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私の「ブログ炎上」体験記 新潮45 2006年1月売 全文掲載

2006/09/08
匿名と炎上

これは去年末に新潮45に書いた原稿です。同編集部の許可をいただいきましたので全文掲載いたします。
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今ネットの旬な話題に「炎上」がある。これは「祭」とも呼ばれる。たとえば社長の殺人予告騒動にまで発展したエイべックスの「のまネコ騒動」は記憶に新しい。スキャンダルの膨大な情報、噂、顚末がネット上に飛び交い、ゴシッブとなることを指す。祭は2ちゃんねるでの膨大な書き込みを、炎上はさらに個人のネット日記「ブログ」に突撃隊が参入、火達磨状態になることをさす。
これまでは週刊誌やワイドショーがゴシップの主戦場となってきた。従来のメディアには乗せられる情報の種類や量に制約があるが、ネットでは情報に対する物理的な制約がない。さらにメディアではせいぜい数人の記者が調査執筆を行うが、ネットでは参加者数千人が自ら記者や編集者さらに「編集長」になることが可能である。むしろ一人三役がネットの基本であるから、相当に始末が悪い。ビジネスとしてゴシッブを取り上げる商業メディアでは、読者の関心が薄まると、自然と記者の動機も減ずる(NHK番組改編報道で渦中の人物となった、朝日新聞の本田雅和記者のような少数の例外を除いてであるが)。
一方ネットでは実益がないため、ゴシップの追及者はかえって本質的執念を持ちがちになる。彼らがあるゴシッブに関心を抱けば、無限の労力と時間をその詮索に費やすことが可能である。さらにこのネット上のゴシッブが威力を発揮する点がある。すぐに忘れ去られるメディアとは違って、ネットゴシップはネットに残り続け再三検索され、炎上が繰り返される。過去記事を容易に保存・検索できるため、ネットの裁きはある種「最後の審判」に似た永遠性を帯びることになる。
ちなみにネットの“論壇”では、低レベルでもそれなりの一貫性を保てる保守主義が圧倒的に強い(その尻馬に乗る稚拙な過激派はネットウヨと呼ばれる)。なぜなら左翼の進歩・理想主義者の99%は、現実にあわせてころころと理想を変えている。そのため、意地悪な右派ウォッチャーから過去の意見を穿鑿され、矛盾を指摘されて(これはコメソトスクラムと命名されている)たちまち憤り、理不尽になり、最期にはわけがわからなくなって炎上をきたすことが多いからである。
そもそもネットに喧嘩と口説きはつきもの。興奮した頭脳とキーボード、さらにネット回線が直結すれば、そこに生じるのは間違いなく過激に暴走するコミュニケーション。たとえば怒りや恋愛など、とかく大いなる勘違いであったりするからだ。この1年ほど特に炎上が話題にのぼりだしたのは、ブログという無料かつ簡便な個人のネット日記の仕組みが登場し、膨大な個人ブログが発生したから。紙に書く日記は通常自分以外は読まないものだが、ブログはトラックバックといって他人のブログと自由自在にリンクを張ることが可能なため、個人日記がつながってしまったのである。この仕組みが登場して約2 年間で、ネット上の情報空間は根本から変わった。つまり膨大な個人ブワグが、妄想する雁の群れ、ないしは誤解する島宇宙のごとく、特定の話題やゴシッブの周辺に集積離散をするようになった。個人ブログを番組に例えるとすれば、2 ちゃんねるは番組のレビュー欄のようなもので、お互いに連動しつつ微妙な敵対感もある。匿名と実名、そしてハンドルネーム(筆名)が入り乱れる「ルールなきネット戦国時代」が到来している。

