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ホワイトカラーよさようなら

2001/03/31
ビジネス

ここに不平等社会日本—さよなら総中流−という本があります。
これは1995年に行われた「社会階層と社会移動全国調査」という、
1955年から10年おきに続いている調査(というころは今回で5回目なんですが)のデータをもとに、
気鋭の社会学者である佐藤俊樹さんという人が書いた本です。
この調査はみもふたもない調査で、世の中を,
ホワイトカラー上級、ホワイトカラー下級、自営、ブルーカラー上級、ブルーカラー下級、農漁業に分けて、
(本当は300近い職業分類をしているのですが簡単にまとめるとこの6つになります)
私たちの年齢がかわるにつれ、どうその階層間を移動するのか、
また親の階層と子供の階層がどうなっているのか、を調査したものです。

佐藤さんは冒頭で、最初にたまたま手にとった雑誌に載っていたこんなエピソードをあげています。
「いまやお嬢様の究極の基準はどこの産院でうまれたかどうかである」
同時に東京のいくつかの産院が紹介されていたそうです。
彼はとっても不快になったそうです。
これではまず地方出身者は絶対にお嬢様になれません。
地方から単身上京した人々が努力と倹約のすえ、高級住宅地や高級車を購入し、名門高校や大学に行かせる。
そういう「成り上がりお嬢様」がおおかったからこそ、こういう特集が組まれたのでしょう。
逆にいえば1980年ぐらい前、1980年代の日本の常識は
「お金や表向きのステイタスは本人の努力しだいでなんとかなる」
こういう風に思われていたのです。
努力すれば何とかなる。これが実は戦後の日本をささえてきたエネルギーであり、
努力をすればお嬢様になれる国、それが戦後日本だったのです。

それが高度成長が終わってみると、努力してもしかたがない国日本になってきた。
この本ではいやというほどその現実を、社会統計にたちもどって解説しています。
読んでいるとどんどん気分が落ち込んできます。
なんという夢のような社会に僕らはいたのか、ということを思い知らされます。
そうした社会に暮らしてきたお父さんやお母さんが子供たちに、
「なんであなたたちはもっと努力をしないの?」といってみても、
子供たちのほうがずーっと敏感に「だって努力したってもうしょうがないのよ、だって産院がひどいんだもの・・・・」
ってことになってきてしまったと思うのです。

先ほどの職業分類で行くと、戦後、日本が開かれた社会と感じられるようになった理由がいくつかあります。
まずホワイトカラー上級職というものが開かれていたこと。
昔は成績がよくでも家が貧乏だと、ホワイトカラーになることはできず、高校を出てすぐに仕事につかざるを得ませんでした。
それが戦後は、どうにかこうにか成績がいい子供はがんばって大学にまでいくぐらいに、社会が豊かになってきたのです。
もうひとつは会社の中で、ブルーカラー下級、すなわち半熟練非熟練ブルーカラー出身者が、
40歳ぐらいでホワイトカラ−上級になる、たとえば課長になる、ということがおきてきたのです。
欧米ではホワイトカラーとブルーカラーの境目は非常にきっちり別れているのですが、
日本ではその境目があいまいでブルーからホワイトへの移動が頻繁におこなわれてきた、ということがいえます。
三番目に、一国一城の主になるということがありました。
つまりブルーカラーの上級から、自営になる人が多かったのです。
ブルーカラー上級の人というのは腕に自信があり個人としての技能を持っている人たちです。
その親を見ている子供たちにおいては、自分の腕一本で勝負する自営業が目標になってきた、ということだと思います。

こうしたことがあったから「努力すればなんとかなる」と世の中の多くの人が夢を持つことが許されてきたのです。
ところがこれらの移動が次第にすくなくなってきてしまったのです。
ホワイトカラー上級に行くのはやっぱりホワイトカラー上級の子供。
これはいまや誰の目にも明らかになった事実です。
かえるの子はかえるということで、ホワイトカラーの家庭ではそれがあたりまえになって、既得権化してきたのです。
得た地位については権利意識が強いものの、何かができるはずだ、すべきなんだ、という責任感を失なってきたのが、
日本のホワイトカラーの現状だとおもいます。
官僚たちをみればわかりますが、本来社会の高い地位の人が持つべき「高貴な義務(ノブレスオブリッジ)」を見失い、
ホワイトカラーロボット人種が生まれてきてしまった気がします。
お約束のような学歴社会批判の中で、彼らホワイトカラー上級は、
「僕らエリートに生まれてきて受験技術がうまくてすみません」という自己批判をしています。
本来自己批判するならば「だから官庁や大企業を辞めます」とまでならなければ、おかしいはずですが、
彼らはそのままホワイトカラー上級のおいしさを味わおうと考えるのです。
だから外務省とか、KSDとか、いろいろな問題が起こってきているのです。

