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連載小説:「ここだけの趣味」

2001/04/15
人生・本そのほか
(この話に登場する人物及びエピソードは98%架空です。)

これは96年ある会社(はてどこだったか忘れました)の掲示板に掲載されたものです。このときその会社の掲示版ではリレー連載というものをやっていて、前の人から引き継いで一週間連載を続け、次の人に引き継ぐという「いいとも」スタイルで長年続いていた連載でした。ちなみに私に引き継いだのはバリュークリック常務の〇野君です。(ちなみに〇は原)彼の名誉のために行っておくと、彼に本当に女装趣味があるかどうか、私はまったく知りません。(・・・えっ、全然否定になってない?)
わたしはどうせやるなら破天荒なものを、と考えて「ネットワーク小説」というスタイルを試してみようと思ったのです。それはどういうものかというと、まず3Sというテーマを決めました。セックス、スキャンダル、スラプスティックの3Sです。
毎日数回、短い文章にわけて連載をすすめます。自分に起こったこと、人に起こったこと、噂話を全部交えて小説形式にしてみよう、とそういう試みだったのです。あんまり私本人の自伝的要素が多いと思われるのが嫌なので、出てくる地名に全部「谷」をつけてみたりしました。・・・・だれも気がつきませんでした。
この話はそうとうな反響と人気を呼びましたが、主には「全部吉田の体験談らしいぞ(笑)」という〇〇人(その会社の人はなぜか社名に人がついて呼ばれていたような気が・・・)によくありがちな「ためにする曲解」を生んだからだと思います。その後これは過去の名品を表彰する名誉ある掲示板に乗り、同時にスキャンダラスな曲解も、永遠に人目にさらされ残ることになったのでした・・・






● 女装の趣味とG君

 RIREの事は知っていたのだ。見る暇こそなかったが。
 RIREの事を教えてくれたのは、私をここに連れてきたG君である。
 G君と知り合ったのは偶然である。昨年の秋、千駄ヶ谷のマンションにあるTという女装
クラブの事である。
 高校の時、ジャンピン・ジャック・フラッシュというストーンズのシングル版のジャケ ットにあった女装したミックジャガーに魅せられて以来、いつかは女装趣味をものにして みたいと思っていた。
 それが同好の士と知り合って実現したのは、つい去年の事である。
 私の好みはアメリカのオフィスウーマンである。つまり紺のタイトスカート、開襟で清潔なショートスリーブに黒いパンプス、シームのあるストッキング(とガーター)である 。
 G君はナルシスティックな雰囲気に助けられ、見事にDKNYを着こなしている。私と同系 統の趣味である。他のほとんどグロテスクな女装男に囲まれてみると、「ね、みんなきた なくていやねー」と、友達になれそうである。だが正直に言えば・・「俺の若いときの方 がきれいだったろうが、今は彼の方がきれいだ」と感じざるをえなかったのである。
 G君に声をかけたのは私である。というのは、そこにG君宛に携帯電話がかかってきてー そんなところで携帯をつけっぱなししておく方がどうかしているがーG君が、エリートビ ジネスウーマン風から、いきなり女装したエリートサラリーマン風に戻り、仕事の話をし ているのを聞いたのである。彼は社名や人名、組織名こそ注意深く出さなかったが、なん たる不注意か、デンノートを取り出してスケジュールをみたのである。
私は彼の近くに行き、頃合をみて話しかけた。




