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「近代・組織・資本主義」からの抜粋・要約・解説
(佐藤俊樹著:ミネルヴァ書房)

2000/10/10
歴史と社会
目次

Ⅰ 日本的近代経営の系譜

  1.日本にも根付いていた経営合理性という考え方
  2.「袖長商人」と「本商人」
  3.近世日本の合理的経営の系譜
  4.「金持商人一枚起請文」
  5.「元金」「望外」による家業からの脱皮
  6.家制度と経営の継続性

Ⅱ 日本近世社会の成り立ち

  1.近世武士の個人主義
  2.組織に属さなければならなくなった「近世武士」
  3.日本の武家社会が生み出した主従という関係
  4.「非理法権天」—日本的「家」秩序の形成

Ⅲ 近世後期の「家」規範の形成

  1.奉公人の組織化問題
  2.日本近世儒教の誕生(仁斎学と徂徠学)
  3.ぼろを脱ぎ捨てるように新しい制度を採用した日本

Ⅳ 西欧近代資本主義の観察

  1.M・ウェーバーの観察した「禁欲的経営者」
  2.「ピューリタン・カズイストイリー」にみる禁欲的経営倫理
  3.プロテスタンティズム的経営と日本近世経営の決定的な差の理由
  4.プロテスタンティズムが資本主義経営にもたらした真の革新とは
  5.アメリカ民主主義の真髄—自由で多様な結社性
  6.シンテレーシスとゼクテ-2つの良心概念
  7.「会社」としてはじまったアメリカ植民地社会
  8.アメリカ植民地に生まれた法人格会社の特異性
  9.西欧近代組織のもつ機動性
  10.西欧近代組織の原罪




Ⅰ 日本的近代経営の系譜  [目次へ]

1.日本にも根付いていた経営合理性という考え方

 プロテスタンティズムの倫理が生み出し、近代資本主義の基盤を提供した「合理性」とはなにか。「倫理」をめぐる論争、ウェーバー仮説へのさまざまな解釈も、結局そこに帰着する。ウェーバー仮説の今なお一般的な解釈は、この「合理性」を次の3つの意味にとる。

  1) 営業の規律性:信用関係の重視、営業の継続性、正当な利潤の追求など
  2) 強い拡大志向:消費生活を最大限節約し、利潤を最大限投資する態度
  3) 計量的な計算可能性:支出・収入の完全な数量化と記録化(例えば複式簿記)

 ウェーバーの頃は、複式性を持つ合理的簿記は西欧独自のものと思われていたが、現在では日本や朝鮮、中国でもその存在が確認されている。日本で確認できる最古の例は、1670年に始まる鴻池家の算用帳である。要するに複式簿記というのは、商業における計量可能性を追及した場合、西欧に限らず一般的に発明されうる技術といえる。

2.「袖長商人」と「本商人」

日本近世の商業経営は、早くから家業「奥」と企業「店」を分離した形態をとっている。また、大坂商人の間では政治的機会に志向する商人は「袖長商人」、市場利益を志向する商人は「本商人」と呼び分けられていた。市場的利益への志向が商業の本道だという意識は常に存在していたのである。

3.近世日本の合理的経営の系譜

 こうした点に関して、18世紀に創業された近江の中井家の経営は特に興味深い。中井家は東北地方に支店網を持つ典型的な遠距離商業で、その独自の複式簿記によって会計史上有名だが、それ以外の面でも極めて合理的な経営形態を取っている。例えば、各支店ごとに投下された資本が細かく計算され、毎年その一割分の利益は分配せず、資本の中に再び組み入れられる決まりになっていた。また家業と企業は経理上でも明確に区別され、本人には俸給が支払われ、その他中井家家族への支出は「本家への貸し」として経理上処理された。

4.「金持商人一枚起請文」

 「金たまる人を運のある、我は運のなきなど申すは愚かにて大いなる誤りなり。・・・・お金持にならんと思えば、酒宴遊興奢りを禁じ、長寿を心がけ、始末を第一に、商売に励むより他に子細は候わず。このほかに貪欲を思わば、先祖の憐れみにもはずれ、天理にもれ候べし。
 始末と吝きの違いあり。・・・・・吝光りは消しうせぬ、始末の光明満ちぬれば、十万億土を照らすべし、かく心得て行ひせる身には、五万十万の金のできるハ疑いなし。ただ運と申し事の候て、国の長者とも呼ばれることは、一代にては成りがたし。二代三代も続いて善人の生まれ出るなり。それを祈り候には、陰徳善事をなさんより全く別儀候わず。」
 −中井家創業者 中井良祐

