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自分と折り合いをつける

2001/03/30
人間というものは

山本七平さんというかたがいらっしゃいました。
彼は第二次世界大戦でマッカーサー将軍の上陸間近い地獄の比島戦(フィリピン戦)を経験し、九死一生を得て生還した人です。
1970年に出版した「日本人とユダヤ人」がベストセラーになり、その後の日本人論ブームの火付け役になりました。若き日の私は、父と彼とに交情があったおかげで、時折お話しをさせていただく機会があったのです。
サブリーダーとして新入社員たちの面倒を見たときに、私たちの班に彼を呼んで話をしてもらいました。今思うととんでもなくゴージャスな講話でした。
彼が一貫して語ったのは、「自分と折り合いをつける」ということでした。
人間誰しも「こうありたい」という自分がいます。
しかし「こうなってしまった自分」というものもあります。
折り合いというのは、その二人が出会って会話をすることだ、と私はそう理解しました。
自分の中のこの二人が別々にいて、お互いを無視したり仲違いしたりします。
「こうありたい自分」は「こうなってしまった自分」が情けなく許せないのです。
「こうなってしまった自分」は「こうありたい自分」が怖いのです。
「毎日生きて生活をやり繰りしているのは俺様だ。」
こういう風に居直ってみたりします。

私たちが山本先生の話を聞いたのは20台前半の頃でしたから、今思うと大学出たばかりで、職業生活というものにはまだそれほど直面しておらず、
「こうありたい自分」が血気盛んに燃えさかっている一方でまだ、「こうなってしまった自分」というものを見つけてはいなかったのです。
多分人は年老いて死期が近づけば、今度はいやおうなしに「こうありたい自分」を捨てることになります。
若き日には「こうありたい自分」だらけ、
死ぬ前には「こうなってしまった自分」だらけ。
このどこかの中間で「こうありたい自分」と「こうなってしまった自分」が出会い、
会話をなさいなさいと。
おそらくそれを彼は「自分と折り合いをつける」という言葉で呼んだのです。
人によってそれがいつ訪れるかどうかはばらばらでしょう。
彼はその折り合いをなるべく早くつけよう、と僕らに薦めたわけでもなかったのです。
ただその折り合いの大事さについて語ったのです。

私ですか?私は「こうありたい自分」と「こうなってしまった自分」の両方を、
中年期に新しくリセットしてしまいました。
その両者の折り合いは、まだ当面つきません。
そして私は、これから自分がつけるその折り合いを、心から楽しみにしているのです。

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