● 女装の趣味とG君2

「失礼ですが・・・・電通の方ですか」
かれの驚愕を早く消そうと私は言葉を続けた・・・
「僕もそうなんです、ご安心を」
やがてG君とは電話やE-mailで話をするようになり、親しくなった。
というのも彼のクライアントに私は非常に興味があったからである。RIREの事を私に教 えてくれたのは先月、G君がセッティングした女子大生とのコンパに私を呼んでくれたときである。
(二人とも女装よりも女子大生の方が好きだったようである)
「吉田さん、RIREって知っていますか?」
「いいや」(私は応対がぶっきらぼうで有名である)
 彼はRIREの説明をしてくれて、話を続けた。
「僕はその内絶対RIREに書いてくれと頼まれると思うんですよ。もし僕の番になったら次 は吉田さんに振りますから、よろしくお願いします。」
 「なんでこいつはたいした事もないことに、こんなに自信満々になるんだろう」と私
は即座に思い、慌ててその気持ちを打ち消した。
 というのも、私は、考えたことが一言一句顔にでることで有名なのである。
(それが原因で殴られたことが二回もある。)
慌てついでに「あ、いいよ」と言ってしまったのが、今回リレー連載を引き受けた理由である。
それで私が書こうと思うのは、G君と知り合ったきっかけもそうであったが、私の一風変わった趣味と、それを通じて偶然知り合った電通マンの話である。
 なにかしらいつも人生で物足りないものを感じている私は、ほぼ3ヶ月おきに趣味を変えている。 
たまたま知り合った人に誘われやすい質、というよりは、私の断れない性格を見すかされて、 さそわれるのであろう。私もそれが感動しにくい自分の性格を変えるのではないかと、「天啓」を期待して試みるのである。
(そういえば先週は、習志野でパラシュートからの落下訓練をしたー私の何も変わらなかったが。)
いずれも長続きしない趣味であったが、しかしそこで出会った人々は、
私の人生の彩りを深くしてくれているのである。




● ディスコダンスの趣味とC氏

  私はー女装よりも恥ずかしい趣味かもしれないがーディスコダンスを習っていた事が ある。自慢ではないが、その昔大学生の時は、社交ダンス(ルンバやワルツ)もならっていたのである。
 そういえば昔、といっても80年代初頭だが、ダンスパーティというと、こちらで社交
ダンス、あちらの暗がりでディスコなんて、まるで今の上海のような時代もあったのである。
 今でも多分ムーンウォークが出来ると思う。出来ると断言できないのは、もう10年もやっていないからである。
 新婚ほやほやの時、私は妻が寝た隙にヘッドフォンをはめて、マイケルジャクソンを掛 け、爪先立ちを試みた。
(妻はディスコは好きだが、習ったようなへんてこなディスコダンスは大嫌いだ。)
ところが私の親指は、甘い新婚生活で増えた体重に耐えきれず、いきなり凸方向に折れてしまったのである。
 その時治療してくれた女医の受け売りだが、親指は凹方向には大きな加重に耐えられるが、凸方向には耐えられない。
 私はヘッドフォンをしながら、激痛にのたうち回わった。
私の親指は大げさに言うとくるぶしぐらいになってしまったのである。
「あ、くるぶしが両方にある」なんて言っている場合ではない。
 冷静な私は、激痛に耐えながら救急車を呼ぶいいわけに、ステレオセットを床に落とすことにした・・・それが私の親指に落ちたというわけである。
 妻へのいいわけには成功したが、ステレオセットは壊れてしまった・・・それ以来一度 も踊っていない。




● ディスコダンスの趣味とC氏その2

 C氏と知り合ったのは、入社してすぐの暑い夏、水曜夜の西武球場である。私が阿佐ヶ 谷で習っていたディスコ教室の姉妹教室が麻布にあり、C氏はそこにかよっていた。なぜ西武球場かというと、共通のすごいアフロヘアの大先生が、ラッツアンドスターのバック バンドの仕込みをやることになり、教室から雄志を募ったのである。
 応募して選ばれた私は、銀ラメのジャンプスーツを着て、ラッツアンドスターのバック
で踊ることになった。大観衆を前に舞台に出たところ、となりにいたのが、どこかで顔を
見たことのあるC氏である。私は例によって声をかけた。
以下は踊りながらの会話である。
「あれ、電通の方ですか?」(と私)
「ええ電通です」「奇遇ですね!」
「ええ」
「あの・・あそこのこっちみている人、ラジオ局じゃないですか?」
「まずいことにこのイベント、電通の仕切りだったんです」
「笑っていますよ?」
「知らんぷりしましょう」
「大丈夫ですかね?」
「あの・・・折角選ばれたんだから真面目に踊りませんか」
C氏はいたって真面目な風貌の地味人間である。(踊り出すと人が変わるクチである)
 私と違って未だに踊り続けているということだから、諸君もどこかのディスコで遭遇する機会があるかもしれない。