5.「元金」「望外」による家業からの脱皮

 三井財閥の前身、越後屋三井でも、各支店ごとに営業資金の1-3割の利潤がノルマとして課せられている。また、ある程度以上の商家では、ウェーバーが資本計算のメルクマールとしている貸借対照表型の決算(ただし単式簿記による)が広く見られるし、鴻池や三井などでは複式簿記も採用されていた。それらの決算の例を見ると、自己資金は当初他人資本の負債とならんで「○○預かり」(○○は主人の名前や先祖の戒名)と表記され、やがて「元金」「望外」といった固有の名称に変わっていく。資本計算原理は決して近代に固有な経営技術ではない。

6.家制度と経営の継続性

 経営体と個人の関係は、ほとんどの場合、次の二つの型のどちらかにはいる。
 第一の形は継続的な家族経営におそらく起源をもつもので、経営体の構成員集団(例えば経営者の「家」)の欲望充足の合理性という視点が設定される。その下で、その長期的な最適性という基準から、個々人の現在の欲望は合理的に抑制されるという形態をとる。中井家に代表される日本近世の商家経営の合理性はこちらに近い。
 第二の型は主に宗教的な組織に見られる。ある経営体を神や仏の社会外的な存在の所有物とする事で、経営体固有の合理性をつくりだすというやり方である。ウェーバーはこれを、corpus mysticum(神秘体)と呼んだ。日本中世の「神物」「仏物」といった観念や、西欧中世の修道院などもその一種である。こうした経営体は実際多くの社会に存在し、社会内の誰の人格にも帰属しないという意味で、固有の合理性の準拠点を構成している。
 この二つの禁欲類型は一見対極的に見えるが、現実にはしばしば近接する。例えば日本近世の、店の資本を死んだ先祖名義にするやり方は両者の中間型である。中井家の資本観念も、神社の資金にヒントを得たものらしい。というのは「欲望の長期的な最適充足」いう準拠点の設定には、ひとつ大きな難点がある。それは「金は地獄へもっていけない」という点につきる。
 この準拠点を安定的に維持するためには、欲望の主体を個人におくのではなく、個人を含むある連続体におくことにほかならない。そのなかに個人を回収することで、はじめて欲望の長期的な最適従足という論理は完結する。実際日本の「家」はそうした連続体であった。


Ⅱ 日本近世社会の成り立ち  [目次へ]

1.近世武士の個人主義

 近世前期(〜18世紀第一四半世紀)の武士の生は、激しい「意地」によって貫かれている。それはサラリーマン武士像からは想像もつかない姿である。「武士道とは死ぬ事と見つけたり」—葉隠のこの言葉は、武士の美学というより、むしろ日常の姿であった。一度意地なしと判定されれば、死をかけて抗議しなければならない。時には「法」を犯してまでも、「意地」を守ることを彼らは要求されていたのである。
 この苛烈なまでの「意地」は、一体どこからくるものなのだろうか。近世以前、武士の本質はあくまでも戦闘者であった。その後の統治者という近世武士のもう一つの側面は、彼らの自己規定においては二次的なものにしか過ぎない。
 その武士の戦闘とは個人の技量と勇気による戦闘であった。敵陣に突っ込む一番槍、乱戦の中の状況判断、あるいは敗走するときのしんがり。鉄砲伝来以来足軽による集団戦が勝敗の帰趨を決めるようになったとはいえ、それが武士の性格を変える前に「徳川の平和」はやってきた。そのため近世武士にとって、戦いはあくまで個人を単位としたものであり、そのなかで一個人としての技芸と武勇と的確な判断を要求されるものであった。
 武士の「意地」はこうした個体的戦闘者の心情としてつちかわれたものである。「葉隠」はいう。「御家を一人にて荷い申し出来申す迄に候。同じ人間に誰一人劣り申すべき哉。惣じて、修行は大高慢にてなければ、益に立たず候」「殿の一人被官は我なり。武勇は我一人なり」「曲ある者こそ頼もしき者なり」誰にも頼れない状況の中でも的確に戦うことのできる、自律的な個の心情—それが武士の「意地」の原型である。折口信夫がいうように、武士はその起源において「渡りもの」、芸能者であった。自らの技量を最も高くかってくれる人間を主君に選び、その主君のために自らの技量を最大限に発揮する。それが武士本来の姿である。

