父 吉田満の遺言 |
2005/06/21 戦艦大和や靖国問題 |
21歳の海軍少尉として戦艦大和の撃沈から生還し、若くして戦争文学の名作『戦艦大和ノ最期」の著者となった父吉田満は、昭和54年の9月17日に56歳で亡くなった。父の葬儀は、彼が理事を務めていた東洋英和女学院で行われた。多彩な参列者の列は、六本木駅にまで達した。父はよきクリスチャンであり、よき銀行マンであり、よき家庭人であり、人脈家として交際家として、短い人生を駆け抜けた。家族に対するときはよき家庭人に徹して、それ以外の側面はほとんどみせなかった。父は大いなる書き手であったが、語り手というよりは聞き手に廻ることが多く、短いセンテンスに込められた一瞬の機微を好んだ。一言でいえば父は−旧日本海軍のスピリットを体現した—「スマート」な紳士であった。
よく「父から聞いた特別の戦争に関する思い出を」、と聞かれるが、戦争の思い出を父から直に聞いたことは、ほとんどない。反戦づいた高校生の私が、良心的兵役拒否について父の意見を聞いたときも「まぁ、いろいろとあるんだよ」と父は言葉を飲み込んだ。この歳になってよくわかるのは、「しいて語らずとも自分の生き方を見よ」という父の心持である。しかしスマートだけではない父の側面も確かにあった。父はめったに歌を歌わなかったが、歌わなければならないときは必ず「同期の桜」を選んだ。私も小学校4年生のときに転勤先の青森で、父の「同期の桜」を聞いたことがある。銀髪で温厚円満な風貌の父は、目をつぶり、肩を振り、万感の思いを込めて絶唱をした。宴会は、一瞬しーんと静まった。父は今は亡き戦友たちと肩を組んで歌い、人々は楽しい宴会にいきなり現れた死者の大群に、驚きあわてたのだろう。歌い終わって父は少しだけ恥かしそうにしていたが、やがて笑顔で隣の人に語りかけ、また喧騒が始まった。
この、戦友が今も生きているという幻影は、戦後父にずっとつきまとっていた感覚ではないだろうか。以下は、父が亡くなる直前に書いた『散華の世代からの問い』というタイトルの文章の一節である。
「私は今でもときおり奇妙な幻覚に捕らわれることがある。それは戦没学徒の亡霊が、戦後三十数年を経た日本の上を今、繁栄の頂点にある日本の町をさ迷い歩いている光景である。死者が今際のきわに残した執念は容易に消えないものだし、特に気性の激しい若者の宿願はどこまでもその望みを遂げようとする。彼らが身を持って守ろうとしたいじらしい子供たちは、今どのように成人したのか?彼らの言う日本の清らかさ、高さ、尊さ、美しさは、戦後の世界にどんな花をさかせたのか。それを見届けなければ、彼らは死んでも死にきれないはずである。彼らの亡霊は今何を見るか、商店の店先で、学校で、家庭で、国会で、新聞のトップ記事に今何を見出すだろうか」
戦後日本の成長にあわせて幸せな家庭と世俗の成功を手にした父は、若き死者たちの宿願を、いつも身近に感じていたのではなかったか。この文章を読む限り、父は80年代に日本が彷徨いこむバブルの迷い道を、正しく予見していた。成功や繁栄や拡大は、必ずその社会に歪を残す。明治からひた走った戦前日本の成長の歪は、太平洋戦争につながった。しかし若き戦死者たちは、その歪をこの世からあの世に持ち去り、若すぎる彼らの死を悼む痛切な気持ちが、日本を、再び真っ当な道にもどしたかに見えた。今、戦後の高度成長や繁栄のもたらした歪を持ち去る死者はいない。残ったのは、腐敗と老醜と倦怠である。「今の日本を見るのが嫌で父はあの世に行ってしまったのか・・・」新聞のトップ記事に唖然とするたびに、私が感じる慨嘆である。