● 鬼十則の趣味とR氏

 馴れ馴れしいR氏が他ならぬ私の人生に大きく関わる事になったのは、数年前私が子会社に飛ばされる直前の事である。というより彼が原因で私は今、子会社にいるのである。
 R氏は私に関心があるようだ。
例えば以前、R氏は渋谷で彼女と一緒に歩いていて、ファッション誌に写真を取られたそうである。本当かどうかわからないが。C氏は電話を掛けてきてこう言った。
「いや急に名前を聞かれましてね。つい吉田さんの名を名乗ってしまいました。」
 顔を見ればだれだって私じゃないと判るだろうに!
 またこれも数年前であるが、「彼女とホテルに行ったんですがね、いや本名は恥ずかし くて、つい吉田さんの名前をフロントで書いちゃったんですよ」などと訳の分からない電話をしてきた事もある。

 ところで数年前、裏十則というのがあったのをご存じのかたもいると思う。
 役員の何人かが悲憤慷慨して涙を浮かべ、「書いた奴をくびにしろ」と叫んだと言われるシロモノである。
 あれを書いたのは私である。そして、あれが世に出てしまったのはR氏のせいなのである。

 当時私を組合活動にさそったR氏は組合の広報担当で、以前私が戯れに見せた裏十訓の
コピーを持っていて、それを無断で組合新聞に載せてしまったのである。私はR氏に喫茶店に呼び出され、告白された。
 「いや本当に申し訳ない。私吉田さんが書かれた裏十訓のファンでしてね。
 あれを出しちゃったんですよ、いや、ご迷惑がかかったら本当に申し訳ない。それでね 、いや私が書いたと勘違いされちゃ失礼かと思ってね、ほら、このビラの一番下をみて下 さい。ほら、並べると、よしだのぞむになるでしょ?」




● 鬼十訓の趣味とR氏2

 ディスコダンスよりも珍しい趣味であるが、実は私は、鬼十訓のパロディ化が趣味なのである。鬼十訓の6番目といわれて「周囲を引きずりまわせ」とすらすら言える電通マンは少ないのではないかと思う。
 ところで以前大学生の時、私は新左翼のなれの果ての●●●に誘われて(といっても数回ヘルメットをかぶっただけであるが)、おかげで未だに知られたくはない交遊関係が( とくに公安に)ある。
最近は直接会うこともなく、電子メールだけで用事が済むのが幸いであるが。
 かれらに鬼十則の「仕事」を「破壊活動」に変えて渡してあげたところ、喜んだのなんの。鬼十訓が左右と時代を超え通用することにいまさら驚いたのである。

 裏十則の件を上司に相談したところ、累を恐れた部長が言うには、「うーん、ほとぼりがさめるまで子会社に行っていたほうがいいな。ま、役員も君より先にやめるんだしさ。すぐだよ」。それで、今日にいたっている。
 幸い、しばしば執筆の機会を得ている私は、次の広報誌でネットワーク十則というのを公表することにした。
人に許されるパロディで、「そうか十則のリメイクも役に立つんだ」とかつての上司(今や役員だ)に思わせ、復権(電通に戻って部長になる)を夢見ているのである。
私の唯一の不安はR氏である。彼がこんなメールをよこしやしないかと・・・
「いや、吉田さんRIRE見ましたよ。ナイスな連載じゃないですか。面白いんでコピーして役員にくばっときましたが、まずかったですか?」




