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韓国は法治国家であることをやめたのか?

2007/05/02
歴史と社会

韓国マニアの私ですが、書くかどうか迷いましたが・・・・書きます。
昨日度肝を抜かれた記事がありました。

親日派の財産没収
http://www.chosunonline.com/article/20070502000057

「親日・反民族行為者財産調査委員会」のキム・チャングク委員長が2日午後、ソウル忠武路極東ビルで開かれた「第1次親日財産国家帰属決定発表記者会見」で、親日派の財産没収について発表を行った。
 同委員会は、「親日・反民族行為者の財産の国家帰属に関する特別法」に基づき、李完用(イ・ワンヨン)ら9名の土地約25万5000平方メートル、公示地価36億ウォン(約4億6000万円)相当を没収を決定した。

この法律のことは漠然とは知っていました。
親日反民族行為者財産帰属特別法

でも私は、たとえばアメリカで行われているような従軍慰安婦に関する特別決議のように、まさかまさか資産没収におよぶ法的拘束力をもつものだとは思っていなかったのです。(近代国家の常識として漠然と)

これは事後法あるいは遡及法といって、過去にあったことを、その後にできた法律で裁く行為です。この法律の施行により子孫が何代か前の世代に行為に連座して、いきなり私的財産権を侵害されることになります。
この対象となるのは、「日露戦争開始前から韓国独立前までの間、反民族反国家行為の対価として取得、相続もしくは故意による贈与を受けた財産」だそうです。
李完用氏は、韓国皇帝から全権委員に任命され、韓国併合ニ関スル条約を調印した人です。日韓併合は1910年。今からおよそ100年前のことです。

まず一点目。歴史上の「売国奴」を憎むのは韓国人の勝手にしても、財産権の侵害は話が別です。
ヨーロッパで生まれた近代法は、国家と国民の間におけるこの不遡及の原則を、二百年あまりかけて整備してきました。近代国家は怪物と同じ。その国家が、過去にさかのぼって国民を罪に問いただすのは、あまりに恣意性が高く恐ろしい行為です。これは大陸法、英米法どちらにおいても採用された原則であり、フランス人権宣言第8条にその原型があります。


私たち日本と日本人は、自主性のある近代国家となるため、この不遡及とそのベースとなる罪刑法定主義原則を、明治憲法において受けいれました。韓国も日本同様の法治国家になってきたのであろう、と最近の経済発展や文化交流、活躍する韓国企業などを見て思っていたのですが、心から失望しました。
韓国の法学者、法学会、また判事たちは、憲法に反するこの立法と施行をどう考えているのか???「大韓民国憲法」によれば、大韓民国憲法第13条第2項『全ての国民は遡及立法により参政権の制限を受け、財産権を侵害されることはない。』はずなのですが・・・

彼らは、社会秩序の維持のため、法令がなくとも犯罪を裁ける「断罪無正条」があった律令時代の習俗をまだ引きずっているのだろうか???
今回でいえば調査委員会における反民族反国家行為の認定プロセスにはどういうアカウンタビリティがあるのだろうか???

このニュースからは反日という特殊イデオロギーに立脚した「人治主義」と、そしてどこかしら国家による個人資産の没収という点での「社会主義」のスメルが漂ってきます。
韓国では、大統領前任者が退任すると、大変などんでん返しが起こることがよくあります。
たとえば全斗煥大統領は、退任後院政を狙うものの、利権介入などが発覚し親族が逮捕され88年に私財の国庫への献納と隠遁を表明。(本当にど田舎に隠遁)その後も光州事件や不正蓄財への追及が止まず、死刑判決を受けた。しかしその後減刑の後、特赦された・・・
今回もこの法律の施行を強力に推進した盧武鉉大統領の退陣と同時に、いくらなんでも国際世論上みっともない、という意見が出て大きく変わることなのかどうか?