火事と喧嘩

近年この炎上が話題になったいくつかの例をあげよう。本当の火事と違ってネットの炎上は、見物人もどんどん薪、どころかガソリンを投げ込んでも犯罪とはならない。なにしろ、家主が自ら薪を積み上げてガソリンをかけている。そして炎上の隣にはかならず激しい喧嘩がつきもの。つまりネット炎上では火事と喧嘩という江戸の花が、一挙両得なのだ。
1 )朝日新聞社の地方支局の若い社員が匿名で、NHK-朝日問題についての意見(もちろん朝日新聞寄り)を書いていたところ、彼が書き連ねていた日々の情報を詮索され、流出した社員名簿と照合の上、所属と名前が特定された。この新聞記者は早速ブログを閉鎖して会社に泣きついたが、その事実までたちまち暴露されてしまった所が恐ろしい。
2)病院勤務の皮膚科の女医が匿名ブログで患者の悪口や、飲酒中の診察などの書き込みを行ったところ、趣味や身近な出来事に関する発言から本人が特定され、病院から処分されるにいたった。身元を特定されて攻撃される炎上は、法科大学院の学生であるとか、学校の先生であるとか、いかにも硬そうな職業の人に散見される。本人を日々観察する「身近な敵」が特定して暴露するケースが多い。特に若い女性の場合、おたくの加虐心を刺激するのか、被害が大きくなる傾向がある。
これらは匿名ブログの実名が暴露された災厄である。炎上した匿名ブログは100%閉鎖においこまれる。しかし閉鎖すれば読まれなくなるというわけではなく、ゴシップ好きの好事家が情報を丹念に記録して公開するため、そのゴシップの寿命は半永久的となる。さらにそのゴシップにきわどい画像や映像が含まれている場合、かなり悲惨な状態がほぼ永遠に続く。この画像被害で記億に残るのはさる国税局の若い男性職員。公開を意図していないのに、パソコンが悪質なウイルスに感染し、成人してからのほぼ全てと思われる過去、家庭や、大学、職場等の個人情報、そして美人の彼女たちとのエッチ写真が大量に流出し、本人が特定された。彼は「大変なことをしてしまった」と言い残し失綜したそうである。「永遠の集団リンチ」はすべてのネットユーザーがいつ直面するかわからない現代のホラー物語であり、人々の想像力に強く訴えるものがある。

次は実名ブロガーの炎上例である。
3 )トリンプ・インターナショナル・ジャパンの社長が自分のブログで渡辺淳一氏の「愛の流刑地」を賞賛、会社のアドバイザーになってほしいとラブコール。フェミ系と思われるコメンターからクレームが殺到した。いわく渡辺淳一氏の「愛」がいかに男性本位で女性の立場に立っていないか、また彼の小説には酒落た下着の記述が極めて少ないこと等を指摘し、不買宣言を言い立てた。しかし彼女らがそもそもトリンプの下着を愛用していたかどうかは不明である。
4 )自分の奥さんが自転車で走行中、路線バスの運転士との間にトラブルが発生。その後「バス会社の社員を呼びつけて恫喝し、謝罪させた」とブログに記し、謝罪に訪れたバス会社社員の顔写真と実名を掲載したフリー編集者に対して、クレームが殺到。その編集者はブログを閉鎖したばかりか、大学の非常勤講師を辞退するなど、実生活でも隠遁生活に追い込まれた、と噂されている。
実名ブロガーの場合、ネットから撤退し実生活に限るケース、その後淡々とブログを続けているケース、私がちょっとした面識があるITに強い某弁護士がそうであるが、延々と炎上を続けるケース等がほとんど。実生活での隠遁は、初めて聞いた例である。
さてこの原稿を私が書いているのは、炎上について批評をするためではない。著者自身が炎上を起こしてしまったので、その顚末と心境を吐露するためである。