● 俳句の趣味とw君

 W君に初めて出会った場所は、茗荷谷にある40年ほどたった古い日本家屋のことであ
る。150坪ほどの庭には、ざくろやつばき、柿などの木が植わっており、すみには石灯
篭がいくつかあった。
その家屋には8角の寄木作りの床の背の高い洋室があり、そこでは月二回のペースで句会
が行われていた。
-俳句は、さすがに鬼十則よりはポピュラーな趣味である。
 ひょんなことから句会に入ることになった私は、そこでW君ら数人の知己を得た。
 ほとんど俳句を川柳と勘違いしていた私と違い、W氏は俳壇でも有名になりかけていた期待の星であった。
 仕事の話も俳句の話をしなかったが、たまたま雑誌の話をしたら「朝日ジャーナル、諸君、週間新潮」と、愛読3誌がまったく一致していることが判り、急に親近感を覚えた。
 あまりの場違いさに(いつもそうだ)数回で句会への出席をとりやめてしまった私は、しかし思いがけずW君に再会することになった。

 というのは、w君はなんと、出向する私の営業職の後任になったのである。
 挨拶にきたW君を見て私は驚いた。あの俳界の俊英が電通社員だったとは・・・
 W君はちっとも驚いていなかった。
 「あのすっとんきょう、やっぱり電通だったか」ぐらいのものであろう。




● 俳句の趣味とw君2

 W君への引継はうまくいったとはいいがたかった。
 1ヶ月の引継期間のうち、W君は3週間も休んでしまったのである。
 風疹だと称するW君の顔は生気を失い、髪はぱさぱさ、皮膚はぼろぼろである。
 宴会の後夜更けに会社に立ち寄ってみると、W君は熊のようにぐるぐる机の周りを歩い
ており、目はうつろである。
 「やばいな」という直感は正しかった。
 W君は次の日失踪してしまったのである。
 問題はその後である。W君の業務日誌は「わからない 仕事がまったく 手につかない
」が二回繰り返されて終わっていた。
 (まるで映画「シャイニング」の主人公の小説のようである。)
 私には、その虚ろな言葉は、俊英W君の心の衰弱を表している以外には思われなかったが、会社はまた違った風に取るものである。
 W君の失踪は、私の引継が悪かったせいになってしまったのである!
 W君の家はもぬけの殻、きれいに整頓されていた。
 警察に行き、W君がキャッシュカードをおろしている事が判ると、私は会社に命ぜられ、W君の母親と刑事と一緒に裏日本にあるD銀行のその支店を飛行機で訪ねた。
 そこでキャッシュディスペンサーに備え付けられたビデオを見てみると、写っているのは確かにW君である。刑事は言った。
 「これは他殺でも自殺でもありません。彼は失踪しました。」

 というわけですっかりいなくなってしまったW君であるが、後日談が二つある。
 2年後に私あてにW君から手紙が来たのである。
 「仕事が大変で失踪したと皆さんお思いでしょうが、実は違うのです。俳句で知り合っ たある人妻と恋に落ち、心中しようと思って旅に出たのです。吉田さんにはご迷惑をお掛
けしましたが、今は神戸で演劇をして幸せに暮らしています。」
 W君は高名の方のご子息で、普通の電通マンとは違い、とても人妻と結婚しますと簡単に言える性格ではなかったらしい・・・
 もう一つはもっと驚く噂である。いわくW君はその後すったもんだの人妻と離婚し、演劇で知り合った派手なアメリカ人の奥さんと再婚した。その伝で、外資系の映画会社の社長に就任、今や年収は4000万円を越えるという。
 W君の今の趣味は、俳句ではなくエアロビクスであるという。いつか、かれの通うスタジオに行きエアロビダンスのさなかに彼に近づき、ささやきたいものだ。

「奇遇ですね、また趣味があうなんて・・・」




● アウトドアセックスの趣味とO部長

 俳句より人目をはばかる趣味であるが、私は一時、アウトドアセックスにはまった時期
がある。
 当時付き合っていた日々谷のOLがそっちの趣味で、さそわれるまま、昼に銀座のクラブ
ビルの屋上に出かけていたしたりしていたのである。
 というとセクハラ騒動以降に入社された若い諸君はぎょっとするかもしれないが、私が
電通に入った昭和40年代は、ボルヘスもマルケスもびっくり、日本中でいろいろと、と
んでもないことが平気で起こっていたのである。

