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日本のブランドを考えるための本

2007/01/18
歴史と社会

外交フォーラム二月号 日本ブランド特集号の原稿をアップします。

世界でブランド製品を輸出できる力のある国はわずか一〇カ国程度。日本はその内の一つだ。日本はなぜそのような力を手に入れることができたのか。その謎を解く鍵は連綿として続いてきた歴史や文化の中に隠されている。

【本文】
 日本のブランドとは何か。人口一億人を超える先進国は日本とアメリカである。日本のブランドは、高度な消費生活を享受する大人口と、それを支える企業群と経済力によって成り立っている。冷戦後、軍事力に代わって経済力、その背景にある文化力が国家ブランドの本質となった時代において、日本のブランド力は世界の中で図抜けていると言えるだろう。

1.日本とヨーロッパだけがブランドを築けた「わけ」

 世界の中で、ブランド製品を輸出できる国は一〇カ国程度に限られている。アメリカ、イギリス、日本、ドイツ、フランス、イタリア、スイス、スペイン、スウェーデン、韓国などの国である。そしてアメリカがおもにヨーロッパの移民と文化によって成り立ったことを考えれば、世界の企業ブランドの源泉は、歴史の中で華々しい封建時代を持った、山がちの高密集人口地域であるヨーロッパと日本の二カ所に限られている。
 どうしてブランドを作ることができる国々とそうでない国々に分かれるのか。
 このシンプルな疑問にもっともよく答えてくれる第一の推薦本はフランシス・フクヤマ著『「信」無くば立たず――歴史の終わり後、何が繁栄の鍵を握るのか』(原題TRUST、三笠書房、入手不可)である。この本は、フクヤマ氏が『歴史の終わり』で世界のほとんどの国がリベラルな政体、市場志向の経済に、収斂せざるを得ないことを示した後に書かれた。私たちの社会は、国家と家族の間に存在するさまざまなサイズの中間組織によって成り立っている。そこで組織の中に自発的な信頼関係を築くことができる豊饒な社会資本――その社会資本の多くは歴史に源泉を置くのであるが――を持つ国と持たない国があることを、この本は示している。そしてそれぞれの国家の文化の差が、歴史が終わった後、国家競争の大部分を占める経済的競争に、どのような差を与えるのかが論じられている。同著において日本は、アメリカ、ドイツとならんで、「高信頼国家」と認定されている。なぜ日本が豊かな中間組織(企業群)を持つ国となったのか。その組織文化が日本の経済力にどのようなプラスとして働いているのか。この本はそれらの疑問の多くに明確な回答を与えてくれる。
 二番目に、上記の疑問に日本人の側から詳細な検討を行なった本を推薦したい。それは『文明としてのイエ社会』(村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎著、中央公論社、入手不可)である。なぜ日本とヨーロッパのみが世界の中で企業の創造と継続にかくも向いているのか。この本では、その理由を農業と戦闘を行なう自立組織が成立した封建時代に求めている。典型的な封建社会を経由した社会は、世界の中でヨーロッパと日本だけである。日本で成立した「東国イエ組織」=武家組織が、大名・藩制度を経て、近代化のあと企業組織をまとめる社会資本となった。この本が書かれた一九七〇年代は、なぜ日本が敗戦の後、かくも鮮やかな経済的成功を収めることができたのか、社会学的な検討が求められた時代であった。この本はやや誇らしい気持ちを込めて、日本の成功の原因がその歴史の成り立ち自身にあったということを私たちに指し示した。以上二冊が日本社会のブランド的な成り立ち、今日のブランド的成功を説明する上での社会学的な最高のテクストであると断言できる。
 このような分析は、日本の「武家」の系譜が企業ブランドを作る上で大きな恩恵を及ぼしたことを明らかにしているが、その文化たる「武士道」を海外に説明する上で大きな役割を果たしたのは名著『武士道――いま、拠って立つべき“日本の精神”』(新渡戸稲造・PHP文庫)である。欧米人の騎士道に類するものとして、あるいはキリスト教の道徳心に対比できる説明として、同書は意図されたものである。その簡明さ、明瞭さに心から賛辞を送りたい。