大企業にブルーカラーではいったら、一生そのまま。
日産のカルロスゴーン氏が導入した改革では、そのことがきっともっと明らかになるはずです。
苦労をしてきたんだから、ある年になったら年功序列で若い者に対してはずかしくない処遇を与える。
それが・・・これだけ日本企業の経営がおかしくなってくると、もう実績主義で若くても出来る人を選抜する、
年をとってもそのまま低い補職で我慢してください、ということになってきているのです。

そして個人企業の開業率をみると、これが長期低落傾向にあるのです。
1985年を境目にして、日本社会では個人企業の廃業が開業を上回り、
ようするに個人企業の数はそれ以後どんどん減ってきてしまったのです。
これは町工場や商店がどんどんなくなってきていることでもわかりますね。
腕を磨いて将来は独立−日本では独立すると税制その他でそうとうサラリーマンより特典があるのですが
−そのメリットも享受できず、ずーっと会社にいつづける。年を取って腕が落ちてもしかたなく・・・ということになってきていると思います。

どんどん暗くなってしまいごめんなさい。
しかし最後にこの人は、新しい可能性のいくつかを指摘しています。
彼が例に出すのはブルーカラー上級職のひとつの典型である美容師業界における「カリスマ美容師」の登場です。
つまりブルーカラー上級専門職とでもいうべき新しい職業が成立をし始めているのです。
高い収入と高級車をのりまわす消費スタイル、テレビや雑誌などで芸能人まがいの露出ぶりに目を奪われがちですが、
彼らは美容院と美容師、つまり企業と個人との間に新しい関係を作り出したのです。
どういうことかというと、これまでの美容師業界というのは古い徒弟制が残る業界だった、といわれています。
雇われている間は給料が低く、腕のいい美容師は出来るだけ早く独立して自分の店を持つ。
それでようやく腕に見合った収入をえる。「一国一城」型職業の典型だったのです。
それに対して、「カリスマ美容師」のシステムでは歩合制を導入して雇っている美容師にお客がつけば、
それだけ美容師個人の収入も増えるかたちにしたのです。つまり完全に業績主義の賃金体系を導入したのです。
それとともに積極的な宣伝活動でそれぞれの美容院のブランドイメージを育てていった。
たんに美容師の腕だけでなく、美容院のブランド自体でもお客が集まる仕組みを作ったのです。
腕のいい美容師はよりブランド価値の高い美容院に移れば、そのブランドの力をかりてより多くの客を集めることが出来る。
ブランドの高さにあわせて料金も高くなるから、その分、さらに収入はふえる。
一方、美容院のほうは、それによって腕のよい美容師を常に置き、高いブランドイメージを維持できる。
個人が自分の技量を、企業がブランドという信頼性を提供して、
その相乗価値で付加価値を高めていくことが可能になってきたのです。

実は僕の友人、岡康道がはじめたタグボートというのは、
これと同じことをクリエイティブという世界で実現してみたのです。
つまり、電通という会社に残ってホワイトカラー上級職でいることをやめて、自分たちでブルーカラー専門職の地位についたのです。
そしてタグボートというブランドを高めることにより、安定した仕事が来るようにしてーまだ安定していないようですがー
腕がいいクリエイティブがそこに集まるようにする。
そして完全に業績連動で給与を支払っていきます。

僕も、いい大学をでて会社にビジネススクールまで出してもらって(ちなみにちゃんと金時計とりましたけど)、
まさにサラリーマン上級を絵に描いたような人生を歩んできました。
そのサラリーマン上級の未来を捨てて、同じくブルーカラー上級専門職の位置に立ちつつあるといえるのかもしれません。
僕の場合ですと、面白いことを思いつき、それを調べて物を書く。
人の管理・監督をするよりも、毎日毎日そういう労働をこなしながら人生を送りたいと思っていたのです。
ぼくらの忙しさ、肉体的な酷使、移動量と手仕事の多さは、まさしく知的肉体労働以外の何者でもありません。
比べてみると僕のほうが岡君たちに比べて、独立する先輩がおらず職業が確立していない、わけがわからない仕事なので
はるかに苦労は多いですが、しかしその苦労は同じくある職種を新しく作るという「やりがい」を意味します。

一生続けたい仕事を見つけ、その専門家としていきる。
これまで一億総中流社会では、そんな生き方は、
いわゆるサラリーマン上級エリートとくらべて対して素敵ではないと思われていたのかもしれません。
でも社会的にみておそらくある種のエリートであった僕たちが、自らそうした道を捨てて、
ブルーカラー上級専門職という仕事をはじめた。
そして手探りの中で古い徒弟制度から脱却して、新しい企業と個人の関係、そして企業のブランドを作り始めている。
これが21世紀日本の職業的な夢となり、ひとつの生き方となることを、僕たちは信じているのです。

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