2.組織に属さなければならなくなった「近世武士」

 中世では「つわもの道」=個体的戦闘者間でのルールにしたがう事が武士の誇り、「恥アル者」の所業であった。それが中世武士の、個体的戦闘者としての人格の中核である。一方、近世社会の武士側の創設者は—織田信長がその典型であるが—当時権勢を誇った浄土真宗、本願寺教団の作り上げた超越的な権力と一元的な組織をおそらくは意識し、武士の「家」を超越的な上位者を持つ一元的・ピラミッド型ツリー状組織として成長させ、日本社会を政治的に統一する事に成功したのであった。しかしその事が武士の「意地」と「法」のあいだの厳しい相克をうみだしたのである
 徳川の平和の到来は、戦功を新しく作る機会をうばい、結果的に評価の強固という点で、武士の移動を不利にした。第二に、和平の到来は移動に対する主君の側の制限を実効的なものとした。もともと武士は「渡りもの」であり、個々の武士を内面的に規制して移動を抑えることはできない。「七度牢人せねば真の奉公にてなし」(葉隠)−「家」を離れることは個体的戦闘者の自立性の証しでさえあった。ある武士の「家」間の移動は、元の主君をより劣る人物と判断することを含意する。そのため特に有名な武士が移動を図った場合、主君は「奉公構え」といって、その武士を新たに召し抱える別の大名がいればその大名と戦争する」という宣言を行い、阻止しようとした。恒常的な戦争状態では、その武士を抱えようと抱えまいと戦争が起きる事は避けられない。けれども平和状態が持続し、なおかつそれをやぶることが双方の家の改易につながるようになると、こうした処置は高い実効性を持ち、「奉公構え」をおかしてある武士を抱えることは、残りのすべての従者を危険にさらしたとして、その不満と反感を買う行為となっていった。

3.日本の武家社会が生み出した主従という関係

 こうして次第に武士の移動が困難になれば、「意地」と「法」はいよいよぬきさしならない対立関係になってくる。それを防ぐために何か新しいつながりが必要となる。
 近世前期の「家」がそこに見出したのは、従者と主君の情緒的な結合という関係性であった。「恋のはまりの至極は片恋なり。・・・・主従の内など、この心にて澄むなり」(葉隠)従者は一方的に主君の意を体することを主体的に選択し、それに応じて、主君も従者の意思を配慮してくれるだろうとする。そのためには従者と主君の間で、ある程度現実の関心、つまり心情と利害の両方が似通っていることが必要であるが、その場合に生じるこの情緒的な結合によって、「意地」と「法」が衝突する事が回避された。
 しかしこの情緒的結合という人間関係は、ルール的な性格を持たず、半永久的な二者関係として閉じられることにより、さらに深い内面的緊張を武士にもたらすことになった。近世前期に頻発する「殉死」はこの緊張関係にさらされた武士たちの精一杯の抵抗であった。

4.「非理法権天」—日本的「家」秩序の形成

 自由な個人と恒常的で一元的な組織とを同時に持った点で、日本近世社会は西欧近代と似ている。けれどもその自由の意味と、組織の秩序、そして両者が接続される形式において、西欧社会とはまさに対照的なプロセスをたどった。西欧では「ルール」(主従関係の契約違反は、当該主君とその従者全員が属するレーエン法廷で裁かれた)という形で個人と組織を接続させたのに対し、日本ではルール性を欠く近世的な主従関係がうまれたのである。その反面、その組織体の秩序たる「法」の運用が主君に完全に独占されたことで、日本近世の「家」は機動的な組織運営が可能になった。「法」が主君の手に独占された場合には、主君が必要に応じて「法」を創出し、従者の行為を新たな形に組織することができる。日本近世の「家」では「法」は徹底的に主君のものであった。「非理法権天」−理は非に勝ち、法は理に勝ち、権は法に勝ち、天は権に勝つ。近世の「法」はつねに権の下にあった。その個人と組織の関係が、結果的に私たちがよく知る「日本的」社会をつくりだすことになったのである。


Ⅲ 近世後期の「家」規範の形成  [目次へ]

