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@bold語録その2−コンサルいじめ

2001/03/31
人生・本そのほか
ほら・・・好きな女の子っていじめたくなるじゃないですか・・・あれですあれ。
2CHで議論を吹っかけるのはものを考えるのにすごくいい場所なんです。
(きっと2CHのみなさんは辟易しているとおもいますけれども)




有名MBAを出て有名コンサルに行きたい学生に対して

53 名前:名無しさん@bold投稿日:2001/03/10(土) 10:40

他のスレに書いた転載でもうしわけありませんが・・・
実業ができないしたくない、モラトリアム学生が関心を持つ業界だ、 ということが、
日本のインテリ系コンサル界の惨めさを象徴していると思います。

日本の高学歴コンサルは自分達は建築家で、 クライアントが大工(かゼネコン)と思い込んでいるからです。
つまり戦略・計画と実施を分けて考えているのです。 学歴やブランドがあるから最初から、
その格差が許されると勘違いをしているのです。
(多分ブランド大学→ブランドMBA→ブランドコンサルという失敗 や無能体験がない経路を歩んできているため)
・・・・しかし、これでは大工は動きません。大工は「棟梁」のいう ことしか聞かないのです。

(棟梁の意見すらも聞かない場合が多い)
つまり、自分がいざというときに大工をやってみせ、それがだれよりも うまくないと、現場はいうことを聞かない。
そのためには何十件と施主の迷惑をかえりみず(笑)、 実験や失敗をしてみていることが必要不可欠なのです。
(外科だってそうでしょ?)

さらに日本のように現場性が強い企業風土では、この対立構造があれば
かならず外部による計画や戦略は「骨抜き」「換骨奪胎」になるのです。
数千万円の永遠に実施されない、ゆがめられた荘厳な報告提言書。 日本の会社中これだらけで、
コンサルは実は息も絶え絶えで必死に強がっている。
これが現実だと僕は思います。



ITベンチャーに行ったコンサルの心意気を俺は支援する!

60 名前:名無しさん@bold投稿日:2001/03/11(日) 06:11

多くのコンサル出身者、しかも比較的知名度が出るぐらいに
活躍をしていた人、そして若い人たちがコンサル会社を辞めて、
ITベンチャーに参加した理由は、まさに「一大工」として 汗をかいてみよう、
そうしなければ、経営という事柄のリアリティ がわからない、という切実な感覚があったからです。
これは僕の友人が何人もそれをしているので、よくわかるんです。
(M系が多いけど)

ITはややバブルであり、そうした転職にいろいろとケチをつける 人がいますが、
僕は「失敗」も非常に貴重な経験であり、人の失敗 を批判する人よりも、失敗を経験している人のほうが、
コンサルと しては信用します。つまり経営というのは失敗をしないことが目的ではなく、
必ず何割かでは失敗する事(ということは残りは成功する事)、
そして失敗を致命的とはならないようにコントロールする事だから。

彼らの何人かが、事業がうまくいかなかったとしても、恥ずることなく
コンサル業界に戻ってきて、そしてかつての順風満帆だったときよりも、
いい仕事をすることを、僕は期待しているのです。



何故IT時代にはおっとり構える戦略コンサルが機能しなくなるのか

65 名前:名無しさん@bold投稿日:2001/03/12(月) 05:37

戦略や計画と実施を切り離す事が出来るのは、競争相手が明確で
戦闘方法が固定化されている場合です。いってみればWWIIにおける
「マジノ線」(および官僚化した当時のフランス軍)

ドイツ軍の「電撃戦」では、戦車・急降下爆撃機などを集中させ、
その局所面積での攻撃圧力を最大化させ、戦線を突破していきました。
最前線の、あるときには戦車の中に将軍が乗って情報を収拾分析し、
盗聴をふせぐ有線電話システムにより、後方部隊に指示をだす。
これがつよさの秘訣でした。

ITの時代に起きているのは、これと同じことではないかと僕は思う。
つまり最前線(BtoC)にいるひとが細かな戦況の変化を敏感に理解し、
指示を後方に送る。後方の膨大な支援部隊は、これに対応した支援をする。
未来の戦争も数十人の部隊が敵の首都におりたって、
敵対国の大統領を拉致する、みたいなことになるでしょう。

つまりいちばん必要なのは、賢くて、勇敢で、仲間意識の強い人たちであり、
賢くて、臆病で、仲間がいない人たち、ではないのです。



強い経営者チームはコンサルを必要とする

72 名前:名無しさん@bold投稿日:2001/03/13(火) 07:26

カルロスゴーンがフランスから連れてきた12人の部下(たしか)の間には
特別の忠誠頼関係がある。それは僕の会社のアドバイザーいわく、
「「ミスターカルロス、私はこの仕事をたんにきちんとするだけでなく、
あなたのために気持ちよくやりたい」という精神態度を示す必要がある 集団」だそうである。
彼らは全員ゴーン氏の個人指名であり、ゴーン氏が日産を去るときには 一緒に去る関係にある。