父は死の一ヶ月前に吐血し、そのまま入院して亡くなった。私が大学4年、就職が決まる直前の夏である。入院してすぐに、父の死がそれほど遠くはないことを医師から知らされ、私は一ヶ月間のほとんどの時間を、父の病室で過ごした。「あの雲を見てごらん・・・」自在に変化する鮮烈な夏雲を病窓から眺めながら、私たちはとりとめのない会話を交わした。父の遺言のなかには面白い一言があった。「望、銀行には行くなよ・・・」日本銀行で35年間近くを過ごしてきた父の言葉である。が、この言葉にも説明はなかった。また私もその意味を聞きかえすほどには、世の中に通じていなかった。私はその言葉に従ったということではなかったが、自分の本能の命じるままに大手広告代理店を選び、就職した。父の遺言は謎というか、むしろ間違っていたと、私は長らく思っていた。というのもその後バブルが崩壊するまで、優秀な同朋・後輩の多くが銀行に就職し、私よりもはるかに成功しているように見えたからである。しかしバブル後の日本経済の「失われた10年」の間に、いつのまにか銀行業は、人生の帳尻としてはなかなかあわない職業となった。父は正しかったのである。
今から2年ほど前、私は父の遺言の意味をもう一度よく考え、ある結論に達した。それは「世の中には数十年で訪れる成功のリスクがある。そのリスクは誰にも予想されないが、長い眼で見れば必ずいつかは来る現実となる」ということである。成功した業界、儲かることがあたりまえになった業界はささいなリスクを避けるようになる。政治の原理が幅を利かせ、儲けることよりもいかに分配するか、が大事になる。組織から志や覚悟が次第に失われ、努力と成果のバランスが悪くなり、最後には巨大なリスクに見舞われる。大蔵省、公共事業、建設、銀行、保険、流通、みんな同じではないか。そして戦前の日本も今の日本もある意味では同じ道を歩んだのではないだろうか。
私が広告・メディア産業もそうではない、とはいい切れない。私は父の遺言をかみしめて、自発的失業という小さな自分だけのリスクをとってみようと決意した。そして44歳を目前に、20年間勤めた会社を退社し独立した。無我夢中の2年間を過ごし、かろうじてサバイバルを果たしたようだ。父の死の歳までに私に残された期間はあと10年。天下に恥じざる人生を過ごすことをもって父への鎮魂にささげたい、と願う今日この頃である。
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私が広告・メディア産業もそうではない、とはいい切れない。
同感です。
これから広告もメディアも激変しますね。
確実に。
広告の原点、メディアの原点を見つめ返し
その志のような、本質を忘れないこと
自分が働いていることの原点を忘れないこと、
青かったころの葛藤と夢を忘れないこと
原点や本質を忘れることで、
リスクは始まるのでしょうか。
そんなこと感じました。
人にはコメント消さないで的な事いっときながら、自分は微妙に消去してるんだな。w
情けな。
で、お父様の言葉が紹介されていましたね。
だから、どうとはいいませんが。
ところで、あなた、実子ですか? 血は引いてるんですかね?
ううーん。これが吉田さんのこれまでの文業の自信作ですか。
これは、いかんですよ吉田さん。こういうものを公器に発表すること
自体が考えものだと思いますよ。
これは要するにお父さまのご本ありきで依頼のあった原稿ですよね。
例の新書でも「編集者の意向」でお父さまのことに触れろと言われ
たんですよね。ご自分のどのあたりに新潮社が商業的価値を見出して
いるのかは、お分かりになりますよね。……。
この文章の後半がご自分の履歴や生業や信条の話になっていることで、
編集の思惑とは微妙にズレていることもお分かりになりますよね。
私見としては、こういう小遣い稼ぎ(でなければ失礼)は、矜持を
守るために拒否するという考え方もありだと思いますよ。
普段はお父さまのこと抜きでお仕事をされてるわけではないですか。
なぜ売文の際にもそうされないのです。なぜお父さまにかこつけて
ご自分を売り込もうとなさるのです。それは潔い姿でしょうか、
カッコイイですか? なりふりを構わないにもほどがありませんか。
そんな姿は見たくないのですよ、誰も。誰かが親の名声にすがって
本を出すような姿を見たくないのですよ。そんな本を読みたくない
のですよ。
本を書くなら、お父さまとは関わりのない、そんなこと一切知らない
チンピラみたいな編集者に「この原稿を出版させてくれ」と言わせる
原稿をお書きなさいませ。それが無理なら文章書くのは趣味にお止め
なさい。紙資源を無駄にしないためにも。
?本というものはもともと商業的なものですがそれがなにか?