1.奉公人の組織化問題

 商業の領域においては、数十人の非家族構成員を恒常的にかかえる「家」組織は、近世以前には存在しなかった。商「家」が出現するのは、社会全体の経済規模が拡大した元禄以降である。ところが、「家」の規模がある程度大きくなると、意志決定を主人以外の、それも非血縁の人間にゆだねる事が必要になる、その決定が「家」の利害にそったものにするにはどうすればいいのか。武士の「家」が中世以来つちかってきた自律的な人間間の関係形式を、商「家」は近世社会のなかで新しく創出しなければならなかった。
 近代以外の多くの社会には、赤の他人に命令されて働くのは身分的な隷属者(奴隷や下人)のやることだ、という通念がある。三井家初代三井高利が残した手帳には、延宝5年(1677)の江戸呉服店の手代18人の名前が書かれているが、うち5人には「ぬす人」「少ぬの字」といった注記がついている。「ぬす人」的な振る舞いはむしろ自然な事で、非隷属者を他の家の利害にそって働かせるためには、特別な制度が必要なのである。
 それを解決する一つの手段としては暖簾分けがあり、奉公人の組織化には必要不可欠であったが、停滞する経済のもとであまり暖簾分けすれば自分の「家」の存続自体があぶなくなる。そのため実際に暖簾分けを受けられる人の数は限られていた。多くの奉公人は実際には自分の家を持つことなく一生を終わった。こうして一生家の内部に居続けなければいけない人をどのように規範化するか—それが近世後期に発達する町人倫理における最大の問題であった。

2.日本近世儒教の誕生(仁斎学と徂徠学)

 この近世社会の中で人々の生をどう位置づけていくかという問いに直面して日本の儒学の多勢は、日本近世社会を前提に、その現実の生活の指針となるべく儒教を読み替える歩みを始めた。日本近世社会の人間学・社会理論としての儒教、日本近代儒教の誕生である。
 この近世儒教のなかでも特に大きな影響をもった学派が、仁斎学と徂徠学であった。日本固有の思想といわれる国学や石門心学も、社会理論の基本的論理という点ではこの二つの地平の上にあるといってよい。それらは近代社会の自己了解の学であり、日本近世社会(後期)の個人と社会とは何かをめぐる一般的な思考の形式を理論化したのである。
 それらはニューイングランド諸社会におけるプロテスタンティズムのように直接社会組織を作ったわけではないが、その形式は以降の日本社会のありかたを大きく規定することになった。仁斎学が倫理の根拠に置くのは「愛」という一種の情念であり、基本的な人間関係の基盤にあるものは他者を思いやる「愛」であると説く。他者を思いやる情念とその反射作用(愛されるから愛する)が倫理の原基であり、(家内部の)人間関係と相互循環を行う事により、社会はなりたっていると説く。
 一方、徂徠学は個人の自由な欲望や感情表現を認めた上で、それが行き過ぎる弊害を説き、具体的な制度技術=法により「私」を外から適宜調整しなければならない。さもなければ社会がなりたたないと説く。いずれもがある程度武士(もののふ)の個人的戦闘者の持っていた自由を人間一般の自由に移し変えつつ、それらが社会を安定的に構成する、いいかえれば、奉公人が家に居続ける倫理を生み出し、近世社会におけるイデオロギーとなっていった。

3.ぼろを脱ぎ捨てるように新しい制度を採用した日本

 一方で、日本近世が鎖国していた事もあり、こうした日本近世儒教は日本の社会制度全般を外からみる視点を持たなかった。つまり日本社会がどういう根拠でもってそこにあるのか、という問いをこうした儒教が行う事はなかったのである。鎖国化の状況では、そのことが日本近世儒教をして社会を安定させるイデオロギーとなしたのである。
 一方開国に直面して、近世社会は決定的な危機を迎える。開国が他の社会—欧米列強—との比較可能性を与えた事から、社会の無根拠性という論理は、超安定的要因から、危険きわまりない爆弾へと転化する。現在時点の比較劣位が信じられた瞬間、近世社会の基幹制度は自らを支えるものを何ももたなくなってしまうからである。
 日本がなぜあれほど急速に近代化できたのか。それ以前にたしかに日本近世社会は西欧近代社会に近い発達を遂げていた。けれども、それとならんで大きな要因となったのは、社会が無根拠だったからであり、日本人は、まるでぼろを脱ぎ捨てるように、以前の社会制度を脱ぎ捨てたのである。しかしそれは自らの力で社会自体が変革する仕組みと力量を持っていなかった事の結果でもあった。


Ⅳ 西欧近代資本主義の観察  [目次へ]

1.M・ウェーバーの観察した「禁欲的経営者」

 「人間は神の恩恵によって与えられた財貨の管理者にすぎず、・・・・・委託された一ペーニヒにいたるまで、報告しなければならず、その一部を神の栄光のためではなく、自分の享楽のために支出するなどは、少なくともいかがわしいことであった。・・・・・人間は彼の委託された財産に対して義務を負っており、管理する僕、いやまさしく「営利機械」としてそれに従わなければならない・・・・財産が大きければ大きいほど、・・・神の栄光のためそれを損なうことなく維持し、休み無い労働によって増加しなければならないという責任感もますます重くなる。」