彼の言葉は続く。
「このような関係は昔の日本では観察された。それは派閥だ。しかし
派閥崩壊後、日本ではこのような忠誠関係は観測されない」
「彼らにとりゴーン氏は彼らよりより神に近い存在だ」
「フランスで多くの場合コンサルが機能するのは、現場の課題をきちんと
舞い降りた経営スタッフに伝える努力をともにするため、それは融和 という意図もふくんでいるのだ」



何故コンサルが必要となるのかという初歩的質問に対して

156 名前:名無しさん@bold投稿日:2001/03/13(火) 10:12

たとえば、拠点も営業の数も減らして、効率化して収益をあげる、
そうしないとその市場ではもう持たない、としますよね。
あるいは本社営業を販売子会社と一体化して効率化をはかりたい、
としますよね。
(別にどの会社ってわけじゃないが)
これまで実績をあげてきた功労者の老営業本部長は、
それはとっても嫌ですよね(部下が首切られるから)
一方若社長は、自分が営業社員中の嫌われ者になるのは嫌ですよね。

・・・・そこでコンサルの出番です。
「こうしなければこの会社は持ちません」

こういう例が一番多いんじゃないですか?実際には。
外部コンサルが問題発見をするなんてことはほとんどありえないんですよ。
(それは社員がアキメクラってことじゃないですか)
ただし正論でも自分たちでは実行できない(というか自分個人の損
になる)解決策っていうのは世の中に多い、ってことなんです。



アメリカでもコンサルをつかう理由は本質的に一緒である

158 名前:名無しさん@bold投稿日:2001/03/13(火) 15:34

アメリカの場合は経営者チームがある会社に舞い降りたときに、
その会社の実情を客観的に調べることが重要なんです。
情実人事(むこうもそればかり)がおこなわれてないか、とか、 幹部の金使いはどうか、とか。
工場労働者の能力と給与は見合って いるかどうか、とか。

人心を一新してはじめたいときに、やはり彼ら(コンサル)に 首切りと昇格者のリストを持ってこさせる。
あめりかだと日本よりもずーっと、リーダー=組織ですからね。



気がついていない人が多いようだがこうしてコンサルと投資会社はバッティングする

159 名前:名無しさん@bold投稿日:2001/03/13(火) 15:38

もうひとつ教えましょう。
コンサルと投資銀行は実は機能的にバッティングするんです。
コンサルは「内部改革」を目指すでしょ?
投資銀行は買収合併によって「外部改革」を起こすというわけなんです。
つまり現経営者はコンサルとたっぐを組み、相手(買収)側は投資銀行と
組むという、敵対する関係になりえるんです。
収入形態でいうとコンサルがフィー、投資銀行が成功報酬
というわけなんです。後者のほうがちょっぴり大胆でセクシーだったり
してしまうわけです・・・・・

この2つの職業において、株高もあって人材的には後者が圧勝してしまった
のがアメリカとイギリスです。
それ以外の国では(幸い(笑))そうでもないですけれども・・・・



何故日本の経営者には問題が多発するのか?

82 名前:名無しさん@bold投稿日:2001/03/15(木) 05:35

基本的に2つ問題があったのです。

一つは代表取締役=取締役会議長=社長=執行役員代表・・・
社長は取締役の選任過程を通じ役員の人事権を保有しています。
その人が会社統治のほぼ全権を把握しているわけです。
社長が悪人なら、会社に善人が生息できる余地はなくなってしまいます・・

もう一つは「まともな株主」の不在。
銀行はバブル時期にモニタリング作業を完全放棄しました。
(っていうか自分のモニタリングだってできなかったんだからね)
やはり株高で貸し出しが増え営業利益も増えるバブル構造は、
根本から規制すべきだったのです・・・(もうおそいけどね)
あとは投資信託・生保の類。
あめりかではERISA法(運用会社の責任を定めた法律)があり、
プルーデント・インベスター・ルールといって、
「運用受託者は委託者の資金をプロとしての自覚と責任を持って運用しなければならない」
と定めています。
日本にはまともなこういうプロがいなかったのです・・・・
(だから総会屋規制しなきゃよかったのに・・・(なんちゃって))



経営者に時折散見される「かくされたみじめさ」

92 名前:名無しさん@bold投稿日:2001/03/16(金) 05:22

組織改革に別に強烈な個人はいらないのかもしれませんね。
まずいのは「他人に頼る人と他人に頼られないと不安になる人」 なんです。

これは「共依存(コデペンデンシー)というのですが・・
自己肯定感や自尊心があり、相手のその感情を尊重しよう、
という関係はいいんです。共依存関係ではこれと違います。
頼り頼られを通じて、相手を支配しよう、拘束しようという関係です。
「かくれたみじめさ」を共有しようという感情です。
(多分日本社会がほんの数十年前までムラ社会だったからでしょう)

これが例えば役員間であったり、あるいは役員とコンサルの間で
(おまえらアタマワルイし保守的!)
(コンサルなんてなんにもできんくせに!)
と本音では思いながらも、ぬきさしならぬ相互拘束におちいる場合・・・・
これがけっこう多いと思うんです。
http:// www.nozomu.net/ opinion/ opinion022.htm
をご参照ください。

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