そういえば会社にもいろいろな人がいた。
 土曜日浮気を心配して会社の前で見張っている家族を尻目に、会社の会議室に女を呼ん
だ同期。(あ、これは40年代ではなくて最近だ)
 局長室でいたしていて、酔って帰ってきた局長に見られたM氏(その後立派に出世した)。
 あるいは、これは下ネタではないが、しょっちゅう血だらけで出社する新入社員。
 尖型コンジロームでカリフラワー状になったいちもつを人の電話機にこすりつける奴。
 机の下に隠れて4時間ぐらい電話する部長。
 外出時に電話機に鍵をかけるノイローゼの次長。
 築地でマグロを買ってきて朝机にどーんとおく局長。
 トイレで素っ裸になって歯を磨いている役員。
 口喧嘩で思いきり靴を脱いで投げつける社長。
 病気のような高度成長のせいだったのか、なんだったのか・・・・




● アウトドアセックスの趣味とO部長その2

 ある昼下がり、日比谷の穴場、ビルの最上階の狭いエレベータホールでナニをしていた
時のことである。そのビルの4回には美容院があり、エレベータが頻繁に行き来していた

4階にエレベーターの表示ランプが上がると、こちらのアドレナリンも上がるという具合である。
 ところがふと気が付くと、エレベータの表示が4階をこえて、5階6階と上がってくる。
 「おいおい」と思うまもなく、チーンという音がしてエレベータが開いた。
 エレベーターの中には氷りついた男女の二人組が、エレベーターの外には汗をかいて見
苦しく服を着る二人組がいた。
 男はいざというときにもさすがに好色で、私には見向きもせず、連れ合いの顔や身体を
観察している。
 その顔を見て驚いたのだが・・・それはO部長であった。




● アウトドアセックスの趣味とO部長その3

 数カ月後、O部長と私は、ある会議でとなりあわせになった。
 O部長は私に気が付かない。あんなところに男女で来るとは同じ企みにちがいない、と
ふんで、私は恥ずかしそうに小声で話しかけた。
「部長、ここだけの話ですが、日比谷のビルの8階にいた二人組、片割れは私です・・・・」
 部長はにやりと笑い、「そうか、今度僕の家に来なさい、君一人でいいからさ」といった。
 部長の家は 神谷町にあった。150坪はある敷地に要塞のようなコンクリートの3階
建てである。
 中庭とか吹き抜けとか秘密の部屋が、沢山ありそうである。
 「あ、妻は今買い物にいってるからさ。君先になにか飲んでいなさい。」
と飲んでいると、やがて静かに奥さんがバールームに入ってきた。
 私は驚いた。
 部長が日比谷のビルに連れて来たのは彼の奥さんだったのである。
 「ああいう所に妻と来るのはよほどの愛妻家。その夫婦が私を一人で呼ぶとは・・・」
頭がぐるぐる回転したが、結論は一つである。
 つまり私たち三人の間できっとこれからなにか起こるのである。
 思ったことが顔に出やすい私は、トイレに行き、鏡を見ながら冷静になろうとした。
 そこにあるのは嫌らしさがにじみ出た仏頂面であった。




● 野菜クラブの趣味とO夫人

 結論から言うとその日は、ナニもなかったどころか、私は大変な恥をかいて悄然とその家を後にしたのである。
 アウトドアセックスよりもヘルシーな趣味であるが、私は当時経理部のB氏に誘われて、野菜クラブに入っていた。当時毎週土曜日に保谷にある農園へ出かけ、野菜を作っていた。
 長靴を履き(ズボンを中に入れ)黒いベルトなどしめ、わざとワイシャツを着ていって 、袖まくりし、麦わら帽など被るのである。 きゅうり、トマト、枝豆、茄子など、驚くほどうまい野菜を自分の手でものにする楽し さは格別である。

作った野菜、もらった野菜で私のベランダは一杯になり、私は毎日馬のように野菜を食べていた。
(これから先は尾篭な話である。)
 トイレで鏡とにらめっこをしていた私は急に便意を催した。
 そして便器に座り、力むと、死ぬほど食べていた野菜のおかげで、この世のものとは思 えないほど大きな雲固をしてしまったのである。