ところで最近の自信作はしいていえば、
A級戦犯合祀は自らやめるべきである
http://www.nozomu.net/journal/000150.php
ですが、これは出版にならないのでほそぼそと、ネットで公開しています。
http://www.nozomu.net/journal/000105.php
これは趣味の文章ですが・・・
ここに掲載されているコメントのうち、否定的な内容を書いた奴らは蹴っ飛ばしてやりたいですね。
望さん、私はあなたがここで吐露した内容には真実があると実感するし、何ら臆することはない。少なくとも、私はあなたの上記の文については全面的に支持しますよ。
『散華の世代からの問い』は、確か80年にNHKの吉田直哉デイレクターが編集し、その後、『21世紀は警告する』の第1集でも用いられ、去年の今頃にはアーカイブスでも取り上げられている名作です。
名作たる所以は、あなたが書いているように、尊父がこの国の10年先、20年先を憂え、将来を見据え、生身で歴史に身を置いた者の責務として血を吐くような想いで書かれたからだと痛感しています。
尊父の逝去後、この国はほぼ予測したとおりの経緯を辿っています。
あなたが、尊父の実子であるという特権を振りかざしているのならともかく、私にはそう思えません。むしろ、最も身近にいた市民としての責務を果たされていると感じています。
躊躇せず、己の信ずるところ、邁進してください。
ここに掲載されているコメントのうち、否定的な内容を書いた奴らは蹴っ飛ばしてやりたいですね。
望さん、私はあなたがここで吐露した内容には真実があると実感するし、何ら臆することはない。少なくとも、私はあなたの上記の文については全面的に支持しますよ。
『散華の世代からの問い』は、確か80年にNHKの吉田直哉デイレクターが編集し、その後、『21世紀は警告する』の第1集でも用いられ、去年の今頃にはアーカイブスでも取り上げられている名作です。
名作たる所以は、あなたが書いているように、尊父がこの国の10年先、20年先を憂え、将来を見据え、生身で歴史に身を置いた者の責務として血を吐くような想いで書かれたからだと痛感しています。
尊父の逝去後、この国はほぼ予測したとおりの経緯を辿っています。
あなたが、尊父の実子であるという特権を振りかざしているのならともかく、私にはそう思えません。むしろ、最も身近にいた市民としての責務を果たされていると感じています。
躊躇せず、己の信ずるところ、邁進してください。
御尊父の作品をはじめて読みました。当時の大和の様子がまるで映画のように可視化できる、すばらしい作品だと思います。リアルであるし、激しいし、凄惨です。が、なぜか大変不思議な作品です。まるで映画を見ている自分のようですし、引き込まれながら、一歩外にいる感じです。小学生の時だと思いますが白黒映画で「戦艦大和」を鮮烈な印象でみた思い出があります。白黒だった世界がやっと吉田満さんの作品で色を獲ました。吉田満さんは本当に観察者として、そして亡くなった人たちの動きや言葉の伝道者として選ばれた人だったとおもいます。この本は世代をこえて継承すべき名作です。
広告・メディア産業というのは、現代の日本のある人々にとっては自分の思想(そこまで結晶化していないなら、意思とでもいいましょう)を具現化するための手段とみなされているのではないか、との感触を初めて得ました。興味深いことです。わたしはS37年生まれですから、望氏は、おそらく同世代人ということでしょう。「チームバチスタの栄光」はよかったです。東京エスムジカの「始まりに向けて」は、庄司薫、柴田翔らの描いた駒場の知的な広々感とでもいうものを上手に掬い取っている曲だと感じられる曲だと思います。作曲したのはまだ20代の院生のようですが。くだらないレス投稿も散見されますが、そういう自由を許容できる神経というのも興味深いです。柳澤桂子氏と共同作業をしているリービ英雄氏の「千々に乱れて」もよかったです。
では、お元気で。子どもたちを大切に。
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