2.日本最大のブランドとは皇室制度

 さて日本のブランドを論じる際に、企業ブランドの次に論じなければならないのは、日本最大のブランド=天皇制についてである。企業社会としての日本の国力とあいまって、天皇制もさらに光り輝いたのであろう、その意味で天皇制度を日本ブランド二番目の要素と置いた。ブランドの定義のひとつに、長い歴史を耐え忍ぶ組織、耐時間性ということがある。天皇制はキリスト教と並んで世界史の中でもっとも長い歴史を耐えた制度である。さらに日本国憲法の第一章は天皇から始まっているが、憲法をアプリオリに作動させる装置として、天皇制はわが国でいまだに有効であることを示している。皇室および天皇について論じた本は数多くあるが、私は自分の読書歴の中から二冊の本を推薦したい。
 一冊は『「天皇」の原理』(小室直樹著・文芸春秋)である。日本は明治維新で世界に冠たる近代国家となり、第二次世界大戦後は、死者の中から奇跡の経済復興を成し遂げた。つまり近代史に輝く二つの「ミラクル」を達成したのである。小室氏は、日本においてこれが可能であったのは、天皇というカリスマがあったからと説く。
 世界の敗戦国で国王が迎える宿命の大多数が暗殺であることは、世界中の歴史が示している。しかし昭和天皇が敗戦後に行なった全国行幸は、ただ一件の事件もなく、国民的熱狂のなかを昭和天皇は過ごした。これがミラクルでなければ何がミラクルか、ということである、先ほど企業ブランドが日本のブランドとして世界に誇れる第一級のものである、ということを述べたが、逆説的に言えば、天皇制度という社会資源があったからこそ、近代化に遅れて参加した日本でも、国全体としてその荒波に耐えられる強さを示すことができた、と言うこともできるのかもしれない。武家は国民の数%、その影響力は限られる。
 一方、国民全体を束ねる強さがあったことが、つまり、天皇制が、国民統合の鍵を握るもうひとつの重大なファクターであり続けたのだ。
 庶民の力強さを含め、当時の日本の世相を見事に描いたある種の天皇論として私はジョン・W・ダワー著『敗北を抱きしめて――第二次大戦後の日本人』上下巻(原題Embracing Defeat:Japan in the Wake of World War II、岩波書店)を推薦したい。

3.「織田信長」と「坂本竜馬」

 続いて歴史人物編。一国の歴史は、激動の時代に人物を得られるかどうかで大きく変わる。歴史上の一級の人物はその国の集合的記憶となり、新たな時代の人物を生む土壌となる。したがってその国の歴史的人物の大きさは、その国のブランドに関係してくると私は思う。二一世紀初頭の日本とドイツを比較すればわかることであるが、日本は小泉元首相を擁して郵政改革を断行し、日本の歴史は少し前に進んだ。ドイツの歴史は止まったままである。日本は改革期に人物を得たのである。この改革にはしかし長い歴史の恩恵がある。
 日本史の中での大きな改革期は、戦国時代と、明治維新である。この二つは既得権益を廃して合理的な社会配分へ向かうという点で、今日とも関連性がある。現在の企業家精神や、革新的経営者の系譜を形作る歴史的人物として私は、織田信長と坂本竜馬を挙げたい。それぞれについて名著が数多くあるが、私の読書歴の中から、『織田信長』(山岡壮八著・講談社)、『竜馬が行く』(司馬遼太郎著・文芸春秋)を挙げたい。

 武家制度や天皇制、歴史上の一級の人物などは、日本のブランド力の峰の高さを示しているが、庶民を含めた国民気質としてのブランドのすそ野も振り返るべきであろう。『国民性十論』(芳賀矢一著・富山房)は、日本の国民性として以下の一〇項目を挙げている。
 ちなみにこの本の初版は明治四〇年である。
 一 忠君愛国 二 祖先を崇い家名を重んず 三 現世的、実際的 四 草木を愛し、自然を喜ぶ 五 楽天洒落 六 淡白瀟洒 七 繊麗精巧 八 清浄潔白 九 礼儀作法 十 温和寛恕
 これらの国民的な資質の中には日本の近代化、工業化に役に立ったものも多い。さて二一世紀のいま、私たちはこれら当時の国民性のうちいくつを自らに数えることができるだろうか。

 最後に自著の宣伝を。ブランドと名がつく本の大部分は、国家ブランドを論じる際に参考にならない。なぜならそれらのブランド本は「産業技術」を基礎に置いているからである。著者は『ブランド』『ブランドⅡ』を宣伝会議から発刊しているが、これらは数あるブランド本のなかでも、国家ブランドを論じたい人に向いていると思う。上記の文章でわかるように著者は社会学、とりわけ宗教社会学に関心があり、それをブランド論の中軸にすえている。ブランドとは非金銭的な本質価値を金銭的な使用価値と交換する道具であり、それゆえ、ブランドは、マーケティングの外に、より大きなものとしてあるべきものである。それは企業にとってすらそうであるし、国家であればなおさらであると言えよう。

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1 - Name: yamas : 2007/01/30 16:15

既得権益を廃して合理的な社会配分へ向かうという点で言えば、昨今は情報取得が容易になった為、わかりにくかった既得権益が露呈されてきていると思います。

ライブドア事件における検察官が持っている権力が、なぜ日興コーディアルグループの187億円もの利益水増し事件に向かわないのでしょうか?
『国民性十論』に当てはまる項目が少ない自分にも、日本史を振り返る今回のお話はとても興味深かっただけに、既得権益の再配分は、情報のスピードと共にさらに自然の向かう方向に進むのでは?と。

でも、信長や竜馬のような、昭和天皇のようなカリスマ的存在が現れることで、歴史は前に進むのでしょうか?

日本の歴史の持つ大きな流れとは、要所要所でまとまることとすれば、歴史が前に進むことと、日本の大きな流れで自然に進むことで、自明のようにリーダーのもとに集まる人々として、日本人がまとまるという現象がそろそろ起こるのかもしれないですね。


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