ウィリアム・テルと悪代官

私はこの6 月に新潮社から「会社は誰のものか」というタイトルの新書を出版した。今思えば私のその当時の心境はナイーブ。赤子を産み落としたばかりの母親に似て、赤ん坊の容姿を気にしていた。そのときに、最大手の書籍販売サイトのアマゾンにある書評が掲載された。その書評に書かれたあるコメントに対して、私は激怒をしてしまったのである。それはその批評の「著者が新潮社の社長と友人であると本の序文に書いているが」、という当初のコメントに対してである。職業柄多くの出版社経営者を知っており、コメントの前半部は事実である。私はそのことを自分のブログに書いていた(その後削除した……)。しかし本の序文にそれを書く著者や出版社はない。本は事実関係を相当調べて書くものであるが、書評ではそれは必要がないことなのであろうか。この匿名批評家は私の情報をネットで検索したものの、私の本はよく読んでいないに違いないと私は感じた。運悪く、また良心的なことにこの匿名批評家は個人でブログを立ち上げていて、メールアドレスもある。何より私の癪に障ったことに、この批評家の他文芸書への批評は真っ当であり的確とさえ感じられる。しかし彼は文芸には詳しいがビジネスに精通しているとは思えない。彼の私の著書への図式的批判(ビジネスマンが人脈を利用し流行本をでっちあげた?)が正当なものなのかどうか、怒り心頭に発した私は、この批評家を問い詰めた。
 彼からは努めて冷静な返事が返ってくる。そもそも彼は書評の内容を変える気はなく、不毛なやり取りであったといえよう。私は次第にいきり立ち、暴走を始めた。私がやったことは彼から来た彼の実名メールを彼のブログに書き込んで公開し(これはすぐに削除され、また私もその行いを二度としないことを決意した)、彼の職業を問い詰め(私同様独立したビジネスコンサルということであった)、また彼の動機を詮索、さらには「あなたは大成しないと思います」というまことに大人気ない言葉を発した。要するに執拗な人格攻撃、脅迫まがいの言辞をとった。
 これらのやり取りはその間リアルタイムで大勢のブロガーによって実況中継され、ネットウォッチャーの関心をひくこととなった。知的ブロガーの多くは、本や音楽や映画の批評を書く習慣を持っている。コンテンツを購入した時点で、自由に批評をする権利も購入した、というのが読者心理だ。それを実名の筆者がガチンコで匿名批評家に喧嘩を売り、その権利を脅かしたという事件は、著者による倣慢で許しがたい挑戦と受け取られたと思う。言ってみれば匿名批評家はネット上におけるウイリアム・テルであり、私は子供(匿名ブログ)の頭の上の林檎(実名)を射ることを彼に強いた悪代官そのもの、という構図に陥ってしまったのである!
私は遅まきながらそのことに気がつき始め、彼に対してネット上で謝罪を行った。この謝罪は本心からのものである。しかし謝罪を書き込んだエントリの日付を少し古い時期に戻し(ブログでは書き込んだ日を改めることが可能である)、私のブログの表紙にその見出しが出てこないように小細エをした。炎上にまだ気がつかない知人にまで知られたくない(また当事者である先方も知られたくないはずだという言い訳)という心理が働いたのである。

ネット上の人格のピンチ

しかし、この謝罪のしかたはいかにも中途半端であり、私のブログにはさまざまな書き込みが到来しはじめた。当初の知的ブロガーの正当な非難を超えて、炎上そのものに関心を持つ突撃者を呼び込み始めてしまったのである。これはまさにネット上の炎上が拡大するかどうかの、分かれ目である。ネット炎上の大半は、炎上後の隠蔽工作や居直り、無意味な勝利宣言などにより被害が拡大していく。
ようやくそのリスクに気がついたのは7月22日に知人である無駄に美人(で検索可能)なブロガーから「大変ですね。心配しています。早急に対策会議をいたしましよう」という親身な電話をもらった瞬間である。ちなみに「今晩会議お願いできますか」と聞いたところ即座に断られた。知人達の多くはこの事件を知っているが、私に指摘するのがきまり悪く、いたたまれない気分でいたのだ。私はその瞬間に「これはネット上における私の人格のピンチである」(実生活でこれ以上の人格のピンチは数回あったが……)と認識した。
1時間ほど真剣に考えて、この炎上を終了させるために私は2つのことを行った。ひとつは真っ当な手段である。想定できるゴシップの発生源に自らリンクを張り、「炎上顛末記」という全情報が集まる炎上ポー夕ル(玄関)を立ち上げ、ブログのトップ・へージに掲載した。炎上のさなか2ちゃんねるには「【吉田先生】Amazonレビュアー対著者【 大暴走】」というスレッドがたっていたが、まずそこにリンクを張った。また手厳しい批評を行っている個人ブログを読んで順にリンクを張った。これは自分のサイトにどこからのアクセスが多いかを見ていれば、簡単にチェックできる。匿名の悪口は陰で言っているから面白い。書かれた本人がそれを見ていたり、また第三者がその意地悪ぶりを観察するかと思えば自然と興ざめしたり、面白さが半減するものである。
もうひとつは再三の謝罪や釈明を行うのを避けるための、相当あざとい行為である。前述の喩えでいえば悪代官の謝罪は何度見ても面白いため、ネットウォッチャーは細部にわたって際限なく追及を始める事が多い。それが嫌だったので、私は彼とのその後のメールのやり取りを再び公開し、謝罪をより「正確」に行うために直接の対面を強要した。これはネット上で私が督促されていることでもあった。ほんの軽い気持で批評をしたはずの匿名批評家にとっては、たまったものではなかったであろう。「善良」な彼は私のサイトにこの騒動を終わらしたい旨のコメントと謝罪を残した。「うえーヤバス、コワス、イッテルコトワカンナス。ヤー公じゃねーか。ダメッ、匿名氏、この人に会っちゃダメです。単身で出向いたりしちゃ絶対ダメです。」(炎上ヲチのコメント)という怖い印象を与えることは判っていたのだが……どうせ炎上を起こしたのならばぎりぎりの消火方法を試してみたい、という自分の好奇心を抑えることは難しかった。
これらにより約2 週間で突撃者は去ってゆき炎上は沈静化した。小火といったところか。そして炎上が終了したときにちょっと寂しいと思った自分がそこにはいた……。