● 野菜クラブの趣味とO夫人その2

 太さは5センチ、長さは50センチ、「おっ、これは私の人生最大の創造物」と喜んでいる場合ではなかった。
 それはモースの硬度計でいえば3ぐらいの堅さがあり、何度試みても流れるどころか、
怒髪天をついて便器から拠立しているのである。
 20分はむなしい努力をしていた私は、しょんぼりとダイニングにもどった。
「おなかでも痛いの?」と妖艶に訪ねる奥さんに、私は「いいえ(とほほ)」と返事した。
食事が終わって奥さんはトイレに行き、席に戻った。恐れていたことが起こった。
「いいおみやげをありがとう」
「本当にすみません」
「いいのよ、持って帰ってくれれば」
彼女は娼婦から主婦に戻ってしまったのである。
「持ってかえれと言われても・・・・」
「私にあなたのナニを運べっていうわけじゃないでしょうね」
と色気は怒りに変わった。
「いらないフォークとごみ袋をあげるから、なんとかしなさい。」

 O部長はその後(幸いに)出向し、私はそれ以来、アウトドアセックスからも野菜クラブからも卒業した。




● メディテイションの趣味とSさん

 野菜クラブと同系統の趣味であるが、つぎに私はあるアルバイト嬢ににさそわれて、メディテイションの会に入った。メディテイションというのは瞑想という意味で、そこに行ってみんなで数時間瞑想をするのである。
 瞑想でもすれば、私の気分の何かが変わるのか?
 期待を持って、富ヶ谷にある一軒家に土曜日の昼、出かけていった。
 そこには20人ぐらいの人がいて、みんななんというか表情に共通点があり、初対面だというのに話題も弾んでいた。

 例によって私一人取り残された気分になった。
 「さてメディテイションの時間です」と案内役の人。
 「今日のご講師はハワイから来ました。
 みなさんこれから二時間(え、二時間もあるの?)楽しく過ごしましょう。
 足を組んで座って、掌を上に向け、手を膝の上におかず、空中に浮かして下さい。
 目をつぶって、何も考えないように。
 講師がすぐに来ますから目を開けて見ないように。
 講師の先生は皆さんの手の平にエネルギーをそそぎ込んで行きます。」




● メディテイションの趣味とSさんその2

 手を膝から浮かせて二時間である。
 昨日会社を休んでゴルフに行って手がつりそうだというのに・・・
 私はみんなのまねをしたが、「何も考えない」というのは至難の業である。
 心の悪魔が「考えないように努力している」私の脳に恐ろしいテクニックと勢いで侵入を試みる。
 しかも目をつぶっているというのも苦手である。
 人がどんな顔をして瞑想をしているのか、それにハワイの講師とやらがどんなやつなのか、見たくて見たくてたまらなくなってきた。
 おまけに手は休息を求めて私の脳にSOS信号を送り込んでくる。
 瞑想どころか煩悩の塊状態になってきた。

 ついに耐えきれず薄目をあけた私は、こみ上げる爆笑をごまかすため、せき込んだふりをした。
「エヘエヘ、オホホ、ワッ、ゴホンゴホン、ジュルジュル(よだれを吸う音)」
 幸いなことにつられて笑う人はいなかった。(いたら最後、笑いが笑いを呼びジエンドであった)
 笑ったのは、アルバイト嬢を含め10人ぐらいの瞑想者が掌を上に向けたまま、手を大きく動かして、上半身だけインドネシアの踊り子状態になっているのである。
 あれはきっと、みんな手が疲れてきて無意識で手を動かしているのである。そうだ、私もやってみようか、笑わずにできるだろうか、と思ったときである。
 左手の人の前でエネルギーを授けているらしい講師が立ち上がり、私の視界にはいった。
 薄目をもう少し開いてよく見ようとした私はそこで、懐かしい顔をみつけ驚いて飛び上がりそうになった。




