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「未完のコンセプトブック」顛末記

2002/01/02
人生・本そのほか
この2ヶ月間、限りなく渾身の力をこめた仕事に2005年に開催される予定の「愛知万 博」のコンセプトやプランニング作り、という仕事がありました。今回はその話をし たいと思います。まだ自分の中で整理がついていないことなので、うまく書けるかど うか自信がありませんが・・・
結果からいうと、僕はその仕事からおりることになりました。堺屋太一さんがその仕 事の最高顧問を務められ、この3月から、コンセプトやプランニングつくりの仕事を 行うことになりました。その作業を行う上での3人の「補佐」の一人、という形で僕 はご指名を受けて、この仕事にかかわったのですが、堺屋さんが最高顧問の座を降り られることになり、それに伴って自然と補佐、という仕事からもおりることになりま した。といっても博覧会協会と契約をしてそのコンセプト、プランニングの作業を頂 いているので、これを完了してその仕事を終えるということになります。堺屋さんが 辞任した後は、環境デザイナーの泉真也さん、建築家の菊竹清訓さん、静岡文化芸術 大学学長の木村尚三郎さんの三氏の総合プロデューサーが選任され、また別の3人の チーフプロデューサーが指名され、堺屋さんや僕達の仕事を引き継ぐことになりまし た。

こうした巨大事業は、一種の「群像劇」やマラソンのようなもので、伴奏者やラン ナーはどんどん入れ替わって行きます。僕も冷静に、自分をその一人と見ていまし た。ある人から自分の志や意志を無視して、流されるままにこの仕事に関わるべきで はない、という忠告をうけました。「イベントプランナーの仕事は自分のプランがい かに台無しにされていくのかをみるのが仕事である。関係者が数万人も上り、地元や 環境という制約がある大国家事業の、それが宿命だ」
正直に言えば「愛知万の仕事を引き受けるときに博」の仕事をすることが自分のキャ リアやブランド上いいことなのかどうか、という逡巡もありました。でも、せっかく のご指名は大事にして、プランナーとして万博の一種の理想論を考えてみよう、と僕 は心に決めました。僕の会社の役員も、この数年このの仕事にかかわってきて退いた 手痛い経験を経ています。万博、という事業自体が今日抱えている困難さが背景にあ ります。これは今の時代、だれがどうやってもものすごく難しい仕事です。


1970年に開かれた大阪万博は6000万人もの観客を動員しました。ちょうど新幹線が開 通した直後、日本人の約半分が万博を訪ねました。新幹線に乗る、ということ自体が 一種のイベントだった時代です。今日大阪万博の目玉は「月から持ち帰ってきた石」 である、という伝説がありますが、調べてみると訪れた観客の10%も、その石を見て いません。僕が驚いたのは、大阪万博のアメリカ館のディレクターは「アンディー ・ウォーホール」でした。イタリア館のデザイナーは「バレンチノ」です。国家事業 に携わることが、建築という世界だけでなく最先端のアートシーンにおいて「かっこ いい」「当然」という時代だったのです。一般の庶民にも、その質の高さ、志の高さ は伝わったのだと思います。世の中がイベントに飢えていた時代ということもあります。
しかし、今日はどうでしょうか。ディズニーランドやユニバーサルスタジオのような 恒常的で巨大なテーマパークが登場した80年代以降、世界的なテーマパーク事業の投 資額、技術革新やマーケティングは極めて競争力が高いものがあると思います。だか ら、ディレクターマガジンを読むような若い読者の多くは「なんで今更国が巨大イベ ントをやるのか」という当然の疑問をもつことでしょう。(ぼくも生活者個人として は同様な感想を抱きました) 最初に堺屋さんの事務所に呼ばれたときに、僕はいきなりこう聞かれました。

「君は、万博のために死ねる覚悟があるか」

「ああいう巨大イベントでは必ず死者がでるものなんだ」

正直者の私はおもわず口篭もりました・・・・

「はぁ、でも僕には3人の子供がおりまして・・・」

この人はいきなり何をいいだすんだろう、と僕は度肝を抜かれました。もともと万博 自体に対する疑義があるから、そのために死ぬ、という話の極端さはなおさらです。 しかしその後堺屋さんと話をしていて非常に感銘を受けたことがありました。それは 彼が「聖なる一回性」という言葉を教えてくれたからです。