「飲酒書き込み」は厳禁

この炎上の理由であるが、まず私には著名人という自覚がなかった。今でももちろん大した著名人ではないが、私は自分のプロファイルをネット上で公開している。ネットの場でとりあえず元電通、『ブランド』や『会社は誰のものか』の著者として知られる、あの吉田さんが!」と成り立つインスタントな分かりやすさがある、という自覚がなかった(ちなみに電通という社名はネット上では、強引、強要、激慢などの代名詞となっているようだ)。
さらに。個人ブログには、日ごろの立場から逃れて、ネットユーザー同士の平等な立場でものを言いたい、という一見正当な動機がある。しかし実名ブロガーの本心は、経歴、立場、実績など、書いている内容以外のなにかしらの優越感をもちながら、あえて平等の中に身をおいているというものではないか。大半のブロガーは、それこそ炎上でもしない限り、実名を名乗っても意味ある実名とはならない。
さらに。執筆後しばらく、興奮さめやらずネットに書き込むときに飲酒をしていた。私の威圧的で執拗な言動は飲酒者のからみそのものであった。運転と同様、いやそれ以上に避けるべきはネット書き込み時の飲酒である。飲食、歓談、あるいはセックス等は特定少数のクローズドな行為であり、飲酒をしながら、は相手が嫌がらない限りもちろん許される。一方実名ブロガーにとってネットへの書き込みは、自宅一人での個人行為であるが、運転どころではない社会的行為である。その非対称性の認識に欠けていた。
一方、そうした大人ぶりの欠如がなければ「自分ではエンターテイメントを提供しているつもりだが実は世間の憤激を誘っているだけかもしれないリスク」に耐えて、実名ブログを継続する説明が、自分でもつかない。