2.「ピューリタン・カズイストイリー」にみる禁欲的経営倫理

 「世俗的なものや享受者のように富を願望する事は罪です。・・・・しかし、労働それ自体のためにすなわち労働それ自体を形式的に行うためだけでなく、労働の目的である正直な増殖と備えのために労働することは、罪ではなく義務なのです。それゆえ、より利得のあがる職業を選択することは、義務であり、それによって良きことを行い、貧民を救済できることになります。」
 「あなたの支出、少なくとも重要な支出を記録にとどめ、あなたがどのような益をなしたか、またなそうとしたかを毎日あるいは頻繁に考えるようにしなさい。一日一日はなにか良きことをなるために与えられています。だから毎日(簿記というのではなく良心に)記録をつけなさい。・・・・・・・・・時間や分や小さな恵みが記録にとめることなしに過ぎ去ってよいとは考えてはなりません。小銭であればやりたいように使ってよく、小額であれば自分のために使い、大きな金額のみを主人のために使用する、と考える雇い人は、忠実ではなく、会計に欠陥を与えます。」
 「身体が情念にかられているとき、清らかではない魂が情念の奴隷となったとしても不思議ではありません。というのは、そうした人間は、利己心と肉欲とこの世的なるものの力の下にあり、キリストとその霊の統御から離れ、自然の腐敗を治癒し服従させる手段であるあの恩恵の生活が欠如しているからです。そうした人間にとって、情念を支配する方法は、偏見にみちた貧弱な、自然の利己的な原則や理性によって努力する事ではなく、・・・・・すばやくかつ熱心に、新に聖別された信条を求め、神の姿、その霊を獲得し、恩恵を再び生き返らせ、活発にすることです。これがただ一つの、友好に自然を克服することなのです。」
 「あなたの職業の利益に目を向けることは合法的でもあり、適切でもあります。「富裕になるために働いてはいけない」と聖書にはありますが、その意味は富をあなたの主要な目的としてはならないということです。我々の肉的な目的が究極的なものとして意図されたり、追及されたりしてはなりません。しかし、より高次の事柄に従属させれば、それは可能です。すなわち、あなたの成功と合法的収益を最大限にもたらすような仕事で労働する事は可能なのです。神が、あなたに(あなたの魂やその他の人の魂に害を与えることなく)、他の方法よりもあなたが合法的により多くを得ることができる方法を指示したとして、あなたがそれを拒み利得の少ない方法を選ぶとすれば、あなたは職業(calling)の目的の一つに逆らい、神の管理人(stewart)になり、神の賜物を受け神が求めたもうときそれを神のために用いることを拒むことになります。肉欲や罪のためにではなく、神のために富裕になるように労働することは可能なのです。」
 −リチャード・バクスター「キリスト教指針」

3.プロテスタンティズム的経営と日本近世経営の決定的な差の理由

 ウェーバーの描くプロテスタンティズムの倫理の下での経営—それを見るときに感じるある異様さ。それが日本的経営、たとえば典型的には中井家のそれにはない。この異様さはどこからくるのだろうか。
 それはプロテスタンティズム独特の「禁欲概念」による。
 プロテスタンティズムにおける禁欲はたんなる欲望の抑制ではない。欲望の抑制ならば欲望の遅延、つまり現在時点の欲望充足を未来へ先送り(後楽)することでも生じる。
 プロテスタンティズムの禁欲では、欲望は決して満たされてはならないもの、として存在している。それはまさに「欲望の禁止」である。プロテスタンティズムの倫理の下での経営体の合理性は、個人による欲望充足という合理性に逆らうものとして、設定されている。だからこそ、それは「義務」として了解される。資本計算原理という経営体の合理性が個人の経済的欲望の禁止によって実現するという「逆説」をウェーバーはそこに見出した。
 日本近世の経営の合理性と比較すれば、そのちがいは明瞭になる。ここでの禁欲とは長期的視野にたった欲望の最適な充足、つまり、未来の自分と家族の欲望充足をより確実にするための、現在時点での抑制にほかならない。中井家の「奢りを禁じ」「勤勉」「貪欲を思わば・・・・天理にもれ候べし」という倫理性や、強制的な資本蓄積制度の存在理由は、それが長い目で見た場合家の繁栄にいたるー「国の長者とも呼ばるる」−最良の途という点にある。日本近世の商家における経営体の合理性追求は、あくまでも個人や集団の欲望充足の延長線上に位置づけられている。資本計算原理の採用は、経営者とその家族の長期的・安定的な欲望充足のための手段として了解されていた。それは最終的には「家政的経営」なのである。
 全く対照的に、プロテスタンティズム倫理の下の経営では、経営体の合理性と個人の合理性が切り離されている。宗教的な意味はあくまでも「労働それ自体」であり、富の蓄積はその結果にすぎない。富の蓄積そのものは魂の救済の追求という個人の本来の目的にとっての最大の障害物、「最も手ごわい誘惑」とされていた。また経済的な欲望という面でも、経営体の合理性は個人の無軌道な欲望を禁止することで成立すると考えられていた。富の蓄積が本来救済とは別物であることは、救済を希求する当人自身が一番よく知っていた。だからこそ、不安にかられて一層禁欲的に働くのである。