「万博というのは「聖なる一回性」を表現するためのイベント。大阪万博は農村社 会から近代工業社会に日本が変貌するときの「聖なる一回性」だった。今は、工業社 会から情報社会に日本が変貌する時代。その時代なりのまったく新しい「聖なる一回 性」を表現しようじゃないか」それは歴史作家でもある堺屋さんの、鋭い時代感覚か らくる言葉だったと思います。
聖なる一回性という言葉で僕がもっともぴんとくるのは「ウッドストック」です。60 年代のフラワーチュルドレン、そしてベトナム戦争の時代に行われた語り草の音楽イ ベント。そうか、あれか、と。歴史に残るような聖なる一回性、巨大なイベントを、 クリエイティブにまったく新しいものとして作り出そうと思ったら、それは確かに実 現するためには死ぬぐらいの覚悟がいることでしょう。今までの手垢にまみれた、見 慣れた万博だから、人々はあきあきしているわけです。21世紀がそこにいけば見える ような・・・・・僕はとっさに「未来への巡礼」というコピーを思いついたのです が、そういう体験を与える場、となれば、それはわざわざ愛知の地に行こうかな、と 東京人や若者も思ってくれるかもしれないな、と僕は思いました。大阪万博のときに 堺屋さんは通産官僚としてその理想に燃えて、それこそ死ぬ覚悟で聖なる一回性の実 現に臨んだのだと思います。国にせよ地方行政にせよ(あるいは民間企業もかもしれ ませんが)、そうしたところが必然的におちいる、「万博っていうのはだいたいこう いうものなんだ」という「手続き重視」や「前例主義」と戦いながら、ベンチャー精 神に満ちた個人がプロデューサーやディレクターとしてイベントをクリエイティブな ものにしていく・・・
しかも、それを今書いたような民間のテーマパークと競争して勝つつもりで行う、と いうのは、確かに死ぬほどの覚悟がいる話です。
結論から言えば、僕を一瞬で奮い立たせた上の一言は万博にたずさわる協会、行政、 あるいは市民団体の多くの関係者にはまったく理解されないで、終わったといえるで しょう。僕も幸い死なずにすんだ、といえるかもしれません。

僕たちは「ヘクタールビジョン」といって、100メートル四方の、昼間でも見れる 巨大なスクリーンを提案しました。今時、パビリオンや展示品を集めても観客は集ま らないだろう。だから、万博以外に実現できないような巨大なイベント装置を作り、 ワールドメディアイベントを開催したらどうだろうか・・・例えば10万人規模で人が 集まるようなイベントを・・・というのが発想です。ワールドカップがそうですが、 今時、世界的に同時中継されるようなライブ感覚が無ければ、ワールドイベント感は でない、と僕は思いました。それは音楽ライブだけでなく、世界の宗教家や政治家、 あるいはそれこそ世界の環境問題を各地からリポートするような仕組みにしていけば どうだろうか、と。政府館などというのも陳列をする場としてではなく、むしろ番組 コンテンツとしての発想で作っていけば面白いんじゃないか、と、これは業界人の発 想かもしれませんが、考えました。
しかし今考えてみるとそれは、例えば東京のお台場で「フジテレビ万博」をするので あればいい着想だったかもしれませんが、愛知県の人々が長い間時間をかけてきた環 境問題という視座との関係では、決定的に受け入れがたいものだったようです。新聞 には「県はオオタカや動植物に巨大スクリーンの明るさが悪影響を与えるのではない か」との懸念を示しているという記事がでました。オオタカは確かに希少種ですが、 実は東京の皇居にも生息しています。「そこまでオオタカに気を使うんだったらそも そも、万博なんかしなければいいじゃないか。」それが途中から登板した僕たちの本 音でしたが、それは長い経緯と議論を経てきた地元の人たちの賛同を得られるもので はありませんでした。僕たちの後任者たちは、賢明にもそうした教訓を受けて集客の 目玉となるような巨大施設は作らないと言明しています。


途中から僕らの提案が受け入れられなことに気が付き始めた僕は、ならばいっそ理想 的な万博のバイブルを作ってみよう、と考え始めました。いってみれば万博の「未完 のバイブル」。

友人の川口君という著名なデザイナーの協力を得て僕が文章を書き下ろして作って64 ページA3の制作物を提出しました。外国の建築のコンペでは、そうした実現しない制 作物も立派な表現物としてみとめられます。例えば「この構想はプラスティックの強 度が十分でない現時点では受け入れがたいが、5年後には実用可能であろう」そうし た言及つきでの提案がされることもあります。

川口君の提案で厚紙に出力し、たった10冊だけのコンセプトブックを作ったのです。 はっきりいって自信作です。皆さんに見ていただけないのが残念です。広告クリエイ ティブ、というのは理想的な商品を対象に作ることはめったにありません。今回、自 分で理想的な商品を作り出して、そのクリエイティブを作るという珍しい機会に挑戦 が出来た訳ですから、きっと幸いな体験だったのだろう。今は実現しない空しさを乗 り越えてそう思う心境になってきました。

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