● カイロプラクティスの趣味とSさん

 Sさんは同じ局にいて私のカイロプラクティスの先生だった人である。
 Sさんが見間違いようもないのは、容貌魁偉だからである。 
 身長は180センチ以上あり、筋肉質の体型である。
 全体的にちょっとストロング小林ににている。
 禿げていて、顔が異常に大きく、目がとてもやさしい。おまけに髭をはやしている。
 Sさんは独身だった。
 私が当時腰を痛めた事を聞き、「吉田君、僕カイロプラクティス知っているからやってあげるよ」とSさんはいってきた。
 素人にカイロをやってもらうほど恐いことはないなーと思いながらも、彼の厚意を断る
わけには行かず、私は鴬谷にある彼のマンションを訪ねた。

 部屋に入るなり、彼は鍵を閉め、「吉田君、カイロは身体から熱が出て熱くなるから、パンツ一丁になったほうがいいよ」というのである。
 私は何も考えず洋服を脱ぎ、パンツ一丁になり、貧弱な身体をリビングルームにある ファーベットに横たえた。

 恐かったのはそのあとである。
 「僕もあれやると身体あつくなるからさー洋服脱ぐよ」といって彼は背広を脱ぎだし、
見事な身体を曝した。彼は六尺褌を身にまとっている。私はほとんど観念した・・・・
 「今まで守ってきたのに・・・しかし病みつきになったら恐い・・・」




● 失踪したSさん

 Sさんの指が私の腰に食い込み、私は快楽と苦痛にあえいだ。かれのあごから滴り落ちる汗は私の背中のくぼみにたまっている。と思わせぶりに書いたが(笑)、Sさんは黙々とカイロを行い、私は心地よさに汗びっしょりになった。

たし にSさんも汗びっしょりである。
1時間ほどの「コース」が終わり、私の腰は確かに軽くなった。
 私は疑った自分を恥じた。

 Sさんはそれから半年後にいなくなった。
なんでも親族を集めて大宴会をしたのが発端で借金を背負い、高利貸しに借り、雪だるま式に借金が増えたそうである。
 Sさんが退社する日、会社には大勢の借金取りが、退職金を取りにやってきた。
 昔は総務局の金庫から直接退職金を支払ったのである。
 H次長は「まあまあ皆さん」と言って会社の前の喫茶店(じゅんとネネのネネがママだった)に借金取りの面々を連れていった。
「私が責任を持って退職金を受け取り、ここで皆さんに分配しますので、会社の中で騒がないで下さい。」
 啖呵を切ったH次長はS氏と一緒に11階の総務局に行き、退職金を受け取った。
 S氏は現金の大きな紙包みを受け取ると、H次長に預け、「ちょっとお手洗いに」と席を外した。
 勿論待てども暮らせども、S氏は帰ってこなかった。
 20分もしてトイレのドアを半狂乱で叩いたH次長が握りしめていた紙包みを開けると
・・・・中には紙幣大に切った新聞紙がつまっていた。

 H次長は袋叩きになり、S氏の消息は完全に消えた。
 その、S氏が・・・・15年後にはハワイの導師である。




● 再びカイロプラクティスの趣味とSさん


 そのSさんがすぐそこにいる。
  S氏は私に気が付いている。
  私がSさんに気が付いたことも知っている。

 観念して目をつぶった私にSさんのオーラがやってきた。
 何の疑念もストレスもないオーラである。
 Sさんは私の手に彼の手をかざし、念じている。何かが聞こえる。
 「いいんですよ、あなたはあなたのままで」
 「わたしもいいんです。私のままで」

 S氏は人に聞かれないように私の耳元に口を近づけて、次のようにささやいた。
「お久しぶり。あなたはメディテーションなんかに似合いませんよ。
 どうです、今度女装クラブに私と一緒に行きませんか?」

 私はRIREの連載を次にバトンタッチする美和社員という電通総研の新入社員を連れて、
Sさんと一緒に女装クラブに行ってみることにした。
 しかしいつまで女装趣味が持つものやら・・・

● 女装の趣味とG君に続く

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