4.プロテスタンティズムが資本主義経営にもたらした真の革新とは

 経営体と個人の間の、この強引なまでの分離。それをつくりだしているのは、プロテスタンティズムの強烈な反貪欲の倫理に他ならない。プロテスタンティズムが個人の倫理として、表面的には徹底的な反貪欲を貫くからこそ、利潤の最大化という経営体の目的が個人の目的となりえない。プロテスタンティズムの倫理が資本主義的経営にもたらした真の核心はここにある。それは「勤勉さ」や資本計算原理なのではない。経営の合理性が経営体の構成員個人の合理性(欲望充足や魂の救済の獲得)に回収されることの否定なのである。それが結果的に経営体を、個人とは独立の原理によって動くものとしてうかびあがらせる。プロテスタンティズムの倫理がはらむ問題性(プログレマティーク)は、そうした経営体と個人の関係性にあるのである。

5.アメリカ民主主義の真髄—自由で多様な結社性

 「過去においてそして現在に至るまで、とくにアメリカ民主主義のメルクマールのひとつは、それが諸個人の形をなさない砂山ではなく、きわめて排他的な、だが自発的な、諸団体の雑踏だという点にある。」(宗教社会学論集Ⅰ「プロテスタンティズムのゼクテと資本主義の精神」M.Weber
 「アメリカ人は年齢、階層、立場の如何を問わず、たえず結社団体(association)を作る。誰もが属する通称会社や工業会社ばかりでなく、・・・・・・祝祭の挙業や神学校の設立、旅館の建設、教会の設立、書籍の販売、遠隔地への伝導師派遣のためにも、アメリカ人は結社を作る。病院や刑務所、学校もこうして作られ、何か真理を顕彰するとか、偉大な模範によってある感情を世間に広めるといった場合には、教会(society)がつくられる。・・・・私はアメリカで、正直いってそれまで思ってもみなかった種類の結社に出会った。そして、きわめて多数の人々の活動に共通の目標を付与し、しかもその人々を自発的にその目標に邁進させるために、合州国の住民が巧みな技術をもちいていることにしばしば驚嘆させられた。その後、私はイギリスを旅行したが、・・・・・そこでは、このようにふだんにまた巧みに、結社の原理(the principle of association)が利用されているようには到底みえなかった。イギリス人はしばしば、一人で巨大な事業を遂行するが、アメリカ人はどんなささいな事業を遂行するさいにも結社をつくる。」(Tocqueville)

6.シンテレーシスとゼクテ-2つの良心概念

 中世カトリックは人間に「シンテレーシス(syntheresis)とよばれる良心を見ていた。シンテレーシスとは簡単にいえば、人間個体に内在する自然発生的な正しい秩序への傾向性、トマスのいう全への自然本性である。シンテレーシスは一種の生体的能力で、人によってくもることはあるが、喪われる事はない。神の恩寵はそれを補完するものにすぎない」中世カトリックでは人間はむしろ「善」なるものであった。
 プロテスタンティズムはこのシンテレーシスを否定する。それが新たに見出した良心とは、「自分の罪業を告白する声」にすぎない。この「声」は罪責への反省をうながすが、正しい行為へと人間を積極的に水路づける力はない。シンテレーシス型の良心概念のもとでは現世的に、個人の内心の善悪を判断したり善化したりする、特別の権能を持った組織体なり個人がありうる。それがローマ教会とその首長ローマ教皇である。彼らは神の恩寵によって、シンテレーシスのくもりからのがれ、一般人のシンテレーシスのくもりをとる絹を持つとされていた。こうした「教化」の権能を中心に組織される教団をウェーバーは「キルヘ(Kirche)」と呼んでいる。「正しいものの上にも、正しくないものの上にもその光を照らし、まさに罪ある者をこそできるかぎり神の命令による訓育の下に置こうとする」
 それに対し、プロテスタンティズム的な良心概念のもとでは、全ての人間は等しく堕落しており、ある人間が他の人間に原理的に優越して、善悪の判断をする事はありえない。したがって、教団組織としても、原理的に平等な人間達が、信仰の共通性によって自発的につどうという形を取る。それが「ゼクテ」である。
 ・・・・ゼクテ社会では、まさに現在時点において特定の信仰を共有する集団であるがゆえに、信仰を共有しない人間が内部に存在することを許さない。現実にその社会の外に出る可能性がとぼしい状況下では、それは容易に信仰の強制へ転化する。原理的な良心の自由が実際には良心の抑圧を招くのである。
 逆にピューリタン入植時の北アメリカ大陸のように、先住者を低コストで駆逐できる場合には、ゼクテの論理は自由に社会をつくる可能性を開く。個人が実際にゼクテ社会に容易に参入/離脱できて、はじめて良心の自由は現実にも守られる。