二点目。このポイントはそれこそこの法律が意図している歴史の見直しの問題の根本にかかわることですが・・・・
明治維新以降日本の国家戦略は、大陸欧米からの侵略にそなえて、防波堤とすべく韓国を自主独立の国家とすることにありました。(日本自体を守るだけで大変だったので、韓国には自主国家になってほしかった)
しかし日本から行われてきた再三再四の自主独立への誘いは、李氏朝鮮の支配階級には、理解不可能なことでした。当時の韓国(李氏朝鮮)は柵封体制下にあり、つまりは清の属国であり半主の国でした。李氏朝鮮が頼りにしていた宗主国の清はといえば、1900年の北清事変で列強に宣戦布告し、進駐・占領されてその後半植民地化してしまったのです。
つまりその当時の李氏朝鮮は今の北朝鮮に連綿と受け継がれるがごとく、一部の特権階級が国民を奴隷のように扱う「失敗国家」でありました。

日清戦争で勝利した日本は、清国との間に下関条約を結んで朝鮮が自主独立国であることを認めさせることで、朝鮮における清国の影響力をある程度排除することには成功しました。
(下関条約第一条 清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。)

しかしその後日本が三国干渉に屈するのを見た王室をはじめとする保守派は、勢力を回復してロシアに接近し、1896年に親露保守派が高宗をロシア公使館に移して政権を奪取、高宗はロシア公使館にて1年あまり政務を執りました(露館播遷)。

このロシアの南下(韓国の保護国化)政策に対抗するために日露戦争がおこなわれたのです。

この併合が当時の国際法に違反することだったのかどうか。また避けられたことだったのかどうか。
「韓国併合当時の国際法は世界を自主の国、半主の国、未開人と三種類に分け、主権の尊重、条約締結における批准と署名、侵略禁止などはヨーロッパ文明を有する自主の国の間でのみ適用され、当時の国際法成立に関与してないアジア、アフリカなど非ヨーロッパ文明に対しては一方的に半主の国、未開人として主権を認めず、自主の国間では不法とされた侵略までも合法とされていた。」
日本は当時すでに、日清戦争と日露戦争に勝利し、欧米から自主の国とみなされておりました。一方李氏朝鮮は、半主の国でありました。その時の李氏朝鮮が近代国家になるために、自立という道はそもそもなかったのです。

そしてこの国際法が変わるのは(すくなくとも「列強」が変わったとみなすのは)、第一次世界大戦のあまりの惨禍のために結ばれたブリテン・ケロッグ条約、で国際的に初めて “侵略”という行為が定義付けられてから以降のことです。日本による満州国建国や、中華事変は、国際法的に違法とみなされ、敗戦後の東京裁判における、A級戦犯の認定につながっています。(ちなみに第二次世界大戦時の国際法では、重要戦犯の認定に関して、不遡及の原則は確立していなかった、というのが私の意見です。)
歴史の見直しは随時行われるべきであり、また上記の認識にも、日韓双方から大いに異論はあるでしょう。しかし歴史の見直しというのは、今日の常識で過去を裁くことと同義ではありません。法、自由、人権、財産権などの大きな基盤の上に安定して立った国、国民、そして市民意識をもって、過去の歴史の見直しと反省を行うのでなければ、それは歴史の改ざんにつながる行為と思います。

ちなみに韓国の文教部発行の国定歴史教科書には日韓併合に関する以下の記述があります。
「彼ら(日本)の国家利益を増やすために、朝鮮を開発し、日帝の侵略政策で、民族の経済活動は大幅に委縮し、民族産業も、その発展が抑えられ、沈滞せざるを得なくなった」
この記述が正しいものなのかどうか。読者の判断をいただくために、文教部の教師用教科書に出ている別のデータをあげておきます。

 ① 朝鮮の人口増加率推移

 朝鮮(李氏末期Ⅰ) 1777-1877年 100年間で-6.79%
  (1804万人→1689万人)
 朝鮮(李氏末期Ⅱ) 1877-1910年 33年間で-22.3%
  (1689万人→1313万人)
 朝鮮(日韓併合時) 1910-1940年 30年間で +94.4%
  (1313万人→2553万人)

 ② 日韓併合時代の年平均人口増加率

  朝鮮(1910-1940年)  2.09%
  日本(1910-1942年) 1.24%
  台湾(1910-1943年)  1.85%

もし、仮にですが。
「日露戦争開始前から韓国独立前までの間、反民族反国家行為の対価として取得、相続もしくは故意による贈与を受けた財産」の時間的制限がない「反民族反国家行為の対価として取得、相続もしくは故意による贈与を受けた財産は没収」という法律ができたとしたら。
私はこの2つの法律の間には、わずかな差しかないと思うのです。
その場合親日行為とみなされる言論、貿易、実業などはすべて国家に帰属することになります。
それはまさに北朝鮮が行っている政策に異なりません。
韓国の社会の仕組みというものは、やはり日本より北朝鮮に近かったのか。
悲しみにも似たそうした感慨が起こってきます。

近くにみえてはるかに遠い国。日韓関係がそうならないことを心から祈ります。

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