「炎上願望」

くわえて少々厄介な部分を加えれば、私には「炎上願望」があった。自分でも自分に説明しがたいおぼろげな衝動であるが、この原稿を書くことを承諾した時点でその存在ははっきりしたので、書いてみようと思う。
まず炎上が起承転結を伴う面白い正直なドラマだ、ということがある。日ごろから社会性を考えて抑えている自分の幼児性のようなもの、騒動に踊るマハラジャの自我、体面を失うことになるにせよどこかで本心を暴露したいというある種私小説的な願望が……恐ろしいことにあるのである。私は94年に日本でインターネットが立ち上がったころサラリーマンであったが、そのときに上司の反対を押し切って会社のサーバーの中に自分のホームページを立ち上げている。メディア研究家として、実際に今起きているメディア騒動を体感したいという実験欲もどこかにある。炎上が社会現象ならば、その炎上を体験しコントロール不可になったものを、暴れ馬を乗りこなすがごとく再びコントロールできるか、ぎりぎりの瞬間を試したいという欲があったことも事実である。これらの危険な心理は人生の前半戦、企業の中で喜怒哀楽の感情を隠しながらすごしてきた中年の男性のなかには、若干理解できる人もいよう。自分の社会性のかけらをかき集めて仮面とし、辛うじて演技してきたのが私の「社会性」の現実である……一方、女性や若者にとっては、一見社会性を帯びていると思われる人間の二面性は非常に痛いと感じられ、周りの人にショックを与えてしまったようだ。
さてこれらの炎上の結果、私に何の影響があったのであろうか。実利ではほとんど影響はない。しいていえば、アマゾンの書評では私の他の著書を含めて圧倒的に低評価の書評が票を得た。アマゾン上でまず例を見ない壮観ともいえる。匿名批評の権利侵害を行ったのだから、このクリック抗議はまことにいたし方がない。それが本の売れ行きに影響があったかどうかはわからないが、あいかわらず初版のままだ(一言言い訳すると、新潮社はビジネス書の営業に強いわけではないというか、正直弱いと思う。相当な言い訳であるが……)。
ネット炎上から逃れる術のひとつとして、「とりあえず現実に逃避せよ(笑)」とよく言われる。この炎上はネットに接していない人にとっては理解不能な物語である。そして炎上ウォッチャーにとっては信じがたいことに、世の中の大半はネットと関係なく、あるいは真逆に進んでいる。例えば、のまネコ騒動を起こしたエイベックスの今年の損益は予想数字より10億円のプラス。のまネコ騒動が全く関係なかったか、逆にプラスの影響を及ぼしたかのどちらか、だろう。
自分のブログに関して言えば、訪問者数はその後、約10倍になった。いずれにせよ、ブログを書き続けようという動機とプレッシャーは強まった。大半の批判には首肯できることが多く、よき反省となった。少数の理解者は驚くほど著者心理に精通しており、近隣者と確信しているが、怖くて本人かどうかは確かめていない。私のために災難に投げ込まれた匿名批評家は、大いなる人気とそれまでの数百倍のアクセスを得た。そして彼はその後ハンドルネームをさりげなく変えた。しばらくして上記の著者心理を恐ろしいほどに見抜いた匿名編集者によるバックファイヤーが一瞬起きたようであるが、すぐに沈静化。この45への執筆で次のバックフアイヤーは私の番と決まった。ともかく、匿名批評家は新しい執筆の動機と観客を得て、書評サイトは、以前よりもさらに充実しているように見える。

これが炎上についてのおおよその物語である。より詳しい顛末は私のブログを読んでいただきたい。私にとり炎上顛末記は過去の著書と並ぶ「一作品」となった。というか、そう宣言して実名ブログを続けることにした。なにしろどんな恥をかこうとも実名を失うことはできない。ここまで読まれた方は私の身勝手さに慣れたと思うので、「会社は誰のものか」(新潮新書)を読んでいただいたうえで、上記炎上をご自身で評価頂きたいと、最後に願っている。

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Comment

1 - Name: sumikowatabe : 2006/09/14 22:29

ネットにも炎上があるなんて知らなかったです。
とても大変なのに、どこかユーモアも感じました。
何よりも自分の良くなかったことも書く勇気が
すごいと思いました。
私ならつい言ってしまったことを
ここまで正直にぜったい書けないです!
「会社は誰のものか」、ぜひ読みたいです。

2 - Name: 人事コンサルタント : 2006/09/16 14:08

大変に面白いです。このようにストリップしてもいいんだ、と多くの人に勇気を与えると思います。ところで、前の、新潮社・・社長・・云々で気づいたのですが、もしかしたら、吉田さんは「附属」ですか?明るくさらけだすストリップな美学に妙に共感をおぼえていたのですが、だとすると、なるほど、という感じがします。藤巻健史さんもそうですね。

3 - Name: bold : 2006/09/16 19:15

人事コンサルタント様。
附属83期です。中学からの(笑)
おっしゃるとおりだと思います。

4 - Name: 関根浩行 : 2007/07/10 11:48

安室奈美江さん、がんばつてください。


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