7.「会社」としてはじまったアメリカ植民地社会

 マサチューセッツ植民地は1630年、非分離派のピューリタンによって創設された。マサチューセッツ植民地の正式名称は「ニュー・イングランドにおけるマサチューセッツ湾の総裁と会話」であり通称「マサチューセッツ湾株式会社」と呼ばれた。法律的実態は会社そのものであり、この会社の総裁(ガヴァナー)が、植民地のガヴァナーでもあった。41年にはロンドンの弁護士、ナサニエル・ウォードが新たに起草した案が採用され「マサチューセッツ自由法典」として正式に立法化された。これはコネティカット基本法とともに世界最初の成文憲法とされる。ちなみに、マサチューセッツ社会の基本デザインをスタウトは「ピュリティ(純潔)、パワー(力)、リバティ(自由)」と表現している。つまりアメリカ植民地において、社会は会社に起源を置き、相似形として発達を行ったのある。

8.アメリカ植民地に生まれた法人格会社の特異性

 法人格を持つ有限責任制の会社の株式会社は、19世紀始め、イギリス、フランスともに、20社程度しかなかったのに対し、アメリカではすでに300社以上があった。(イギリスの直接当時時代には法人会社はきびしく抑制され、独立当時にはわずか6社しかない。)1844年までに、ニュー・イングランド六州およびペンシルバニアとニュー・ジャージーで設立された会社の総数は4587社にのぼる。当時アメリカとほぼ同程度に経済が発達していたといわれるフランスでも、1846年までに設立された株式会社法人数はわずか340である。
 それまでの法人格をもつ会社組織、例えばイギリス東インド会社では、役員は終身制で会社の取引先は役員個人やその友人・知人が多かった。現在の商取引では規制されている「自己取引」がふつうにおこなわれていた。一方こうした出資者による私物化を牽制する上で、この会社の権利が国王または議会の特許状に基づいており、その更新を通じて改革が行われている。つまり、出資の個人的人格の影響も国王による統制も、会社組織が独自で形式合理性(その内部だけで進化発展する)の確立を行う上では、有害であったのである。
 しかし「マサチューセッツ湾株式会社」では、民主化傾向といい、国王の統制からの独立性といい、基本法の制定といい、まさに近代的な形式合理的な組織、組織と個人を原理的に分離し、制定規則にもとづいて運営される近代組織への明瞭な志向がみてとれる。例えば、権限を越えた役員は総会で弾劾裁判にかけられたし、役員の終身制もついにとられなかった。
 一方でこうして形式合理性をそなえた有限責任制の株式会社は、ある意味で極めて「危険」な制度である。というのは、組織が失敗しても最終的にはだれも責任を取らないからある。従って、こうした組織形態をあえて受容するような社会的基盤が必要で、それはアメリカの場合プロテスタンティズムの倫理下での組織運営(ゼクテ)ということであった。

