近登場した水平分離論というのはどう見ているの?

平井:ブロードバンドであったり、ハード・ソフト一体型の地上波であったり、事業者によってビジネスモデルが選択できるのがいちばんフェアだと思うよ。いまのハード・ソフト一体型の放送というのは、これは災害対応とかいった公共性という意味では絶対必要な機能を持っている。そのために重いハードを維持しなければならないという面はあっても、それはそれであっていいと思う。一つのモデルに集約させようとしても無理だ。タテ型とヨコ型が混在するほうが自然じゃないか。

吉田:なにか新しい放送事業を始める時というときにはある程度垂直構造が必要、ということはあるよね。それが衛星放送事業の教訓でもあったと思うんだ。アメリカもジョンマローンが結局勝者になったのも、マードックが成功したのもハード・ソフト両面がわかる、戦略統合できる経営者だったからだと思う。ハードもソフトも事業の最初は突っ込んで。だけどそれが落ち着いて、独占性が問題になってきたら水平に分離してもいい。僕は今の地上波放送局だって局のインフラを分離して子会社にしてみたとしても、経営的には何の差もないよね。だから垂直か水平かの選択はビジネスのどのフェーズにあるかによって変わる。そのダイナミズムという点では両方あった方がいい。

平井:放送というのは成熟しているよね、ある意味では。

吉田:民放の反発というのは、ソフト事業者の入札制や選択制度に対してではないかと思う。例えばイギリスでは放送塔を主管しているマルチプレックス事業者というのがいて、その上に乗る放送局を入札制で選ぶという事をした。十年位前かな、テームズTVで取り替えたわけです。イギリスは社員の流動性が高いからリストラを免れた社員がそっくり新しい会社に移って、それほどたいした問題にもならなかったけどね。それでも入札制の弊害が指摘されて高い入札価格の事業者に落とす、という方法論はアングロサクソン国家でもその後採用していない。終身雇用制できた日本でこんなことが起きたらものすごい事で、それは放送局にとっての悪夢になるんだけれども、現実そんなことはありえないよ。僕は今回の民放側の対応というのはすこし感情的すぎたところもあると思った。僕がそう感じるのは自分が広告会社にいて放送事業に携わった経験からだね。番組制作とそれを広告を通じてセールスしてネットワークする力をキー局は持っているし、それはハードを垂直に持っているかどうかとに関わらず、そこのレイヤーだけでものすごく強力だということを体感しているからです。特に東京キー局はテレビ広告の全国の約半分のシェアと番組制作能力の90%をあわせもっているわけだからね。

平井:まずありえないね。また、いまの形でいいんじゃないか。

ネットワークの価値は永久

吉田:僕らは電通で番組制作、シンジケーション、広告収入のところで付加価値を生んでいるのを見てきた。そうするとハードなんて大したことないじゃないか、とどうしても思ってしまうんだけど、放送局の立場から言うと技術系の人の発言力、それから最後はハードに地盤や根っこがあるという実感は、今回痛いほどわかった。

平井:特にローカル局の場合、コンテンツを作っているといっても一般的に一○%位だから、そういう意味では装置産業だよね。付加価値作りといっても、いまのポジションに値するだけのマーケット・バリューがあるかどうかというのは見直されてしまうよね、こういう時代になると。だけどそれは、社員の給料とかまで含めて、真のビジネス上の価値をマーケットが決めるという非常にフェアな状況に今後なるんじゃないかな。

吉田:地上波の広告ネットワークというのは素晴らしくて、全国でやるものと広告の望む範囲に応じて東日本、西日本、その地域だけなどなど、ありとあらゆる地域分割を受け入れる柔軟性がある。
ここには一種のネットワークのエコノミーが働いていて、すごい付加価値がある。衛星で簡単に代替できるような機能ではない。だから僕も逆に「デジタル化は衛星なんかでどう?」と言えると思っているわけだ
平井:これに変わるようなマーケティング・ツールはなかなか出てこないと思うよ。

吉田:例えばBSデジタルといっても、あれは全国一律のものだけを安く広告できるという触れ込みだったけれども、その伝送コストの差よりも、ローカル局が持っているネットワークの経済性のほうが基本的には大きく働くんだよ。だから放送局経営においては大きな間違い、勘違いをしなければ大部分のローカル局経営は今後も揺るがないだろうという確信をいまでも持っている。

平井:そういう意味ではキー局もローカル局も今の自分たちの価値に自信をもっていいよね。正々堂々と今の自分達の仕事をして行く中で時代に対応すればいいんであって、ブロードバンドとか新しく出てきたものと妙に比較をして不利な点を見つけてもあまり意味がないと思う。


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吉田望 1956年生 80年東大工学部卒 電通入社89年電通総研出向 97年研究3部長 99年調査部長兼電通総研研究主幹 00年電通退社・株式会社ノゾムドットネット(吉田望事務所)代表取締役 01年国際大学GLOCOMフェロー 「情報メディア白書」「放送メディアの経済学」ほか著書多数 郵政省放送行政局次世代放送コンテンツ審議会委員ほか公職歴多数 早大・上智大・慶大等講師歴任 http:// www.nozomu.net 

平井卓也 1958年生 80年上智大学外国語学部卒 電通入社 87年西日本放送社長・香川経営者協会理事89年香川経済同友会常任理事 93年丸亀平井美術館館長 99年西日本放送社長辞任 00年第42回衆院選で初当選 衆議院経済産業委員会委員 憲法調査会委員 自民党香川県第一選挙区支部長 http:// www.hirataku.com 

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