9.西欧近代組織のもつ機動性
 
 近代資本主義、つまり近代組織のもつ資本主義の特徴は、たんに組織固有の合理性が確立されている点にあるのではなく、組織の外部に、強い選択性をもった個人が設定されているという点にある。それが、組織の機動性、つまり自由に組織を創設/解消でき、また自由に組織に参入/離脱できるという性質をつくりだす。
 近代組織の力の根源は、参入/離脱の自由を根拠にして、メンバー個人の自発性と創造力を最大限発揮させつつ、その成果を組織の合理性に結びつける点にある。それが、それ以前の組織と決定的に違う機動性をつくりだしているのである。
 一般には官僚化という言葉で指摘される事が多い「化石化」や「自動機械化」、つまり新しい事態に対応せず、過去の判例や規則に従って思考も協議もなしに、同じ対応を取りつづける精神態度、組織態度は近代組織にとっては、単に病理的な状態に過ぎない。
 本来の健全な近代組織では、行為の準拠点としての個人と組織の高度な切替可能性が、組織固有の合理性を保証しているため、上の現象は長くは続きえない。この点はたんに企業組織のみならず、行政や司法といった近代法システムをになう組織にもあてはまる。ウェーバーが重視している近代法の高度な予測可能性—つまり法体系がどのような結果を導き出すのかが予め合理的な推論によって可能であることにより、社会の様々な事柄の解決がよりスムーズに、俊敏に行われるということ—は、こうした近代組織の存在を前提に語られているのである。

10.西欧近代組織の原罪

 それでは、アメリカにこうした近代組織がその原型をおくとして、こうしたゼクテの倫理、プロテスタンティズムの論理により展開される近代社会の輝かしさには曇りがないのだろうか。かならずしもそうとはいえない。そもそもピューリタン入植時の北アメリカ大陸は「先住者を低コストで駆逐」できたからこそ、広大な沃土を獲得でき、参入/脱退の自由を獲得したのである。
 「いかなる政府も。・・・・・人々の自由な合意なくして、人々の身体や財産の上にその権力をおよぼしえない。しかし、全ての人間なかんずく真の信仰をもった人間は、この世において、彼らの身体と土地の「管理人(steward)」となり、神の栄光のためにそれを改良しなければならない。それゆえ彼らはいかなる政府に対しても、その自由な合意によって、その身体、財産、土地、自由を処理する権限をあたえることはできない。」(Miller)
 この個人の権利が不可侵であることを強く主張するマサチューセッツ植民地牧師団の言葉は、おそらくロードアイランドの建設者ロジャー・ウイリアムスが「マサチューセッツ植民地はインディアンの土地を不当に占拠した」として、その返還を要求した際のものであり、その言葉はおのずと激しくならざるをえなかったことであろう。
 インディアンによる非個人的な所有を私有化という形で奪う「原罪」を西欧近代は背負ったのであり、それは今日、インターネットにおけるドメインネーム取得の民営化、アメリカ社会における銃砲規制の困難さ、連邦制に対する過激な自由化論者(ユサボマー事件)など、過度な自由や私有化がもたらす社会事件の原因ともなっているように思える。
 もう一つには、こうしたプロテスタンティズムの過激な論理が時代をこえて長続きすることはむずかしく、かならずその精神が摩滅する時代がこざるをえないという点にある。現実に、アメリカ社会は、その後多様な移民を受け入れ、プロテスタンティズムは政治的には多数派ではなくなった。宗教的には一般救済説と一度の回心による救済を約束するパブティストやメソディストなど、進歩主義に裏打ちされた欲望肯定論がはぐくまれることになった。
 そのなかでは法人組織も公共性を必要としない完全に私的な営利追求の手段にかわっていく。アメリカの株式会社がもっていた組織合理性は、取締役会の強大な権限の下で動く巨大な独占営利企業を作り出し、トラストへの路を歩む事になった。
 連邦政府やWTOによる独占禁止政策という最も強大な規制に、こうした営利体は立ち向かわざるをえず、もし連邦政府やWTOが「近代組織」の要素を減ずれば、そこに立ち現れるのは、巨大な予測不可能性—それは経済的には大不況の原因となりえる—である可能性も高いといえるだろう。
 いずれにせよ、近代組織が近代組織でありつづけるためには、毎回非合理で異様な価値観に舞い戻り、その周辺にある非個人主義や、プロテスタンティズム以外の価値観をシャクフクし、修正をしつづけ、拡大を広げなければ、そうなり得ないのであり、それはまさに「非個人主義や、プロテスタンティズム以外の価値観」を持ちつづけている私たち日本人にとり、極めて理解が難しく、はなはだしく疲れる長旅を今後も強いることになりそうである。




佐藤俊樹(さとうとしき)

1963年 広島県生まれ
1985年 東京大学文学部社会学科卒業
1989年 東京大学社会学研究科博士課程退学
    東京工業大学社会工学科助教授
現在  東京大学大学院総合文化研究科・国際社会科学専攻・統計学

関心領域 比較社会学(日本社会論)、計量歴史社会学、情報技術と社会

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